【道端で女性のブラを拾って交番に届けようとした話】
特に何か結論を書きたいわけではないけども、ある日ふと拾った。
ちょうど平日の夕暮れ時に、新大久保の自宅から、駅に向かって出かけようと家を後にしていたところだった。
テクテクと歩いていると、ふと、狭い歩道の中央で、何やら白い光るものが見えた。
それは、ちょうど大海原の水面で、魚が飛び跳ねた時に見える「キラメキ」のようなもので、神秘的な何かを放っていたように記憶している。
「なんだろうあれは」
そう、幼心に思った。
読み方はオサナゴコロである。
遊びが仕事になって行く新時代にとって好奇心は常にこどもの感覚と一緒だ。
なのであえて「幼心」と使わせてもらった。
まあそんなことはどうでも良いのである。
話を戻そう。
道端にキラっと光った「トビウオ」の正体を突き詰めるために、ダニエルは一歩一歩と「未確認着地物体」にめがけて歩を進めていった。
ザッ。
物体の目の前に着陸すると、ダニエルは息を飲んだ。
「ほう。」
どうやら布っぽい何かだ。
少し滑らかさのような光沢がある。
くしゃっと畳まれているのか、その全貌は把握できずにいた。
畳まれてると言っても、それはまるで「田舎のおばあちゃんが洗濯物を家に取り込む際に行う丁寧に畳む前の仮畳み状態」のような雰囲気で佇んでおり、なにかの拍子に自然に畳まれてしまった感という方が正しかった。
ひとまず、危険そうな何かではないと即座にキレる頭で判断し、キレる頭で判断したかと思えば、再度キレる頭で判断した。
読書の皆様には一度ダニエルの頭をひっぱたいていただきたい。
そして、その光沢を放つマテリアルを人差し指と親指で丁寧につまみあげてみる。
「ヒョイ。」
するとそのキレる頭は、即座にその布の正体を突き詰めた。
「おい、ブラじゃねーか。」
一瞬にして様々な考えが頭をよぎる。
「なんでブラがここに?」
「なんで道端に?」
「なんで拾った?」
「なんでわたしが東大に?」
なんで私が東大に?
これは、四谷学院の有名なキャッチフレーズである。そして、刹那にしてこんな考えが頭をよぎった。
「ああ、昔お世話になった四谷学院の小林先生は元気かなぁ」
人は、生死を分ける極度の緊張状態に置かれた時に、走馬灯のように昔の人々の顔が浮かぶという話を聞いたことがある。
まさに、ダニエルのその時の状況は、それに近かったのかもしれない。
少し頭の髪の毛に美しい余白をたたえ始めた小林先生の微笑みが脳裏に浮かんだ。
そして、それもつかの間、現場の迅速な把握のために、辺りを見渡す。
「いったい何が起こっているというんだい?」
目を凝らして見ると、目の前のアパートの1階のベランダに、洗濯物が干してあった。
「なるほど。」
ダニエルの脳細胞たちが、そのニューロンたちが、シナプスたちが、即座に連結し、ある一つの答えを導き出した。
「このブラはあそこのベランダから落ちたのだ」
その時の感覚は、例えるとセンター試験の感覚に近かった。極限の緊張状態の中で、ある一つの正解を正確にはじき出す。
まさに数学の最終問題を解き終えた後の解放感に近い。
どうやら、風か何かの拍子で、洗濯バサミから離れ落ちてしまったと判断するのが最も適切な解のような気がした。
だが、問題はその後だった。
「このブラをどうしよう」
27歳独身B型のカニ座。
強いて言うならタラバガニが好き。
ブラを片手に立ち尽くすこの男は、究極の選択に迫られていた。
「ブラをどうするか」
これは、人類の究極の命題かもしれない。
ソクラテスがその答えを導き出せただろうが?
フロイトがその精神病理を導きだせただろうか?
ニュートンがその方程式を導き出せただろうか?
否。
ダニエルは今、手に持った光るシルクロードの断片をどう処理するかという前人未到の問いに立たされているのであった。
3つ、頭に浮かんだ答えがあった。
1つ、ピンポンを押して持ち主に返す。
2つ、交番に届ける。
3つ、そのまま洗濯もの干しに返す。
まずは、あるゆる選択肢の検証が必要だ。
ダニエルの頭は素早く、かつ正確にシミュレーションを重ねた。
まず、1つ目の「ピンポンを押して持ち主に返す」だ。
出てきた持ち主、オーナーに対してどういう言葉を返すのが適切なのだろうか。
何度もセリフを推敲してみる。
「ピンポーン、あのすみませんブラを拾いました。」
ダメだ直接過ぎる。
直接過ぎてあまりの衝撃にオーナーは耐えられない。
もっとオブラートに包もう。
「ピンポーン、あのすみません光沢のある布を拾いました。」
ダメだ遠回しに言い過ぎて、とてつもなくキモい。
一瞬にして警察を呼ばれるのがオチだ。
そうか、あたかも偶然に拾った感を出さなければこの状況は怪しいのか。
ならばこれだ。
「ピンポーン、あの、歩いていたら急に僕の右手にブラが落ちてきました。」
ダメだ。
偶然を装い過ぎて、一層怪しさが増している。これも即警察行きが決定する言葉だ。
塾考を重ねた結果、ピンポンを押して持ち主に返すのは非常にリスキーだということが発覚した。
2つ目、交番に届ける。
「落し物は警察に届けなさい」
そう、母親から教わってきた。
いや、財布を落としても発見されるこの国日本。なんという美徳のある国なのだろうか。日本人の慎ましさ控えめさその全てを象徴する行為がこの「落し物は警察に届けなさい」だ。
「よし、警察に届けに行こう」
そう、ダニエルは思い立った。
だが、ふと何て言ったら良いのだろうかと思った。
