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おたよりコーナー #24で読まれました

函館旅行、楽しかったよ!どうも、神山です。

恒例のおたより公開、函館旅行に行っていたのでアーカイブで見ました(シラスアーカイブで楽しもう!という文章を書くからな、絶対)。今回のおたよりテーマは「料理」。送る前に見たカルチャーお白洲書き方講座に則り、ガシガシ文章を短く、語れ切れないことは消した形のおたよりにしました。函館旅行のまとめ記事も作ろう、北海道に来るなら今!って言おう


さやわかさん、おたより戦士のみなさん、こんばんは。神山です。先週はAmazonアプリからKindle本が買えなくなった悲しさによりおたよりを書けませんでした。立ち直っておたよりを書いている今、まだゴールデンカムイの最終話は公開されておりませんが、おそらくバチッと終わっていることでしょう、楽しみです。いま私は最終エピソードの舞台である函館市は湯の川のホテルでゆっくり過ごしているはず。ゴールデンカムイの(フランチェスカの)聖地巡礼ではないですが、桜の時期なので五稜郭に行ったり、晴れていれば函館山で夜景を見たりと、勝手に聖地巡礼となっている気がします。

さて、今回のおたよりは全然北海道とも函館とも関係なく、カルチャーお白洲を見ているときは大体コメを炊いていることから、料理についてのおたよりです。

料理は誰もが参加でき、誰もがオリジナルとなれる、面白いものである。一方で料理の印象は特定の属性、こと家庭料理であれば専業主婦と紐づいていることが多かった。今では「古い価値観のもの」として非難されるものになりつつあるが、家で料理をする女性・仕事から帰ってきて食べる男性というような広告も多く存在している。

当然自炊を日常的にする男性も存在するし、自炊をしない女性も存在する。今のアタリマエに対して変化していくレシピ本について述べた記事として『いま、レシピ本に起こっている「変化」の正体…新しい読者が求める「3つの要素」』 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/88770 がある。ここでは「原理原則を明示したレシピが最近まで少なかったのは、『説明が長いと嫌われる』『女性は論理的思考が苦手』という思い込みが、作り手の側にあったからではないのか」「男性が家庭料理の世界に参入し、原理原則を求めるようになってようやく、こうした説明を行うレシピが発表されるようになったのである」と述べられる。

記事にある通り、「感覚的とされる女性像」から離れた料理についての言説は増えつつあるだろう。たとえば『最高のおにぎりの作り方/樋口直哉』https://www.kadokawa.co.jp/product/321910000100/ は、理論的な書き口で料理へアプローチするレシピ本である。家庭でできる調理法とその解説のなかで、加熱における化学変化や酸とアルカリの反応、五官のバランス、熱による性質の変化などから、秒単位で加熱をすることや、%単位で調味することなどを求める。

『【保存版】料理初心者に向けて、料理をフローチャート化した「図解レシピ」を開発しました。』  https://note.com/cookboy/n/nb4adcef65a6f という記事もある。これは料理男子のためと題され、複数レシピの調理工程をフローチャート化し、同時に二品以上の調理を進めるというもの。食材の化学反応や物理的な変化だけなく、調理過程における工学的なアプローチも理論的な方法のひとつである。

理論的ではないレシピとして最近注目を浴びたものもある。たとえば、土井善晴の「味噌汁には何を入れてもいい」、滝沢カレンの「お砂糖を笑わない量ギリギリ入れる」といった表現は、理論的な計量や計算とは一線を画す表現である。当然、感覚的なものであっても女性的というわけではない、というレシピである。これらは著者の個性が溢れた結果、常識から外れながら、料理の本質を射抜いた言説・レシピとして扱われている。

一級シェフがやる高級店であれ、大量生産型の大衆居酒屋であれ、客に等質な料理を提供するサービスに科学や理論は溢れている。栄養士は男女の比が1:9と言われており、女性が圧倒的に多い職業である。レストランや居酒屋の従業員が男性に偏っているかといわれれば、そんなことはないだろう。職業としてのシェフが男性であるイメージも古典的なものである。仕事としての料理・調理という工程では原理原則に従う女性は少なくないにもかかわらず、家庭料理はそれを反映していない。レシピは出版業界が持つステレオタイプ的な主婦像に向けられたものが多かった。

「家庭料理」のレシピにステレオタイプな女性像へ向けられたものが多く、ターゲットの拡大を目指して理屈っぽい男性像を選んだのかもしれない。結果、理論的なレシピが増加し、生まれた多くのレシピ本は、多様性・多数性の重要さを示唆している。根本原理としては「理系男子らしさ」というステレオタイプが駆動していることに注意する必要がある。「理論的な女性」が発見されたり、ステレオタイプに囚われない多様な読者が想定されたというわけではない。

前述した土井善晴や滝沢カレンのレシピは、料理研究家、料理人あるいは芸能人個々の思考や戦略が出版業界のルーティンから外れたことにより、「男性」「女性」「感覚的」「理論的」といった型に囚われない表現・レシピとなった例ともいえるだろう。

ステイホームが流行ったことにより、飲食店での外食が減り、出来合いのもの買ってきて食べること、自炊することが増えているだろう。とりあえずウェイパーを突っ込んだり、やたらとスパイスを買い込んでカレーを作ったり、自然食に凝ったり、ひとによって様々な料理・調理がある。その結果、レシピは一冊単位でなく一品単位、クックパッドやクラシルといったレシピ集約プラットフォームが脚光を浴びているのかもしれない。作り手が自分にあったレシピを選び、作ることが、多様で、面白い料理体験を生み出す。伝統的な料理やレストランで振舞われる料理も文化だが、料理を作ること、レシピを作り伝えることもまた文化だろう。料理は誰もが参加でき、共有したり、アレンジを加えられる面白い営みなのである。

お読みいただきありがとうございました。

ゲームはプレイヤーがいなければゲームとして成り立たない、という芝村裕吏さんとのゲンロンカフェでの話や、小中高の家庭科の授業の話なども入れたかったですが、御しきれなかったので削りました。ゲームと言えば、いずれおたよりに書こうと思っておりますが、いま私がプレイしているスマートフォン向け2DアクションRPG「ガーディアンテイルズ」初のコラボ作品として「スレイヤーズNEXT」が選ばれました。操作可能キャラとしてリナ・ガウリィ・ゼロスが登場するらしいです。今、本当に令和だよな…?ガデテルの対象年齢に疑問を抱きつつ、引き続き明日の函館観光を楽しもうと思います。では、よいゴールデンウィークを!


おたよりに書いてましたが、ゴールデンカムイ、いい終劇でしたね。こちらについても(多分フランチェスカに絡めながら)いずれ書きます。

ではでは。

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