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おもいだしかんげだしの感謝

ある日曜日。所さんが情熱大陸で「一番大事にしてるのは夕飯」と言った時ドキッとした。

私は一体なんだろう…

しまった思い浮かばない…かわりに浮かんできたのがワーカーホリックという言葉

あーあ思い浮かばないって…やっぱり私は仕事人間だったのね…

「何を今更」と言われそうで、ダンナさんには言えなかった笑

そっと手帳の中で呟いて、開けた携帯

noteしてみることにした

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1.ワーカーホリックを調べてみた

例の如く、まず言葉の意味を理解しようとググってみた

生きがいのことをテーマにしたこのブログもよかったらご参照ください。このブログでも「生きがい」をググりました笑
https://note.com/phnnose/n/n2434b819409c


すると、「ワーカーホリック」と似た言葉で「ワーク・エンゲージメント」という言葉を知った

引用:ワーカホリック(英:Workaholic)とは、生活の糧を得る手段であるはずの職業に、私生活の多くを犠牲にして打ち込んでいる状態を指す言葉である。ワーカホリックは「私は働かなければならない」(I have to work)と認知しており、一方でワーク・エンゲージメントは仕事への態度が肯定的である、すなわち「私は働きたい」(I want to work)であるという点において区別される

忙しさも、「仕事をしなければ…」と「仕事したい」という「不快」と「快」でワーカーホリックかワーク・エンゲージメントか区別されるらしい

「せねばならない」と「楽しい!」

「モヤモヤ」と「ワクワク」

なんと!わかる気がする。紙一重の揺れる概念。

多分、やること一緒でも体調とか周りの環境とか人間関係とか同じ日なんてないし、自分のキャパシティも変化するんだよね

ただ、キャパいっぱいいっぱいで活動していても「そのミッションで大切にしたいこと」を大事にされているとモヤモヤがワクワクのスパイスになるけど、蔑ろにされるとモヤモヤがワクワクを飲み込んでいくんだなって思う。

「大切な物を大切にされる」感覚

あー所さんの「夕食」ってそういうことなのかもしれない!

揺れる状況を一旦落ち着けていく場が「夕食」だったんだー

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2.私の場合は…なんだろう

思い返すと、ここ20年ばかし、忙しくない時がない時間を過ごしてきた

でもワーカーホリックになった感じは薄い

仕事は3年サイクルで法律が変わるし、人と関わる仕事は自分のペースで仕事なんて出来ないことも多い。よくうちのチームのメンバーに今日やろうと思っていたことが朝の電話でぶっ飛んだ!とわめいていた。事務作業が中断して、誤字脱字が多くなることもある

それも誰かがきづいてくれる

いろんな事をいろんな人がカバーしてくれた

企画したことに賛同し多くの先輩、後輩たちが携わりサポートしてもらってきた。

スイッチがはいり必死に訴えることを、とりあえず聞いてくださった方も数限りない。

5年目くらいの頃予防接種法の改正の時、事務職が異動になってどうしても納得いかず、町長室に飛び込んでいったこともあった。

助役と話をしていた町長

「まあ、かけやん(座りなさい)」

そういわれて町長は嫌な顔せずに、自分が人事の時に大事にしていることを切々と話してくださった。

「あんなぁ、あたしはこうおもと…あなたは専門職として町民の方々とたくさん会って技術を高めるのが大事。それと同じくらい事務方は異動でいろんな事業を知ることが大事。法律が変わる時は特にだれでも勉強せなならん。前の人の真似じゃすまん。じゃっで、現場はのさんかもしれんどん(大変かもしれないけど)勉強をみんなですれば、よか案もでっで(でるから)。きばってもろごっち考えたとうなぁ(がんばってもらおうと考えたんだよなぁ)」

とゆっくりと語られた

なるほど!と納得し気持ちを切り替えることができた。後で考えれば本当に後先考えない「ぼっけもん」な職員だったと思う。

そして、こんなぺーぺーにちゃんと話をしてくださる首長に出会えたことは本当に貴重だったと思う。

この後の仕事の向き合い方に大きく影響した。

これはもう感謝しかない。

これ多分今でも大小問わず、先輩後輩とわず、同じようなことしているような気もする。

でも私も真剣なのだ。

それをちゃんと受け止めてもらう人々に恵まれていることは全くもって「ありがたい」

幸せもんです私。

家に帰れば、特に子育て時期は主人が飲食業をやっていて毎日夜はあてにならないから、ご飯作って、お風呂入れて、洗濯して、絵本読みながら寝かしつけてってやってたら寝落ちしてて、学会のデーター飛んじゃって泣きそうになったり、読もうと思っていた本がなかなか進まないことも数限りなかった

それでもワーカーホリックにならなかったのはなぜだろう…

んー大切なもの…

そうだ!

