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松原豊写真展「村の記憶/まえとあと」展覧会評

松原豊写真展「村の記憶/まえとあと」展覧会評
記憶の結び目

PHOTO GALLERY FLOW NAGOYA
中澤賢

 三重県津市美里町三郷のgallery0369にて、2023年12月15日から2024年1月7日まで開催されている、松原豊写真展「村の記憶/まえとあと」にトークイベントのゲストとして参加させてもらいましたので、鑑賞レビューを以下に記します。

 「村の記憶」は、gallery0369オーナーである松原豊の代表作で、数年前に行われた市町村の大合併の時に、近隣の市に統合される村を撮影した作品である。

 大判カメラを使い、風景や祭事、葬式などを含めた村での光景を、人間の眼に頼らずにカメラの眼によって粛々と撮影を行うのが松原のスタイルといっても良い。

Photo by Hiroyuki saito

 今展示は「まえとあと」というサブタイトルが冠されている。松原が「村の記憶」の撮影を始めるより以前に撮影された写真が、同ギャラリー内にて同時に展示されているのがその所以である。以前の写真は、松原が名古屋ビジュアルアーツの学生だった頃に撮影された卒業制作「ふるさとなまりの言葉をそえて」や、卒業後に撮影を行っている「東濃物語」など、松原の制作に携わる足跡が会している。
松原作品の特徴は、土着の光景を撮影している。その中でも、「村の記憶」が松原の代表作になった理由と、今展示の狙いを深読みして行こうと思う。

 松原は撮影者の主観を排除し、作家の眼ではなく、カメラの眼に委ねることで、我々の感傷に訴えかけることはない。カメラの眼、カメラ・アイについて、写真研究者の清水穣が以下のように語っている。

 ベッヒャーにも近い新即物主義の美学は、できる限り人為を切り捨て、客観的な対象の尊厳をそのまま定着させようとする。人間は見たいようにしかものを見ないから、信頼できるのはカメラ・アイのみである。芸術家としてではなく科学者としてありのままの世界に向かい合うために、きわめて単調で一貫した方法が選択され、こうして影も反射もなく、夾雑物を省き、無表情でシャープなピントの白黒写真が正面から撮られるのである。

清水穣著「白と黒で -写真と……」株式会社現代思潮新社 2004年 p13-14

 我々人間は、分かっていても自分の固定概念やアイデンティティを覆すことが難しい生き物である。松原の作品は、一貫してカメラにその主観を任せることで、主体をイメージから鑑賞者へ引き渡す。写真から読み解ける世界の在り方をニュートラルにするように制作しているのだ。

 そのような作品の中でも、特筆すべきは葬式の写真であると感じた。村の住人の葬式中に撮影された写真である。
写されている男性2人からは、一切の感情が読み取れない。2人は、立ちながら竹製の葬式飾りか何かを片手で持ちながら、ただそこに立ち尽くしている。
 主観や感傷から大きく逸脱したスタイルを維持しながら、葬式で撮影された圧倒的な違和感を含んで立ち竦む2人の写真は、無くなりつつある村と亡くなった人との対比構造として注目に値する。
 松原が撮影した場所は、市に統合された現在でも同じ姿でそこにあり続けるかもしれない。しかし、村の姿としてはもうそこにはないのである。そう考えると、これらの写真は「村の遺影」にも見えてくる。村が亡くなることを正面から捉え、村の尊厳。村の文化を積み上げるように撮影をしているのである。

Photo by Hiroyuki saito

 また、先日PHOTO GALLERY FLOW NAGOYAで行われた「作家とコレクション展」での展示では、一部「村の記憶」の写真が展示された。ここでは、すでに発刊されている村の記憶の写真集(2011年月兎舎)にクローズアップし、「縦と横」を「楔と記憶」の関係性として言及していった。(PHOTO GALLERY FLOW NAGOYA YouTube参照 : https://youtu.be/gjZgmGFjbAs)。
今レビューでは、サブタイトルである「まえとあと」について言及したいとおもう。

 今回の展示が、「村の記憶」を起点として、前と後で撮影した写真が展示してあると言うことは理解するが、わたしはもっと違う視点があると感じた。
 写真が現実と似たものを留めるイメージとして考えたとき、撮影した瞬間からその写真に写っているイメージは過去のイメージである。そう考えると、今展示での写真は、「前ともっと前」ということになる。「村の記憶」のイメージはすでに以前の写真で、学生の頃の写真はもっと前ということだ。ではサブタイトルに冠してある「あと」の所在はどこにあるのであろうか?

 松原は村の尊厳を撮影していると上記で述べた。村の尊厳とは村固有の価値。村らしさである。村ならではの文化や風土こそが村の尊厳である。
 松原は写真家として活動しながら、三重県津市美里三郷にgallery0369をオープンさせている。その他に写真好学研究所というワークショップやLabo0369という暗室講座。隣接する古民家Hibicoreでの宿泊体験など様々な文化をこの土地で育んできた。今回のトークイベントにも20名近くのかたが来場されて、熱心にメモをとる姿が印象に残っている。
 松原が「村の記憶」で撮影した文化が、現在のこの場所で文化に接続し、目に見える形になったのだと感じた。村の文化は、現在でも受け継がれ、松原の周りで結び目を形成している。「村の記憶」は形を変えながら、市に統合した現在でもしっかりと、その地で円環的に文化を結び続けているのである。

Photo by Hiroyuki saito

 市町村の合併という事業が一時期に進められた。効率化や経済問題、少子高齢化など問題は多数あったとは思うが、目には見えない境界線を統合し、村という集合体は市という形に変容した。
 なぜ元々そこには村が必要だったのか。村とはなんであるのか?集団と個の関係性。文化と創造的な世界とは?という問いかけであると松原の作品を鑑賞して私は強く感じる事になったのである。


gallery0369
松原豊写真展「村の記憶/まえとあと」
三重県津市美里町三郷369番地
gallery0369 : https://gallery0369.jp/
Labo0369 : https://labo0369.com/
Kominka Hibicore : https://hibicore.com/home/

PHOTO GALLERY FLOW NAGOYA
愛知県名古屋市中村区名駅四丁目16-24 名駅前東海ビル207A
https://www.photo260nagoya.com/

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