実録・”(下)市場を造った男達、”


#創作大賞2024 #お仕事小説部門
*:お断り、ノンフィクションベースの記載で氏名等変更しています。
3.11及び日本の地震被災地に本作品を捧げます。

    ~出陣・北米大陸に挑む~
 休暇利用の時期、五大湖より吹き込む寒風により周囲とは裏腹な滑走路には積雪の無いデトロイト・メトロポリタン国際空港へ降り立った松田幸雄は入国審査と手荷物検査終えて1階にて預け荷物受け取り外に出ると案内板を持つ男性が待ち受ける。
「先輩、こちらです。お疲れ様でした」。
「出迎えありがとう、これはさすがにアメ車だなあ」
出迎えた後輩の片岡にジョークを飛ばす。
「いえいえ、会社経費のリース。うちのお得意様よりアドバイスあっての話です、マイカーは中古に日本車セントラです燃費いいし」。
「確かに、しかし出世したな。お得意さんにこんな高級車紹介とは」。
 車へ乗り込んだ二人は一路、フェアレーン・アヴェニューを目指した。
「これもあれも先輩のおかげです、こうしてまたここへ来れたし」。
「そうか・・・所でまた何でこの街からだい?」。
 確認するかのように松田は尋ねた。
「ロスやニューヨークはまず大手ライバルが多いし全米巻き込む競争となれば零細企業の新規な我々は体力持たない、ビジネス路線販路も不可欠ですから」。
持参してきた資料へ目を通しながら話を聴いていた松田に気になる言葉。
「なあ、今”ビジネス路線”と言ったよな?」。
「ええ本気です、法人向け価格のビジネス・クラス航空券販売もします、だからこの街なんです世界一のモータウン、自動車産業の街」。
 後輩の先見性には驚かされる、自分は格安航空券はエコノミー・クラスばかりと思っていた。その理由は大型機材の空席埋まらぬ、燃料代にケータリング・コストも元が取れない、ひいては自分達の給料が出ない現状を打破の為に渡米、本社説得し太平洋路線専用運賃設定と販売が主たる目的でいたからだった。
「あと、先輩へは言いそびれていたかもしれません。この街は僕の恩師でもある旅行代理店あり、是非そこのスタッフにお会い出来たらと」。
「有難い、どんな企業だい?」。
 片岡はたばこを手にして笑った。
「一服、いいですか?」。
「俺は吸わないが送迎してくれたんだどうぞ」。
「そこはですね、日本の最大手も勝てない”業界の神様”と呼ばれてますからそこから先は想像にお任せします」。
 ついこの間までは辛酸舐めつくしていた奴が今、世界のトップ・ランナー相手なビジネス展開をしようとしているのを松田には感じられた。
後輩は大阪での商売成功をキッカケに無理せず少数精鋭で関東へ店舗展開し、信頼出来る日本人と共同で現地法人を日本より連れてきた部下と
行い徹底して西海岸は進出控えるというリスク・ヘッジを採用した。
              *
 三か月後、買い物と物件探しに松田は夫婦で翻弄される日々を送る。子供達の通う学校選定に悩ましきは物件選定、日本と異なりニューヨークでは家賃に光熱費込みの有難さでその賃料は東京都内一軒家借りる金額同等。日本との違いは会社支給のクレジット・カード保有役職である点に加え、共稼ぎ世帯となればメイド雇う常識ある点。後者を理解出来ず、現地文化へ馴染めない日本人は海外の各地に多いが松田には心配ない点で終える。家族を呼び寄せる前、マンハッタンに行き世界中の航空各社憧れ建物四十七階で会議をしていた。
「以上が空気を運び赤字になるくらいならば太平洋路線へビジネス及び、エコノミー・クラス格安運賃を造り販売したい理由です」。
松田のプレゼンに本社上級副社長は黙って聴いている、会場がざわつく。
「それで元が取れるというのかね?ミスター・マツダ」。
反論のすぐ出るのは百も承知でいた事に回答する。
「日本は既存のゴールデン・ウィークという四月下旬から五月上旬という他国にはない連休ありこの時と夏休みに年末年始しか連休を取れない国民性です。この三大連休へもう一つが加算されそうな気配です」。
 机の資料を目にしていない別幹部より声が出る。
「卒業旅行よね?、読みが鋭い」。
「その通り、ミス・京本」。
 会議場に紅一点の京本 君江は本社常務補佐、乗務員からの叩き上げエリート。
