見出し画像

国旗と国歌と近代史

国歌について
その選定の歴史や基になった歌を教えれば、人々がいつまでも平和で栄えていくことを願う賀歌で、平和的な精神を謳うもので、特定の人を崇めるような狭い精神性のものではないことは明白です。
歴史を正しく教えれば、平和的な精神を穢されることはないでしょうから、教師は要らぬ心配することなく、国歌について、その元来の意味や選定の歴史をあわせて教えて下さい。そうすれば誤解が減るでしょう。

国旗について
普遍的な太陽をモチーフにしたデザインそのものを否定することは、それこそ息苦しい思いを他人にさせることになることに気付くべきでしょう。
太陽は恵みでもあり、また日照りをもたらす存在でもあります。砂漠に行けばときに恨めしくも思うかもしれません。
それでも無くなることがない、どこの地域でも、共に生きていくことになる大いなる自然の象徴的存在の一つです。
そういう自然と共に生きていく気概と覚悟が、ときに災害と共に生きていかなければならない私たち人類にとって、大事な心の強さをもたらすと思うのです。
自然の恩恵に感謝を持つとともに、人間にはどうにもならない自然の偉大さに畏怖を忘れず、向き合っていくことが、旭日旗、旭日章や日の丸に向かうことで、正され奮い立つ思いを、私はもつのです。
国旗のモチーフとして、自然の象徴的存在、太陽を選んだことは、素晴らしい選択であったと思います。
誇りをもって、これからも掲揚を続けていきませんか?

以上が動画につけた私のコメントの再掲を微修正したものです。

さてオリンピックなどの平和の祭典でも改めて思うのですが、もしも国旗や国歌がなかったら、自分たちの国にはなぜないのだろうと、少し残念な気持ちになりませんか?
昔の時代の人たちも儀礼的な交流の場で、必要性を感じたから、国旗や国歌をつくろうという機運が生まれたのです。
そして、今なら、その歴史的資料が比較的容易に確認できます。
国歌が戦争を起こす原因になるはずがありませんし、特定個人を崇拝させるものではないことも明白です。また、もしもそんな形で利用されるような杞憂をお持ちになるなら、フェアに正しい歌の意味や由来、選定の歴史を教えれば、それだけで平和的なものだと知ることになるでしょう。
江戸時代の婚姻の席や長寿のお祝いの席などで、一般民衆が口にしていたフレーズで和歌がもとになっています。君とは、その席で祝福されている宴席の主人公や集まった人たちをはじめ、一人ひとりの人々、私たち、あなた達自身、皆さんを指すのです。どんな人も、そこに居合わせた皆さんをはじめに、みんなが、いつまでも常永久に栄えていくことを願う歌といえるでしょう。
時代によってはラブレターのフレーズとしても使われたという記録もあるようなフレーズがもとになっているのです。
逆に言えば古来から人の願いは、普遍的には根源的には、あまり変わっていないと言えるのではないでしょうか。
戦争に利用されるとか杞憂するくらいなら、歴史的背景や謂われを正しく伝えることです。
子どもたちも、そこまで愚かではありません。正しくフェアに伝えれば、理解してもらえると思います。
私は義務教育(基礎教育)で、残念ながら近代史をまともに学べませんでしたから、自分で学び直しました。
被爆者3世としても、歴史的背景を出来得る限り正しく受け止めようとしてきました。
人によって、教えてくださった先生によって、用いられた教科書によって、認識のずれはあるとは思います。
今の時代は、情報量が多くて、ときに嘘もあるのは問題ではありますが、インターネットや書籍に、文献として、いろんな記録や参考資料が確認できますし、それこそ国内外の立場を超えた、情報に触れることができます。

今の自分たちの状況が恨めしくて、あるいは隣の芝生が青く見えて、羨ましく思ったり、その恨めしさや羨望が転じて、妬みや僻みや嫉みになって、攻撃対象をつくる人が一部、残念ながら居らっしゃいます。世の中の理不尽さを誰のせいにもできないことも多いのに、そのストレス発散の対象を特定個人や国家を対象にしてしまう人たちが、一部居ます。また残念なことに、お金や自分たちの権威や立場にしがみつく人たちもいらっしゃるのです。
そして、それがヒステリックになることが、エスカレートすることが良くないことは、時代も地域も越えて万国共通の認識なのではないだろうか、というのが、私の認識です。
興奮することやアドレナリンがでること自体は、悪とは思いません。ヒステリックになることが、そのエネルギーが、間違った認識の元に歪んで、周囲を巻き込むことが不幸なのです。ただ否定したいがために否定しているのです。
それは自虐史観というよりも、お互いを仲違いさせることで、武器を売って、儲けてきた人たちの策略にはまってきたことが一番の不幸の元です。
それを退けるには、前提として、お互いの歴史やときにニュースで伝わる事件への認識のずれのもとを確認し合うことが大事な作業になると思います。

私たちは識字率も十分あがって、自分たち自身で、確認できる時代に生きています。
自分にとって、こういったことを確認することが大事だと思うから大切に真摯に向き合ってきたのです。
それは変わることはありません。
国旗も国家も、歴史的背景や伝統を踏まえれば、平和的な精神の発露であって、また繁栄や大漁を祈念するなど、みんなにとっての幸せを求めることが根っこにあるわけで、戦争をするためにつくられた訳ではまったくありません。
ですから、一部の人たちが、戦争を想起させて不快になるからといって、他の人たちが大事に大切に扱うことを、無理に止める理由にはならないと思うのです。
ましてや教育者が、そんなアンフェアな姿勢では良くないですよね?と言っているに過ぎません。
国旗国家として、法律が整備されたことは、一部個人の忌避感を、教育の場に持ち込んで問題になったことがあるので、良かったと思っています。
個人的なことですが、本日、不惑の年齢になりました。
これらの問題に、もう惑うことはないようにしたいと思っています。
2021/08/21

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?