マイコの場合⑦

ママのクリアファイルにあった書類の束をこっそり持ち出し、マリコに見てもらった。マリコはたくさんの書類を見ながら、私は日本の国籍を取れると言った。でも16歳になるまでは、パパの同意が必要だから、パパと連絡が取れない私は16歳になってからでもいいそうだ。

日本国籍を取れる、と言われても、それが自分にとっていいことなのかよくわからなかった。

サヤカが中学を卒業すると私はあまりタロウの家には行かなくなった。学校は相変わらず居心地の悪い場所だったし、勉強もまったくついていけなくなったので、あまり行かなくなった。

たまにママが昼頃に起きると、私が家にいることで学校を休んでいることがバレて怒られることもあったけど、このころになるともうママが何を言おうとどうでもよくなっていた。

中学3年になるとママと一緒に学校に呼び出された。進路のことを決めてください、と言われたけど、受験をして高校に受かるとは思えなかった。それでも先生は、いくつか高校を勧めてくれた。ただそれらの学校は私立だったので、受験料も入学金も授業料も高くてママはまた怒っていた。

ママが働いたお金のほとんどはマニラのジェイソンに送っていた。この頃になるとおじいちゃんやおばあちゃんとはほとんど連絡をとっていなかった。そしてママのいとこやきょうだいたちがお金に困るとママに連絡をしてきて、ママは怒りながらもお金を送っていたようだ。だからいくら働いても私たちはちっとも楽な生活はできなくて、私が私立の高校に行くことは無理な話だった。

タロウの家であったキョウコが強制送還されるという話を聞いた。キョウコは私と同じ年で、日本生まれだけど一度も学校に通ったことがないという子だ。キョウコのママはフィリピン人で偽名パスポートでタレントとして日本に来た。働いていた店から逃げ出し、そのまま不法滞在をしていたという。キョウコのパパは日本人らしいが、今ではどこにいるのかもわからないそうで、キョウコはフィリピンにも出生届が出されていない無国籍状態であったそうだ。キョウコとキョウコのママは隠れるように暮らしていたが、とうとうママが捕まり、キョウコと一緒にフィリピンに送り返されてしまうという。

「かわいそうだけどね、どうにもならないの。」久しぶりにタロウの家に行った私にマリコはそう言った。キョウコのママはすでに入管の収容施設に入っていて、キョウコはどこかの児童福祉施設にいるというが、もう会うことはできないそうだ。そんなに仲がよかったわけではないけれど、それでもここにいて一緒にテレビを見たり、笑ったりしていた子がいなくなるということは寂しかったし悲しかった。(続く)

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