マイコの場合②

あれはもうすぐ小学校を卒業するという頃だった。

学校から家に帰るとママとアテ ジャネットが揉めていた。同居するアパートの電気代をきっちり割り勘にしていたのだけど、ママはいつもエアコンをつけっぱなしにして出かけるので多く払えとアテ ジャネットがママに詰め寄っていた。

このころママはよくアテ ジャネットと言い争いをしていた。小さなことが原因なんだけど、お互いに興奮してきて大喧嘩になることも増えてきた。そんなんだからママとアテ ジャネットは口も利かないことがあったが、相変わらずアテ ジャネットとアテ アキコは私には優しかった。

でもその日の喧嘩はいつもより激しくて、ママがアテ ジャネットにコップを投げつけたことで警察が来る大騒ぎになってしまった。弁当工場の偉い人が来て警察の人や近所の人にも謝っていたけど、ママはもうこんなところじゃ暮らせないから弁当工場も辞めて、引っ越すと言い出した。

私はママに引っ越すのも転校するのもいやだと泣いて頼んだけど、ママは聞いてくれなかった。そしてその数日後、ママの友達だというイラン人の男の人の運転するトラックで私たちはこの町を出て行った。

何時間くらい車に乗っていたのかよく覚えていない。私は仲の良かった学校の友達にもアテ アキコにもちゃんとちゃんとお別れも言えないまま車に乗せられたので、ずっと泣いていた。泣いて泣いて疲れていつの間にか寝てしまって気が付いたら別の町に来ていた。

車を運転していたイラン人は私たちを古いアパートの前で降ろすとどこかに行ってしまった。前のアパートよりだいぶ古く汚かった。ママが鍵を開けると中には何にもなかった。冷蔵庫もダイビングテーブルもソファも洗濯機も。

ママはここで私とママだけで暮らすと言った。そしてもううるさいことを言う人はいないからせいせいしたと笑った。私はまた悲しくなって泣いた。ママは何で泣くの?と聞いた。ママには私の気持ちなんかどうでもいいんだなと、前から何となくはわかっていたけど、この時やっとはっきりわかったような気がしたんだ。

そしてママは近くのコンビニで弁当を買ってきて、私に先に寝るように行ってどこかに出かけてしまった。エアコンもなくとても寒かった。持ってきた電気ストーブを出し、ふとんにくるまってまた泣いた。泣き疲れて眠り、また目覚めて泣くを繰り返しようやく夜が明けるころにママは帰ってきた。とてもお酒臭かった。(続く)


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