「ミスター・ブランソン、損得勘定話はここでは無。これだけ赤字である我々の路線を改善に彼は火中の栗を拾いに来たのですから」。
「しっ、しかしだね航空券はその高く・・・」。
エド・ブランソン本社旅客営業部長の表情は曇る。
「ミス・京本の発言通りだ。我々がパイオニアとなるべきだろう」。
マーケディング・オブ・バイス・プレジデント兼任のジェミー・笹川
より確認される。
「ミスター・マツダ、普通に考えてピーク・シーズンは相応に高額販売と解釈出来るが、その卒業旅行シーズンとやらは何かね?」。
 待っていたとばかりに松田は呼応する。
「基本的にオフ・シーズンの販売ですので弊社は他社より安く販売出来る事で日本の消費者へ海外に気楽な参加出来るPRをする事が出来ます。テレビCMへ費やす費用よりも安く上がりますし好評は口コミで乗客が増えます。安さは消費者へのセールス・トークとして武器です」。
 会議終盤を待たずして採決、格安航空券導入は現実となる。晴れて夢より現実になるもライバル各社に政府側の反応が気になる点も拭えない
気持ちをマンハッタン摩天楼夜景見ると忘れ去らせてくれる松田だった。

~想定以上・ダブルブッキングの悪夢~
 格安航空券誕生で日本庶民へ海外旅行は一機に身近な話題となった、同時に各社がこぞって同様な航空券販売凌ぎを削る方向へシフトする。
消費者へ喜ばしい話を快く思わない所も当然ある、これも日本らしい。
「お二人様、ご一緒のお座席希望で・・・申し訳御座いません」。
「はい、他人と予約が一緒・・・?、失礼致しました」。
電話の鳴りやまない片岡のオフィスは航空券販売後の問題が連続した、それはまさしく日本人利用者ならではなリクエスト集中である。手書きで指が血豆だらけで作成した航空券の苦労をお客はいざ知らずだった。
「社長、トーキョーもこちらでもオーバー・ブッキングの山でみんなが泣いていますよ!」
「ごめんな、僕では何とも出来ないから。本当にすまない」。
ただ謝罪しかない片岡、日系人や米国人社員雇ったが格安航空券のシートアサイン(事前指定予約)してくる日本人利用者のリクエストが我儘というのは確かにまっとうな話、規定運賃以外の出来ない事さえも要求する・呼応しないと日本人客層へのサービス獲得は持たない点は欧米メンタリティ社員には理解出来ない。例え米国生まれな日本人であってもこの点は米国文化で育っているので呼吸が合わないものだと片岡は痛感する。
「郁美さん、ちょっといいかな?」。
「何でしょう、社長」。
 藤田 郁美も日本で実務経験ある中途採用組、マルチ・ヴァィリンガル側面を買い米国スタッフへ片岡は大抜擢した。
「前の会社や学生時代の友達とかで、こっちに来たい人はいるかな?」。
「唐突ですね、でも・・・」。
引き出しのファイルを出して藤田は答える。
「欧州に憧れる人は多いです、フランスとかイタリアとか」。
「いいねえそのフランスへ憧れる人、連絡取れる?」
「フランス支店でも作るのですか?」。
ジョーク交えて藤田が呼応する、片岡はまんざらではない顔でいる。
「フランス語圏のカナダは同じ北米エリアでも候補だよ」。
「モントリオールとか?」。
「そうだよ、観光名所だしお得意様よりあの界隈はプロ・スポーツの
メッカだからいいんじゃないかって教わっているし」。
藤田は早速、エアーメイルを出して急ぐ案件は連絡可能なファックス番号に連絡しておいた。
「日本人のお客様は私達、日本人だけで対応したほうが良いのへシフトするのかしら・・・」。
               *

 満員電車並みに寿司詰め状態のバスは未舗装の悪路ラリー走行するかの埃立つデコボコ道を走る、その先は物々しい風景が見えてやっと成田国際空港到着となる。国際線搭乗前にこうも疲労する空港は世界中でここしかないであろう、夏休みの大混雑は格安航空券普及にある。大人気路線のハワイを筆頭に各路線が満員御礼。増便する路線も出る副産物もあったが搭乗手続きは空港来る前に済ませるが原則であるが、その例外さえもある、団体ツアー類は空港での航空券引き渡しでありこれがさらなる混乱招く。外資系航空各社は需要を伸ばしたが、予想していない問題をこれから直面してくる。
「私達四人は家族旅行なのだが、どうして座席はバラバラなの?」。
