レアの場合②

面接会場にはたくさんの女の子が待っていた。私と姉はいとこの服を借りて行った。交通費は姉が貯めたお金を使った。でも両親には言わずに行った。だいたいどんな仕事なのかはわかっていたし、すんなり両親が許してくれるとは思わなかった。まともに子供たちを養えないくせに、道理ばかりを厳しく説く父親にはうんざりしていた。とにかく私はこんな生活が嫌だったし、ここから出て行きたかった。

面接は簡単だった。日本のナイトクラブで歌を歌ったり、ダンスをしたりする仕事と説明され、カラオケとダンスを見せた。どちらも私の得意分野だった。

「君、いくつ?」最後の最後にプロモーターと呼ばれていた男性に聞かれた。私はこの時19歳だったが、姉から22歳と言うように言われていたので、そう答えた。プロモーターは私のことをじっと見て何か言いたそうにしていたが、もう一度私が提出した履歴書に目を落としながら、「とりあえずマニラに来て。半年くらい本格的に歌とか踊りの勉強をしてもらうから。」と、顔も上げずに言った。

姉も合格した。二人で飛び上がって喜んだ。そして家出同然で、二人でマニラに行った。マニラのマカティというところのスタジオでレッスンを受けた。下宿を用意してもらい小さな部屋に6人くらいで一緒に生活をした。夜はナイトクラブで接客のアルバイトをした。半年ほどして、アルバイト先のナイトクラブで日本から来た人たちに面接をされた。そして私は愛知県、姉は兵庫県のナイトクラブに半年の契約で行くことになった。しかし最後の妊娠テストで姉は陽性と出た。私たちのマニラでの滞在費や渡航費用などはみんな借金だった。日本に行って働いて返すという契約書にサインをさせられていた。もし日本に行けなくなった場合にはペナルティがあった。姉のペナルティは私の借金に加算された。

姉の子供の父親は、姉の話ではアルバイト先のボーイだそうだが、少し前に店は辞めていて連絡はつかなくなっていた。頼る人もおらず、姉は両親のいる田舎に帰って行った。

出発の日の空港で渡されたパスポートは私の名前ではなかった。プロモーターが、このパスポートに書いてある名前と生年月日を覚えるようにと言われた。

日本に着き、イミグレーションと税関を抜けると、同行していた日本人のプロモーターにパスポートを回収された。そしてナイトクラブの店長の車で下宿先に連れて行かれた。

着いたその夜から働かされた。仕事はマカティのナイトクラブでやっていたこととほとんど同じだった。お客さんの隣に座ってお酒を作って話をする。たまに踊ったり歌ったりする。店長とは別にフィリピン人のママさんがいて、細々としたことはいろいろと教えてくれた。店が終わるのは夜中だったが、店長がバンで私たちタレントを、毎晩下宿先まで来るまで送ってくれた。

この店にはタレントは私を含め8人ほどいた。小さな店だったので、お客さんが入ると居場所もないくらいだった。店の客はほとんど常連で、自分で何かの商売をしている人が多かった。

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