『朽ちていった命』
今日は東海村JCOで起きた臨界事故から25年だそう。
先日急に読み返したくなって中古で購入した本書。久しぶりに読み返してみて、改めて放射能の恐ろしさを実感した。
事故が起きたのは茨城県東海村にあったJCO。
ウラン燃料の加工中に起きた人災である。
マニュアルにない手順で加工を行っている時にウランが臨界に達して作業員が被爆。
本書はその内のお一人の闘病記録が克明に書かれている。
愚かしく悲しい事故により、尊い命が喪われていく様は原子力の危険性と恐ろしさを私たちに教えている。
JCOの管理体制の甘さと怠慢が引き起こしたこの事故。
文字通り作業員の命は朽ち果てて行った。
事故直後は話も出来て、被爆したとは思えないほど元気だったのだそうだ。
しかし被爆の影響はDNAレベルで細胞を破壊し、皮膚は剥がれ、骨髄移植した健康な細胞も破壊されて、様々な治療を施しても効果は現れず作業員の命は喪われた。
医師も看護婦も不眠不休で治療にあたっていて、朽ちていく命を見守り続けた。
家族は折り鶴を折り、回復を信じて祈り続けたが、その祈りが聞き届けられることはなかった。
亡くなった作業員は生きておられれば還暦だそうだ。
時の流れは残酷だ。
今、福島第一原発の事故処理が行われているが、たった数グラムのデブリの取り出しさえ、放射能に阻まれてまともに出来ない現実がある。
廃炉までの道程は余りに遠いと言わざるを得ない。
私たちは今こそ原子力の現実に真剣に向き合わなければならないのではないだろうか。
政府の原発再稼働への動きは現実的なのか。
チョルノービリ原発事故の後は分厚いコンクリートに覆われて厳重に管理されているが、ウクライナ侵攻のなか、危険に晒されている。
人間が手に入れるべきではなかった、管理出来ない力。それが原子力ではないのか。
今一度立ち止まって考えるべき時が来ていると思う。
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