「新婚旅行を今日へ延期したのに、旦那と席が離れるのはおかしい」。
「飛行機で食べるご飯は日本食だろ?私は洋食じゃ食べないぞ!」。
 チェックインを受け持った空港の旅客営業部スタッフに無理難題が舞い込む、座席も最初は調整出来ていてもそのうち出来ずという塩梅。
「シート変更も大変なのにこちらで対応出来ない、ケータリングも」。
「お客様の前で失礼、笑顔・笑顔、仕事しましょう」。
旅客営業スーパー・バイザー 土井 貴子は部下へ耳打ちしながらチェックイン・カウンター行列の乗客を案内して回る。
 夏場は一日で約四万人がこの空港を利用する、お客様の年齢に性別を問わずハンドリングするのが自分達の役目。一人で搭乗する女の子乗客対応もする、これへは混雑の周囲も心が和む。
 北米路線各社出発ピーク過ぎた頃、土井の肩へ掛けた無線が響く。
「各責任者は大至急対応」。
混雑時期のフライト・キャンセルが発生、土井は徹夜勤務へと至った。
       ~理想と弊害・勝ち取れ~
 格安航空券の好評さに実際の利用時生じる見えない敵、多くを数字というデーターより読み取る松田はライバル他社より市場を奪うという急務もあった。後輩の片岡経営の旅行代理店はようやくニューヨークへ支店もオープンさせセールス行いやすくなり商談最中でいた。
「それでなあ、今後の展開はどう思うかを聴かせてくれるか?」。
「いつ、正規割引となるか?。あとは日本政府がいつ自由競争参加に
参入というか認めるかが鍵でしょうね」。
片岡は常に予約発券システムのモニターより目を離さない、ストップウオッチ秒針のように米国では航空券料金がコロコロ変化し高い料金と路線は売れないシビアな競争社会だからである。
「そこへ落ち付くか、それ以外だと・・・」。
「先輩、機内サービスの質を気にした事はあります?」。
思わぬ問いへ松田は言葉を失う。
「他社のお得意様でうちの常連さんがハッキリそこが劣ると」。
「うちの?どこがだい?どこと?」。
身を乗り出して尋ねる松田に片岡は実例を述べて伝えた。
「やられた、航空機の歴史が最も浅い同じビジネス・クラスを搭乗し比較とは反論の余地がない」。
「でしょう?、こういう人はお得意様とか言う前に大切にすべきです」。
そして国際線のみならず北米路線等の販路拡大を二人は戦略を練り、時間許す限りマーケット開拓し航空券を売りさばいた。
              *
 歳月流れ営業専門から兼務にて空港業務責任者も兼ねた松田には日本より研修・後に正規採用となる社員複数も部下として赴任する。園岩
順子はそそ子のあだ名がついたドジであった、お客様の要望等を最後まで聴かない早とちりが仇となる性格が都度、自分で痛い目に遭遇し世界玄関のJ・Fケネディ空港出勤初日もこれが出てしまう。
「ちょっと誰が責任者いない?」。
チェックインカウンターにて日本語が荒げて飛んだ。
「お客様、どうかされましたでしょうか?」。
同じく日本より赴任の神田 清司が対応する。
「どうもこうも無いわよこの女性職員、お客が身に着けているものへ
あれこれ言うなんて全く」。
これはバツが悪い、同じ社内の肩書であれ実は園岩が入社先輩であり、神田が競合他社より途中採用の後輩。場数は神田のほうが上なのだがさて・・・。
「パパさん、ヘルプお願い出来ますか・・・?」。
無線で呼ばれた松田がやってきた。
「どうかしたの?」。
「実はですね例の・・・」。
 神田より事情説明受けてその場を交代。
「お客様、弊社の部下が大変なご無礼を働いたご様子で申し訳ありませんでした」。
頭を深く下げた松田は尋ねた。
「東京へのご帰国でよろしかったでしょうか?搭乗手続きはまだとお伺いしておりますので私で代行させて頂きます」。
乗客へ名刺を差し出しチェックイン・カウンターに案内する。
「お客様、お荷物はこの預け荷物おひとつに持ち込みはおひとつ、お座席は窓側、通路側のどちらが宜しいですか?」。
 対応された中年女性乗客は驚き半分で窓側リクエストする。
「今日の便、C席空いているよね?このお客様はそちらへお願い」。
「はい了解です、C二十二番取れました」。
 航空券・パスポートを乗客へ返すと色違いの搭乗券が出て来る。
