~回想・永遠なれ、ディック千葉&タイサン・レーシング~


#創作大賞2024 #お仕事小説部門

そこへは大柄な男性が私達の前で日本より持ち込んだ焼きそば調理中、
「おいディック、焼きそばは出来たか?」。
日本で有名なるモータースポーツ界の大物を呼び捨て騒然な声で尋ねたのは
大学時代の先輩であったビジネスで全米規模店舗成功させたロッキー青氏。
「先輩出来ました、ここへ置けばいいですか?」。
「そうだ、こちらさんへもだぞ」。
ロッキーさんは横へ笑顔送る。
「博士も食べるだろ?」。
いつもの千葉節が冴える、しかしここでは筆者は何故か?博士と呼ばれた。
「千葉さん、博士はないでしょう?」。
「いや、俺以上にエントリーしているロッキー驚く程、このレースに詳しい
日本人は他へいない、だから博士なんだよ」。
本来、レース場のガレージ(日本ではバドック相当)は火気厳禁イメージある場所で焼きそばを造り三人で遅い予選後のランチ、これがインディ500後会場にてタイサン・レーシングオーナーの千葉泰恒さんとの本格的な出会いであった。

”チャンスを与えた名門日本プライヴェーター・チーム”

千葉さんの偉業は語るまでもない、Gr-AのGT-R活躍は有名でありこの頃に並行して当時スポット参戦許可されていたインディ500へ地元チーム共同プラス日本人・日系人メカニックも交えロッキー青木さんが共同オーナーで参加という形式。エントリーのレーサーもバラエティで元F-1経験者や国内レース活躍者と多岐に渡る。日本メディアは詳細報じていないがマシン入手などは苦労した、たいていは当時に許された型落ちシャシーへ現行新型エンジン若しくは現行マシンのショート・オーバル仕様をハイスピード・オーバル用にインディ500向けへ改造するという手法、予選等の事故は即座に決勝出られないリスクあり1995年の松田秀士選手はフリー走行で大クラッシュし徹夜の突貫工事にて最後の敗者復活戦最終予選、バンプ・アウト・デーたった1度のみのぶっつけ本番の予選通過で観衆がスタンディング・オベーションとなった程である。
 これも日本より走行させるレーサーを率いて来る千葉監督の熱意が幸いしている、スポンサー獲得の裏話とて非常に興味深く結果出ればおのずと何でも良くなるという豪快さがある半面、ファンが垣間見ている心配りの良さは素晴らしい。ご本人曰く、「僕は全くアルコールがダメなんですよ」。と話していたのが印象的だった。
フリー走行開始前のある時、筆者が撮影に使用する機材一式(当時500mmレンズ等)貸した時に千葉さんは驚いた。しかも自前で渡航費なども用意の姿勢へ感銘した。
「うちら(プライベーター)と同じだな、いい写真を撮ってくれ!」。
*:筆者は撮影許可のパス保有の身である参考までに。

レース後の打ち上げもスポンサー各社幹部集合するのでこうした挨拶などは素晴らしく、そうした所へなぜか筆者も招かれ対談出来た。
「今日のレース中継が好評だったのも、ここへいる博士のおかげです」。
恥ずかしい半面、嬉しいのもあった。そしてこうも話てくれたのである。
「今は日本でメディアも参加のエントラントもマイナーなインディが君みたいな人間いるともっとメジャーになるよ」。
 この言葉の通り、世界の巨人と呼ばれたタイヤ・メーカーへ日本のBS社より資本・技術入ったファィアー・ストーンが勝ちはじめ今ではワン・メイクスになったし、HONDAが勝てるエンジンを製造しTOYOTAが先にインディ500日本エンジンで制覇して以後、高木虎之助選手や今の佐藤琢磨選手のように競争出来る・勝てる日本人レーサー誕生した。

 ルマン等で千葉さん&タイサン・レーシングはプライベーターとは思えない程に海外では有名であった。個人的には現在のスーパーGTタイヤ戦争面白くする意味を込めて、ニッサン・サテライトチームのGT-500マシンにADVANタイヤ装着で参戦して欲しかった気がしてならない。

この貴重な時間は無形の財産・宝物で訃報を聴いた時は驚いた、日本レース界レジェンドにお礼申したい、永遠なれディック・千葉。