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偈頌:痛みがはがれるとき

過去に堆積した 暗い記憶

はがれ落ちるときの痛み

この苦しみにも意味があった

ならばこの痛みも受けいれて

手放そう

優しく微笑んで 感謝の言葉を

「この苦しみよ ありがとう

気づきの瞬間をくれた

人生の友よ」


誰でも辛いときがあります。その辛さというのは、堆積した苦しい感情が自分の身体を抜けていくときに必ず経験するものだと僕は思っています。そうすると、辛い感情は必ずしも悪いものではなく、それは手放す過程で生じる経験なのかもしれません。手放せば、次は幸福な経験を自分の内側に入れることができる。そのための気づきだったのです。気づきの前には苦しみがある。苦しみがなければ気づきはない。気づきは自分の心からもういらなくなった堆積物がはがれたら生じるのでしょう。
僕がヴィパッサナー瞑想の修行に行ったとき、朝あまりにも気持ちが悪くて吐きそうで、朝食をすごく辛い思いで食べた日がありました。そのあとの瞑想で、お腹にタール状の黒いものがたくさん眠っていることに気づきました。そこに気づいた瞬間に、自分が過去に女性にひどいことを言った記憶が走馬灯のように思い出される経験をしました。そのときはじめて自分が女性との関わりでうまくいかない理由が明確にわかったのです。そこでようやく懺悔という感覚を知りました。心の底から「本当にすみませんでした」と思ったのです。そのあと身体と心が非常にスッキリしたのはよく覚えています。
この体験があるから苦しみは何かが剥がれ落ちているときかもしれないと感じることができるようになった。この偈頌はそういう体験も含んだ内容なのです。

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