「この度はお手数掛けて恐縮です、今後も弊社をご利用お願い申し上げます。本日はビジネス・クラスへご搭乗頂きます、ありがとう御座いました。専用ラウンジに搭乗案内は専門係員がご案内します」。
 胸元に華を付けたコンシェルジュが出迎え乗客エスコートした、ホッと一息つく松田に神田が囁く。
「先輩のチャーリーさんみたいです」。
「そうか?、そういえば元気かなあ会いたいよ」。
「ご存じで?」。
「うん、ここへいれたのもあの方のおかげだよ」。
滑走路を離陸する機体を見送る空を見つめながら松田はかつて日本で過ごした日々を懐かしんだ。
「あのう・・・」。
「またやらかしたらしいなあ?」。
背中を丸めて園岩が近寄る。
「そそ子ちゃんね、ここは日本でないから一歩間違うとすぐ訴訟だよ」。
「はい、でも私はそそ子ではありません!」。
「皆、知ってるよ日本でも。俺は気に入ってるけどなこの名前」。
元来は乗客より揶揄されてついたあだ名が定着したものを本人のみ知らないというパターンだった。
「あのお客様もこちらへ良く来るしうちも時々、利用頂くから粗相の無いようにしないとね。ブランド物を着用や金払いが良いから良い対応等発想は止めようね」。
         ”栄光への摩天楼”

 在米生活も慣れた頃、初めてマンハッタンの夜を堪能した松田にあるショッキングな光景を目の当たりにする。世界の中心地へいるホームレスを目撃、だがその目つきは巷で言われたものとは異なった。
「何故、俺がここへいるか?このビルこそ俺の作った会社だからだ!」。
その言葉に言いようの無い重みがある、男の目つきは輝き失せていないむしろ餓えた狼のようだ。
「お前さん、マンハッタンの夜景が何故あるかご存じかい?」。
首を横へ振る松田に男は語る。
「ビジネスで天下を取る為に寝ないで働く奴がいるからさ、防犯上の理由は建前。観光客向けの理由、お宅もビジネスで来たなら前者でないとな!ここは何でもナンバー・ワン以外はダメなんだぜ」。
これは的外れでないと思った、敗者復活のある分だけ再挑戦可能であるが自己責任の国。果たして自分の母国はどうかと感じた。
以前に片岡との談笑でも同様な話を聴いた、徹底してナンバー・ワンしか価値のない国、金メダル以外は無意味と同様解釈ということか。後に
自宅でスポーツ・テレビ中継観戦しこの意味をより理解する、一等以外
二位もビリも同じ、それがアメリカのシビアさであり醍醐味と。
             *
 予想はしていたがいよいよ来た正規割引航空券導入と日本の国際線自由競争、つまりオープン・スカイ方向へと舵を切り始めた。市場開発の
先陣切った松田は役目終えて日本に戻る決意する。子供達の進学などが主なる理由で残れば確かに引く手あまただったかもしれない。しかし自分では未練はもう無かった。
「もっと価格競争は激化します、僕達の業界も危険水域になりますね」。
「わからん、そればかりは。優秀な営業担当いれば良い話だよ」。
 早朝よりコーヒー片手で松田と片岡という、格安航空券を世界一売った最強コンビが語り合う。
「なあ片岡、今朝は話あるんだ」。
「?」。
「三か月後に日本へ帰国する、生活用品返却いれたら四か月後だが」。
椅子より立ち上がった片岡は深呼吸する。
「これ使い、ここへ訪問して頂けませんか?僕の後輩がいます」。
一枚のメモにチケット・ジャケットを松田に手渡した。
「後輩の住所で実は松田さんが憧れの存在で支店を任せています」。
「そうなんだ」。
 店舗拡大話は聴いていたがここまでとはと呟く松田。
「彼には独立前提で開業させていますから、現地は僕より詳しいし」。
「有難う、恩に着るよ」。
 日付け無しオープン・チケットで松田が飛んだ先は帰国二週間前の、アトランタだった。
        ”水平線と地平線の彼方へ”

いつものように成田空港は卒業旅行シーズンを迎えていた、しかし最近傾向として利用者現象に頭を抱えている各社。ニューヨーク赴任とシンガポール赴任を経験した神田さえもこの状況は悩める問題となった。加えて大問題が発覚、若手営業マンによる企業へ損害与えるような格安競争勃発は格安航空券普及尽力した身としては唯唯しき事態でもある、そんなある最中でのことだった。
「神田君、今日の便で来日するゲストはどんな方?」。
「旅行代理店の方でパソコンの天才とかです」。
