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美人とブスで幸せレベルは違うのか?

本日のお題は究極の命題。

ズバリ「美人とブスで幸せレベルは違うのか?」です。

女性なら「もっと美人に生まれたらな〜」と一度は思ったことある方もいるのでは無いでしょうか。


ある意味、残酷なテーマですね。

「イケメンと草食系で幸せレベルは違うのか?」にしようかとも思いましたが、こっちの方が分かりやすいのではないかと思いこのテーマにしました。

これは考えをツラツラ書く必要もなく明らかなので、僕の結論から言いますと、




「違います。」

「美人のほうが絶対幸せです。」

「以上です。」

ということになります。

へ?

え?

ちょっ、おま結論出すの早ッ!

おまえ前の投稿で「金持ちと貧乏で幸せは変わらない」みたいなこと言うてたやないかっ!

いきなり人格変わったんか!!

ブスに失礼だろっ!!

金返せっ!!

セイセイセイセイ。

落ち着いてください。

だって冷静に考えて、美人のほうが注目されてチヤホヤされて幸せじゃないですか?

ブスはあまり注目されないですよね?

「ブスの瞳に恋してる」なら別ですが

いつの時代もそれは共通してないですか?

違いますか?

ということで、今日は「美人のほうが幸せ」ということで簡単に結論が出ましたー

パチパチパチ―。

が、、、。



そもそも「美人」と「ブス」の違い、いや、この2つの定義って何ですかね?

今日のテーマは「美人」と「ブス」の言葉の認識によって、変わってくるのではないかと思っています。

初めに言うと僕はすべての「女性」は「美人」だと思っています。

なので、すべての女性は美人なので「世界中の女性は皆、ブスよりも絶対幸せ」ということになります。

そもそも、僕の考えだと「ブスな人」は世界に存在しません。

え?単純すぎますか?

でも僕はそう信じているので、僕の中での「美人」の定義はこれです。


ただ、そんな極端な考えの僕でも唯一なかなか「美人」と思えない類の人がいます。

はい。

それは、どういう類の人たちかと言うと「自分を美人だと思えていない人」です。


美人というと、すこし言葉のインパクトがでかいですが、「私はそのままでとても魅力的な人」と認識できていない人です。

最近、人の写真を撮ることが良くあるのですが、その際にこの自己認識みたいなものが如実に現れる気がします。

だいたい女性だけでも100名近くはもう撮らしていただいてまして、そのリアルな現場から最近僕が気づいたことがあります。

ここからの話は「美人」を「自分を魅力的な人と思えている人」もしくは「そのまま受け止めて自信をもっている人」また、「ブス」をその反対と変換すると分かりやすいかもしれません。

写真を撮る際、「美人」はとても写真に映えます。バエてます。めっさバエます。

その子の顔がカワイイかそうじゃないか、スタイルがいいか悪いかは別にして、「美人」はめちゃめちゃ写真に映えます。
その内からでる自信感みたいなものが写真にはっきり現れますし、撮る側の僕もとても楽しいです。


ただ一方、自分を「美人」と思えていない人を撮ると、何か写真がはっきりしてこない時があります。
そして、撮ってる僕も最初「あら?」って感じになっちゃったりします。

「自分がカワイく生まれたから自信を持てるのは当たり前だよ」

と言われるかもしれませんが、少なくとも僕の経験上、容姿やスタイル、顔が整っているかどうかとかの問題はまったく関係ありません。

ある意味「正しく自分を受け入れて愛せてるか」という問題かもしれません。

ぽっちゃりでも、男っぽい顔でも、自分を「美人」と思えている人の写真は、不思議なほど写真に映えるんです。

そして、写真だけではなくて、その人の人生も美しかったりします。

これは、僕がリアルな撮影のコミュニケーションを女性とする中ではっきりと気づいたことでした。


なので、僕はすべての女性は「美人」だと思っていますし、もしそうでないと思っている女性がいたとしたら、その人自信の「美しさ」を写真を通して少しでも気づかせてあげるという使命をある意味持っています。

ちょっと、キザ過ぎてキモいですかね?

許してください。

最初は「あれ?なんか違う?」という感じになったとしても、最後は「あれ?自分って美人かも?」と思ってもらえるような写真を撮っていくことがある意味僕のゴールかもしれません。


ということで、少し話がずれましたが「美人とブスで幸せレベルは違うのか?」

の僕の答えは、「美人のほうが絶対幸せ」

です。

そして、すべての女性は「自分が美人であること」に早く気づいてほしいです。

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