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おたよりコーナー#20で読まれました

初めての方ははじめまして、そうでない方はおはようございますこんにちはこんばんは、どうも、神山です。今回のおたよりは、まさかの2通。1通目はいつもと毛色が異なるおたよりなので動画で聞いてもらうとして、2通目の方を掲載します。
確かに、より後ろ側にあるメタな何か(時代性?プラットフォームの特性?)などについて検討した方がより面白くなると思いました。リンク貼ったり書き足したりしたいので、どこかで完全版を出せたらいいなと思います。では、どうぞ!

さやわかさん、視聴者のみなさん、こんばんは、神山です。今回は高校生の頃からなんだかんだ見続けているゲーム実況動画について、ニコニコ動画からYouTubeへと主戦場を移したことで変わってしまったな、と思ったことをおたよりとしてお送りいたします(という導入で書いていたのに、突然ゲーム配信者の暴言が云々が流行ってしまいましたね・・・)。

さて、ゲーム実況とはなにか。ゲームをプレイすることと何が異なるのか、プレイするよりも優れている点はあるのか。まずは、ニコニコ動画でメジャーなタグである「実況プレイ動画」の項をニコニコ大百科で引く。すると、次のようにある。

実況プレイ動画とは、プレイヤーが実況しながらゲームをやった様子を収めた動画である。ニコニコ動画では人気タグの一つであり、約74万件(ニコ動全体の約13%)の動画が投稿されている。(引用者注:いつ時点の記載か不明)

https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E5%AE%9F%E6%B3%81%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A4%E5%8B%95%E7%94%BB?from=a_autolink_4195022

ゲーム実況について述べた文章として限界研編 『ビジュアル・コミュニケーション 動画時代の文化批評』(2015年 南雲堂)所収の飯田一史『「ゲーム実況って何?」とか「何がおもろいの?」とか言ってる時代遅れのお前らに、バカでもわかるように解説してやるよ』がある。

ここでは、2015年当時ニコニコ動画でもYoutubeでも存在感のあるジャンルとしてゲーム実況配信・動画が存在していることが示され、飯田は当時の10代20代には特別なものではなく、あくまで普通のものとして浸透している文化だと取材時に感じている。ゲーム実況動画の面白さについて、ゲーム自体(プレイヤー)の面白さとは異なる、動画(視聴者)の面白さが存在すると述べられる。つまり、プレイヤーとしては面白いゲームであっても動画的に面白くないことがあったり、逆にゲーム自体としては単調であっても実況者の語りによって面白い動画となったりするのだ。ゲーム実況動画はゲーム画面・音声と、それをプレイして反応を言葉にする語り・情報を補う動画編集をする実況者と、ゲームと実況者両方に対してコメントを送る視聴者の三者が同時に存在することでひとつのコンテンツとなっている。ゲーム実況の視聴については、積極的にコメントを行い動画にツッコむスタイルと、PCに限らずタブレットやスマホなどからラジオ的に、BGMならぬBGVとして「ながら見」されるスタイルが存在する。

ビデオゲームだけでなくボードゲームやマーダーミステリーのリプレイなども含めた、ゲーム実況動画は実況者のキャラクター、アイドル性に着目されることが多い。もともとニコニコ動画における収益化が、チャンネル購読やニコニコ超会議などのイベント出演、企業案件動画のアップロードやイベント参加、動画投稿・視聴とは分離した形で行われていたことにも起因すると推定されるが、少なくないのゲーム実況者はアイドル化、キャラクター化され、ライブイベントやトークイベントが開催されたり、グッズ販売なども行われている。作品への愛着ではなく、再生回数をを目的とした話題性・もしくは自身のアイドル性を強化する目的で動画を配信・投稿している実況者や、そのように消費している視聴者も多いだろう。

