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この世は悲しいという信念

昨年末から
とあるセッションを受けているのですが
今日もその日でした。

5回受ける予定の2回目で
5回受けてみてから、noteにでも記事を書こうと思います。
なんとも不思議で怪しいセッションで
ドキドキしながら受けているのですが
受けたらわかる面白さ。
非日常な体験ができるので
目を開けたら
怒涛のような日常が流れてきて
この高低差にまた耳がキーンなるわ
と、
言いたくてたまらない今日この頃です。

毎回、キーワードのように
その時その時見える言葉があるんですが
今日は
「この世は悲しい」
「自分と世界との境界線」
「ずっとここにいたかったのになぁ」
「なんでわたし、今の自分でいるんだろう」

でした。

わたしには
「この世は悲しい」という
深い信念があるんだなぁと
思い出したというか、気づいたというか
あったよねぇ、あるよねぇ
そんなふうに世界を見ているよね

思い直した感じでした。

目を閉じた時の暗闇の中にあるのは
わたしの意識。

そこはとても心地よくて
「ずっとここにいたかったのになぁ」
という声が
どこからともなく聞こえてくる。
でも、わたしは目を開いて、
この世界で生きていかなくてはいけなくて。

生きていかなくてはいけないわけではないと思うけれど
命があるかぎり
そうなるじゃないですか。

命があることに感謝、
そんなふうに思ったところで
薄っぺらいんですよね。
もっともっと
奥深くにあるのは
「この世は悲しい」
これなんです。

どうしてそんな信念があるのか
それはわかんないですが
「あるなぁ!!!あったなぁ!!」と
気付けたことが今日の発見です。


思えば
写真にハマった理由もそこでした。

情報が多すぎるこの世界で
どうしても悲しいこと、怖いこと、不安に
大きく心を乱されるわたし。
思春期の頃から
随分と苦しい思いをして生きてきました。

そんなわたしが
カメラのファインダーの中には
写真の中には
自分の理想とする、
優しく美しい世界を見出せる。

見たいものだけを見ることができる。
だから、
ここまでずっと写真を撮り続けてこれました。

今日の気付きて
なんか、そんな信念を持ってるなんて
あんまりハッピーな人生過ごせそうにないやん。
と、
思ったんですが
そんな信念を持つ自分を
認めたというか許したというか
まぁいっか、あるよねそんなん。
うん、あるわ。
と思えたことで
ものすごく
自分が定まったというか
土台の部分が踏み固まった気がして
心地よさを感じています。

この世は悲しい。
その世界でわたしは何を見る?何を思う?どう生きる?

次のセッションが楽しみ〜。


〰︎ ⋆

˗ˏ ˋ3good things ˎˊ˗

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