大切にしてもらってきたからだ

私自身を!

子どもたちの世話してパニックになっていたりするカリカリママとバトる子どもたち。そして「どうしてそんなに怒るの?」それぞれ「はーちゃんは…」「なっちゃんは…」「たっくんは…」と訴えてきてくれる子どもたちにハッとさせられ我に帰れた

仕事やってるかあちゃん楽しそうで好きと言ってもらった(もちろん、早く帰ってきても同じくらい言われたけど)

この子たちのためにと思ってやっていることが「ねばならない」になり、そのことが済まないことへの苛立ちで感情的になる。

それでもお母さん大好きと言ってくれる

子の愛は親より深い…

保健師という仕事がプレッシャーとなり良いお母さん像と程遠い自分を蔑みそうになっても、「いいじゃんそれがけいこちゃん」と言ってくれるダンナさん(そんなときばかりではもちろんないけど…)

まだ長女が1歳半くらいのとき、家の引越しのため2ヶ月だけ義理の両親と同居した時、お義母さんと最初で最後になった大喧嘩をした。

たわいもないことなんだけど…朝、出勤前、歯磨きをいやがり泣く娘。ダンナもお義母さんも笑ってTVを見ていた。なんだか自分だけ娘にとって泣くような作業をして、娘が喜ぶことはダンナやお義母さんにとられてる気がして腹が立って「泣くなぁ!」と娘に叫んでしまった。そんな自分にも腹が立って寝室に走っていきドアをドンと閉めた。すると、義母が「この子には罪はないでしょ!」と言った。それで切れてしまった。「私の辛さはだれにもわからない!」とそのまま出勤。

職場で泣きながら仕事してると職場の先輩たちが話を聞いてくれた。携帯がない時代、職場にダンナから連絡がきて、わーとひとしきり話しして電話を切った後、隣に座っていた若い同僚が冷静な声で「お家帰れそうですか?」といわれた。「帰るよ。我が家だもん」と口をついてでた。

みんなに慮ってもらって我に帰り、やっぱり私が悪かったと思えた。

公衆電話からお義母さんにあやまることができた

お義母さんは「結局ね。お母さんには勝てないのよ。ばあちゃんは」と言ってくれていた。

みんなに助けられて今がある

ほんと恵まれてました。私。

それなのに「いっぱいいっぱい」になると毎回忘れてしまうこの気持ち。家族を傷つけてしまう。職場でも愚痴になる。それでも家族でいてくれる。許してくれる仲間がいる。

「ありがたい」

この「ありがたいつながり」が私の大切なものだった。

私の場合感謝できるつながりがあることが愛おしく大切なものなのだ

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3.でもねいつも感謝もしてられない。だって揺れるんだもん。

頭の隅っっこに感謝の気持ちは多分いつもある

ただね人の気持ちは揺れるもの。

家族の関係も揺れるもの。

子育ても一段落し自分の時間も増えてきた

仕事だって随分関わらせていただく範囲も広くなった。

家族の単位も変わり、子どもたちのそれぞれの仕事、それぞれの家族を持っていく大切はものも変わっていくし大切にする方法も変わっていくだろう

またいっぱいいっぱいになってわめく事もあると思う

このブログを書いている今

次女から泣きながらの電話が来た

私たちの世代から見たらたわいも無いことで悩み、感情をぶつけてくる

わかっているけど話を聞いてもらいたいんだと

だから、かつて私が彼女からもらった愛を返している。決して優しいだけでは無い言葉だけどね…

「感謝」を込めながら

「嫌ならやめて帰ってこい!」

「嫌だ!やめない」の問答を1時間笑

職場だってそう

経験を重ねた分甘えられる先輩は退職されていくし、後輩たちは育ってくる。寂しさと誇らしさの中で自分の立ち位置が時々分からなくなり混乱することもあるし、忙しさで感謝を忘れることもあるかもしれないけれど、大切にしてきた「出会いのありがたさ」を伝えて行きたい

鹿児島弁でいう「おもいいだし、かんげだし(思いついた時、考えついた時)」でいいじゃないか

時は止まらないから…揺れつつ揺れつつ

揺れる緩さが心地よく

あーありがたい(((o(*゚▽゚*)o)))♡

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