前述の飯田によるゲーム実況文化に対する論述は2015年のものであり、HIKAKINやマックスむらいといったYouTubeで活動する実況者の動画についても言及しているが、基本としてニコニコ動画上のコメントによるツッコミ文化からゲームプレイとは異なる動画視聴としての体験が発生していると述べられている。なぜならば、YouTubeでは生配信でなければコメントが映像と同時に読むことは難しく、あくまでゲーム本体と実況者の挙動だけが見る対象となるからである。実況者によるゲームへのツッコミと視聴者による実況動画へのツッコミという、ツッコミの二重構造はニコニコ動画の文化圏にあるものなのだ。現在では多くの実況者がメインのプラットフォームをニコニコ動画からYoutubeやTwitchに変えている。スマートフォン専用の配信アプリとしてMirrativが誕生したのも2015年であり、動画プラットフォームとしてのニコニコ動画は存在感を失いつつあると言える。

もうひとつ、ゲーム実況に触れた文書として谷川嘉浩『2010年代ヒット漫画に見られる饒舌と沈黙。だから炭治郎は感情や思考をはっきり語り続ける』を挙げる。ここでは、鬼滅の刃の主人公、竈門炭治郎の語り口がゲーム実況者やYouTube配信者に似ていると述べられる。この実況的な語りが要請される理由として解釈の単一性を担保するため、解釈の揺れをなくすためだと指摘する。

主人公が戦闘中に心中で発する台詞だが、感情や思考、体の状態を逐一報告しているため、絵がなくても何が起きているか明確に伝わる。こうした語り方は、意識の流れを読者に包み隠さずに見せる点で、ゲーム実況者やYouTube配信者の口調を思わせる。

https://chuokoron.jp/culture/118044.html

同じシーンが台詞を変えるだけでコミカルにもシリアスにもなりうるからこそ、解釈に揺れが生じないように、誰でも理解しやすいように、キャラクターたちは自分の感情や行動、判断を報告し続けるのだ。

https://chuokoron.jp/culture/118044_3.html

また、谷川は『異世界系ウェブ小説と「透明な言葉」の時代』で「透明性」というフレーズで、現在の異世界系ウェブ小説のタイトルのような、齟齬の起こらない説明的なコンテンツへのネーミングについても述べている。

一連の約束事を共有する鑑賞者にとって、キャラクターや設定、属性についての説明的な言葉遣いが表面に配置されること(=透明性)で、作品について具体的なイメージを持ち、その作品の魅力を効果的に理解することができる。〈中略〉コンテンツの持つ透明性は、内容に関する細かなイメージを効率的かつ効果的に喚起するための最適化の一つだと言える。

https://chuokoron.jp/culture/118833_7.html

これは、昨今のゲーム実況動画のタイトル(あるいは、過剰に大文字で装飾される動画サムネイル)にも現れている。例えば最終兵器俺達キヨはニコニコ動画で『自分の『声』で操作するゲームを実況』という動画をYouTubeでは『自分の「 声 」を使って進んでいく探偵ゲーム『 デカボイス 』が面白すぎる』と、もともとの動画名に近い形にしながらも後者では「探偵というジャンル」「ゲームタイトル」あまつさえ「面白さ」といった情報を加えている。検索などによるヒットの確率を上げるためかもしれないが、結果として谷川の言う「透明な言葉」に近づいている例と言えるだろう。

ニコニコ動画とYouTubeというプラットフォームの違いは、単に同時に再生されるコメントが内包された動画とコメントが外部に置かれる動画、という違いだけでなく、投稿後から視聴までの間についたコメント=ツッコミによってゲームや動画の意味が書き換えられていくという変化の有無という違いがある。動画タイトルの相違も踏まえた上で、2022年現在では多くの動画が、飯田が述べるツッコミによって解釈が広がることを楽しむというよりは、谷川が述べる透明化によって解釈の揺れを避け、シェアするようなかたちで楽しまれていることが多いだろう。