「あ、おまわりさんすみません、ブラを拾いました。」
ダメだ。
これもピンポンと同様、言葉がストレート過ぎて重い。
もっと、何のやましさも無く、拾った風を出さなければいけない。そうだ、拾った人は10分の1をもらえるというじゃないか。あたかも自分は10分の1をもらうためだけに届けたんですよ風を装おう。
「あ、おまわりさんすみません、ブラを拾いましたので10分の1をください。」
ダメだ。
完全にダメだ。
なぜに自分は10分の1をちゃつかりもらおうとしているんだ。
完全に変質者だ。
と、ここまで考えて交番に届けるという判断も超リスキーだと踏みとどまった。
3つ目、そのまま洗濯もの干しに返す。
1つ目の拾った事実を公表するというよりも、2つ目の交番に届けるというよりも、何事も無かったかのように所定の位置に戻すこと。これがどうやら懸命な判断のような気がした。
そして、的確な判断を下した自分に心の中で「乾杯」と小さく囁きながら、ダニエルは手に持ったシルクロードを戻そうと、目の前のベランダに足をかけようとした。
が、
「ん?待てよ」
その時、ダニエルの中で良心のようなものがストップをかけた。
「この光景はアリなのか?」
冷静に考えてみてほしい。
手に持ったブラを目の前の1階のベランダに戻すという行為は、すべての事情を察知し検証したダニエルにとってはごく自然な行為だ。
しかし、この戻そうとする瞬間だけを切り取ってみてほしい。
通りからもし誰かやってきた時に、この光景をみてどう思うだろうか。
答えは一つだ。
「ブラを盗んでる怪しいやつがいる。」
そう、それだ。
間違いなく一般の通行人が抱く感想はそれだ。
ヤバイ、ヤバイぞ。
たしかに、ブラを戻しながら洗濯バサミか何かを引き寄せている姿は、ブラを盗もうとしている姿と、遠目には違いが区別できない。
ダニエル=犯罪者
このワードが頭の中でチラチラと見え隠れした。
すると刹那、付近の曲がり角から人影が現れた。
「ヤバイっ。。」
しかし、ダニエルはその場に立ち尽くす以外何もできなかった。
ザッ、ザッ、ザッ。
見ると、現れたのはランドセルを背負った小学生の男女2人組だった。
学校の帰りか何かなのだろう、2人で楽しそうに話している。
「小学生ならまあ大丈夫か」
つかの間の安堵感にため息をつく。
ザッ、ザッ。
小学生がダニエルの横を通り過ぎる。
と、女の子の方がふとこんなことを口にした。
「なんであのおじさんブラジャー持ってるの〜」
「はい?」
その小学生から発せられた言葉にダニエルはたじろいだ。
おじさん。
そうか、そうだったか。
確かにダニエルは27歳独身B型のカニ座。
四捨五入すると30に当たる歳だ。
たしかに小学生から見たらおじさんに当たる。
まあ、それは良しとする。
しかし、彼女が放った言葉には強烈なインパクトがあった。
「おじさんがブラジャーを持っている」
はて、このワードはパワーワード過ぎるのではないだろうか。
おじさん×ブラジャー=犯罪者
という印象しかない。
「まじかよ。。」
ふと、リアルな光景が頭に浮かんだ。
つけるテレビ。NHKか何かでそれは報道されていた。
「●月●日東京都新宿区の路上にて、男がベランダから女性の下着を盗んだ疑いで現行犯逮捕されました。男は容疑を否認しています。」
ヤバイ。。
そんなことになったら完全に終わりだ。
「現代社会の箱舟作り」なんてものを呑気に言っている場合ではなくなってしまう。
ヤバイ、ヤバイぞどうするこの状況。
刹那、ダニエルは一目散にその場から逃げ出した。
それから、どのくらい走ったかは覚えていない。
どの角を曲がったかも覚えていない。
ただ闇雲に走った。
まるで、襲い来るゴジラから逃げるかのように。
塊のような不安からエスケープするかのように、ただひたすらに走った。
「ゼェ、ゼェ。」
全速力で走り過ぎたのか、呼吸がもう限界となり、ダニエルは歩道の脇の電信柱に手をつきながら、しばし立ち止まろうとした。
すると、急に後ろから肩を叩かれた。
ポンポン。
「お兄さん、何してるんですか?」
「え?」
即座に振り返る。
みると、巡査中で白い自転車に乗ったおまわりさんが2人、怪訝そうな顔でこちらを覗き込んでいた。
「いや、何も、ただ外気持ちいいんで走ってただけです。」
大慌てでダニエルは咄嗟に口に出していた。
そして、あたかも今出たばかりの汗を拭うフリをしようと右手を額に持ってこようとした。
すると、、
「パサっ。」
何か布のようなものが顔面にあたった感触があった。
「ん?ん?」
いま当たった物体を確認しようと即座に目を見張る。
すると、それは光沢のある白い何かの形をしていた。
「おい、ブラじゃねーか。」
一瞬にして心臓が凍りつく。
なんと、ダニエルは現場から逃走を図った瞬間に、手に持ったブラも一緒に連れてきてしまったのだ。
目の前の警官の顔がみるみるうちに曇っていく。
ヤバイ、完全にヤバイ。
完全にゲームオーバーだ。
ブラを片手に全速力で疾走していた男、それはもはや犯罪者以外の何物でもなかった。
みんな、ごめん。
現代社会の箱舟は一旦ここで幕を閉じるかもしれない。
ごめん、ごめんなさい。
そう、心の中で懺悔を唱えた。
「君、ちょっと署までいいかな。」
「は、はい。」
ダニエルは、生まれて初めて心の底からこんなことを思った。
「私は貝になりたい。」
おしまい。
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