園岩マネージャーの問いに新顔、難波 敏行は答える。
「アトランタの自宅に招かれ行きましたよ」。
「えっ、君が?」。
驚く園岩に難波が答える。
「ラジオの番組も持っていてそこで知り合って交流ありまして今回僕のアパートに止まります」。
「あら~嫌だ、会社は宿を用意しなかったの?」。
聴くと各務 洋一から断ったのだという、空港のPCシステム修理の来日ゆえ、ホテルでは自由に使えないPC環境は不便である本音を難波が快諾してホームスティと至る。
「僕は各務さんと友人、合田さんの搭乗便を出迎えに移動します」。
難波は出迎えゲートに移動した、見送りつつ神田が語る。
「そういえばPC絡みでは随分と揶揄されましたよ僕も」。
「あらどうして?」。
「日本はまだキーボードを使うのか?欲しいなら上げるよ、とね」。
IT社会の変化は日本がハイテクだらけな空港でさえこうも格差あった。
                *
 時差ぼけも気にせず各務 洋一とパソコン仲間でもあるビジネス相棒合田 敏夫は依頼された空港内の故障した機材を修理終える。
「そもそも論で古すぎる機材なのですけど」。
「まあ、低予算でうちは頑張っていますので何とか」。
合田の声に各務は意見する。
「事前に秋葉原で用意してもらったパーツ等で済んだから安い、性能的には最新版クラスへ上げていますからご安心下さい」。
目を丸くして見る園岩に難波が解説。
「マネージャー、この程度は僕も自宅でしています」。
「へえ~貴方がねえ」。
 道具整理整頓終えた頃、常に電源入れてあるテレビに各携帯電話が激しく鳴り出し、建物が左右上下と揺れ誰かが叫ぶ。
「地震だ、避難指示を!」。
絶対的強度にて設計・施工されている国際空港が揺れる、袖壁が崩れ各ターミナルより悲鳴が響く、悪夢の時間となり長い滑走路も動くかのように見えブラック・アウトになり空港が麻痺してしまった。
「今、何時だ?」。
「午後三時前」。
「大変だ、着陸出来なくて皆がダイバードするぞ!」。
各務は冷静だった、機材の殆どが地震被害で使い物にならない、修理終えた直後機材は幸いに無事だった。問題はこの後さらに深刻さを増す、
「ダイバードする便が全部、新千歳へ向かわせたら大変だ。あそこの受
け入れ機能では持たない、コンピューター自体が足りたい!」。
「うそだろう!!」。
 懐中電灯、地図、あるだけの食料、予備電池、予備燃料と必要なものをかき集め各務達は車に飛び乗った。
「僕らは千歳へ向かいます、着陸待つ便が着陸出来ない予防策です」。
「しかし・・・」。
神田は今一つの表情でいたが園岩はうなずく。
「難波君、同伴しなさい」。
「はい、喜んで」。
上空待機する航空機を救うべく、ぶっ通しで車は走り抜けた。
彼らのリカバリーPCがあってこそ上空待機航空機は着陸出来た。
*
園岩 順子が日本支社へ出向いて辞表提出したのは震災収まった半年後の事。
「無謀だったのではないのでしょうかマネージャー」。
「誰かが判断して責任取るだけでしょう」。
自分を社内で育て上げてくれた先輩故郷の被災地となった事も心に重くなっていた。
「判らないのね多分・・・」。
「何がですか?」。
 答えにつまりそうな神田。
「私達の大先輩は故郷を失った地震で、私もね微かに記憶あるの地震と津波の怖さ」。
「・・・?」。
「日本海中部沖地震で大好きなじっちゃん・ばっちゃん亡くなった」。
 神田は初めて聴く園部の訛り言葉に驚きつつ、大粒の涙で泣き出す光景に驚いた。
「けれど大勢の人々を救ったと思う」。
「そうだといいな」。
                *
 日頃へ戻った各務達に驚くオファーが飛び込んできた、年棒二百万ドル以上にて大手航空会社と契約結ぶ内容である。無視しても失礼となるゆえに相手方へ出向いた。
「やっと決心してくれたかね?必要なら倍以上の金額は出すのでサインしてくれないかな?」。
書類とペンを出された各務がそれを止めて答える。
「有難いオファーですが結構、現状の人生を自分で開拓し楽しみたいのでこの金額は被災地などへ寄付して下さい」。
「えっ?、何が問題でも・・・」。
「いや、人に使われたくはないだけです。お心遣い有難う御座いました失礼致します」。
 一礼した各務は大陸横断バスにて新天地を求めて移動した。