これらを踏まえて、今後のゲーム実況動画はどうなるかということについて考える。まず配信ではなく投稿動画に着目すると、基本的にゲーム実況動画の長さは概ね15~30分程度である。もちろん短いゲームであれば単発の動画としてアップロードされているものもあるが、ひとつのゲームの完結までに数十本の動画で構成されることもままある。プラットフォーム変更に伴う過去動画の一括アップロードなどは一本のゲームで6時間や10時間といった動画としてアップロードされることも少なくないが、基本的に撮影後編集されるものについては、長くても1時間弱程度、アニメ1話分程度というのがオーソドックスである。但し、ここ数年で1時間超えの動画にシフトした実況者も見受けられる。実際にゲームをプレイし、ストーリーやセリフを省略せず音読すれば当然結構なボリュームとなることから、この長さは単にゲーム自体が持っている情報が映像作品や小説と同じか、それ以上であることに過ぎない。

しかし、数十時間に及ぶ動画内部における、ゲームのストーリーの噛み砕き方、アレンジの仕方などについて注目するのであれば、自身でプレイするよりも、ゲーム実況動画の方が丁寧に読み上げ、読み込んでいる可能性がある。一本道に見えながら複数の経験があり得るというゲームの特性は、複数の実況者が同じゲームをプレイするという、複数のゲーム実況動画があることで、よりわかりやすく提示することも可能だろう。ゲーム文化にアクセスする方法について、直接コントローラを握り、物語へ介入する錯覚を得ることは、すでに決まった物語を追いかける映画や漫画といったコンテンツや、演劇や舞台といった観客が物語を展開する空間に同居するコンテンツとも異なる。しかし、ゲーム実況動画はプレイするゲームを映画や演劇の形式に近づけるものとなっている。

いっぽう配信ではいまもまだコメントを反映するかたちが多く、アイドルやコスプレイヤーが配信しているアプリ(ポコチャや17ライブ)はニコニコ生放送的なコメント同期型をとっており、バーチャルYoutuberの動画は収録動画よりも配信が多い(※参考:人気VTuber139名の徹底分析でわかった 動画やキャラクターの傾向とは ―kamui tracker調査)ことなど、ニコニコ動画的な文脈がなくなったとも言い切れない。シラスにおける物語評論家・さやわかによるゲームプレイを伴う配信や、軍歌研究者・辻田真佐憲のような総合知的観点からゲームにおける史実や人物の扱いについて語る配信などが示すように、プラットフォームによって異なる展開がいくつも考えられる。

2020年代以降も公式/非公式、事業/趣味問わず、多くのゲーム実況動画が上げられることだろう。ニコニコ動画全盛期の、動画がコメントにより脚色され新しいミームやMADが生まれるようなものではなく、視聴者が完成されたゲーム実況動画を見、折り目正しく実況者が製作者の意図通りゲームをプレイする、という遊びのないものかもしれない。長時間の配信すら切り抜き動画となり、面白い部分しか見られなくなるのかもしれない。しかし、ニコニコ動画からYouTubeに遷移したように、今後もまたどこか別の場所で、別の方法で新しいゲームの楽しみ方を提示する、ゲームを遊ぶことそのものに視聴者を回帰させるような動画が生まれる可能性もある。一面的に実況者がアイドル的な消費のためにゲームを踏み台していると考えるのではなく、e-sportsやRTAとも異なるゲーム文化を伝えるものとして、ゲーム実況動画は今後も存在し続けるだろう。

長くなりましたが、お読みいただきありがとうございました。

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余談!収録動画については多くの動画がTikTokやショート動画などで短時間化が進んでいるのと逆行してゲーム実況が長時間化しているのは、単にゲームシナリオ自体の長大化とは異なる力学が働いているのかなと思いました(文化的な多様性ではなく、単なる広告収益の回収率の問題かもしれませんが)。また「踊ってみた」がオリジナル振付をつけてみたものから、公式振付を完コピするものへと変わり、現在は音源すらも同じものを参照できるTikTokが最前線にあることも、ツッコミから透明化という流れにあるのかもしれないと思いました。余談おわり!


また次回お会いしましょう。
ではでは〜

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