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「暇と退屈の倫理学」のこと

ウナギやマグロを無闇に獲ったり食べたりしないってことですよ。どうも、神山です。

今月末(8月1日のこと)の読書会のLatteさんセレクト課題本が「武器としての『資本論』」に決まりました。今回はオンラインのみの開催となります。ふらっとご参加ください。

今回は6月課題本だった「暇と退屈の倫理学」の話をさらっとしていきましょう。Latteさんセレクト本ですが、僕も前々から読んでいた本だったので…。

ざっくりとした内容はコロンブスさんのじんぶんTV動画で。

僕がこの本を買ったのはちょうど増補新版が出たタイミングで、読むのにだいぶ時間がかかった覚えがあります(2015/4/23読了だったので、多分3週間くらいかけて読んでた)。けれど、ニコ生思想地図の國分さんの回(懐かしい単語ですね、ニコ論壇)で、本書の結論については過程が大事であり、要約して結論だけを抜き出してもあまり意味がないと言っていた覚えがあり、がんばってよみました(中動態の世界はまだ読めていません・・・)。

この本は、暇や退屈といったものがなんなのか、という話をしながら、同時に哲学とは何か、「哲学する」とは何かということを、様々な哲学者や哲学、世界観の話をしながら、ひたすらに展開してゆきます。

本書では、消費社会における贅沢(無限に記号を吸収すること)とは異なるかたちの贅沢として、自分の生活を芸術で飾るために、芸術作品を味わうことの訓練が日常的に行われることによる贅沢のありかた(よいものを、よいものとして手にしていくこと)が示されます。

芸術作品を味わうことの訓練、というフレーズに近いものは、これまでの月末読書会の課題本のなかでも何度も出てきたもの(「小説のストラテジー/佐藤亜紀」「音楽入門/伊福部昭」、「なぜ脳はアートがわかるのか ―現代美術史から学ぶ脳科学入門/エリック・R・カンデル」etc……)でした。

この時の読書会はオンラインのみでの開催で、実際自粛などにより暇や退屈に晒される、という経験のなかで行われました。そのなかでは、サブスクタピオカを情報ではなくマテリアルとして摂取する話(消費の代表例っぽいタピオカでも浪費っぽい扱いができるよ)や、ウナギやマグロやサンマの乱獲は許せない話(天然資源の乱獲、先に消費者の欲望があるという状況、あまりにも記号的に資源を消費しすぎている)が出たりもしていましたね。

まだ読み途中ではありますが、おそらく『武器としての「資本論」』でも、近い話が出てくる気がしています。第一次産業従事者でもないし、資本主義経済に囲われているわれわれがどのようにして、資本主義的な「消費」と向き合えばいいのか、そういう話ができればいいですね。

サブカルはたぶん資本主義には勝てない。けど、負けない方法はあるかもしれないから……。というか、趣味をもっと主要な生きる理由とかにしていきたいんですよね。

ではでは。

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