すきなこと。−ピアノ編−

おはようございます。亜弓です。
昨日はじめてnoteに投稿してみて、意外とはじめましての方もどこからかたどりついて読んでいただけるものなんだなあということがわかりまして。
もう少しだけ自己紹介を続けてみようかと思います。
と言いつつ、今までそんなに意識して自己開示をしてこなかったタイプなのでおそらく学生時代の友達ですら知らないことだらけだろうけど。笑
今回はわたしの人生の主軸である音楽との出会いについて。

はじまり

わたしが生後間もない頃は、母がなぜか子守唄の代わりに竹内まりやさんの曲を聴かせて育てたらしく、自分でもしっかり記憶に残っているのが『SEPTEMBER』。
いやこれ失恋ソングですよね?というか何ならその男性浮気してますよね?
赤ちゃんの頃からそんなすり込みあり?って。笑
未だに失恋ソングが好きなのはこの頃の影響だと勝手に思い込んでいます。
そのほかはピンク・レディーとかキャンディーズとか。
今考えると見事に女性だらけですね。

ピアノとの出会い

わたしが4歳くらいの頃、自宅にヤマハ音楽教室の勧誘のおばさまが飛び込み営業をかけにやってきまして。
母の教育方針(自分自身が子どもの頃やっておきたかったと後悔していることを娘にやらせようというよくあるアレ)により、ピアノと書道は我が家の三姉妹みんな自然と習っていました。姉2人は即やめたらしいけど。
母に無理やり始めさせられた姉2人と違って、わたしの場合は「なんかおもしろそう!○○ちゃん(幼稚園の友達)と一緒ならやる!」とあっさり即決。
後日エレクトーンのグループ体験レッスンに行ったとき、両手両足を使って1人でめちゃくちゃかっこいい演奏をしている女性の先生に一瞬で心奪われ、「この先生ならやりたい!!!」と勢いよく宣言。
最終的にはエレクトーンのグループレッスンの後にピアノの個別レッスンもつけてもらうようになり、約10年間お世話になりました。先生元気かな。
仕事が忙しすぎて全然結婚とか出産どころじゃなかったのは幼いわたしでもわかったけど、そこまで打ち込めるものがあることがとにかく羨ましくて。

吹奏楽部とピアノ伴奏

次女の影響で「中学生になったら吹奏楽部でクラリネットを始める」ということを4歳の時点で決めていたわたしは、迷うことなく吹奏楽部へ。
先輩に選んでもらって部長もやってましたね。全然まとまりのない後輩たちにはかなり厳しくしたのでさぞかしこわい先輩だっただろうなと。笑
合唱コンクールは基本的に伴奏者として参加。
弾きながらソプラノパート歌ってたら先生に驚かれました。懐かしい。
でも何と言っても思い出に残っているのは自分が中学3年生の時の卒業式。
全体合唱の『大地讃頌』のピアノ伴奏をどうしてもやりたくて、音楽の先生に会うたびにアピールしまくって勝ち取った栄光。笑
あの頃、学校から帰ってきて毎日のように練習してたなあ。
絶対に叶えたいものが明確なときって無敵だよなと思う。
迷いなんかないし本当にそれしか見えてなかった。
そうやって無我夢中で追いかけて、指揮者と一緒にあのレッドカーペットを歩いて、泣きながらピアノを弾いていたあのときの感覚は未だに鮮明で。

まわりまわって

結局、中学・高校の6年間は吹奏楽部でクラリネットをやっていたし、実はひっそりこっそり高校時代にガールズバンドを組んでいたこともあってアコースティックギターとエレキギターもかじりました。
中学生の頃、YUIにハマってすべてのCDを集め、お揃いの真っ赤なギターを買ったはずなのにあまりにも上達しなくて実家に置き去り。笑
大学は特殊なカリキュラムだったのでまたがっつりとピアノに向き合うことができました。結局なんだかんだピアノが好きなんだよなあ。
そこでもまた素敵な先生と出会ったことで、ピアノの本質に触れたような気がする。
タッチひとつでこんなにも音が変わるなんて知らなくて、それを授業内の短い個人レッスンの時間で叩き込んでもらったおかげで、あれから鍵盤を触るだけで楽しくて仕方がなくなった。

おわりに

ピアノに関しては1番大事なエピソードがあるけど、それを語り始めたら止まらなくなるので今回はやめておきます。笑
こういう文章って読み手ありきだし、こんなこと書いても別に需要ないよなって思うけど、自分の人生を改めて振り返るのっていいかもしれないと。
それに自己開示はわたしの突破ポイントでもある。だからきっと必要。
今書きながらそう思えているので、まずは自己満足で。
「長文はゴミのように捨てられる」といわれるこの時代に、読んでいただける方がたった1人でもいることに感謝!
今日がそんな心優しいあなたにとって、より素敵な1日になりますように。

この記事が参加している募集

#自己紹介

233,787件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?