レアの場合⑤

ジェイソンの一番上の姉はアメリカ人と結婚していてアメリカにいた。この家もその姉が両親に買ってあげたものだった。ジェイソンは3人きょうだいの末っ子で、すぐ上の姉は結婚して家を出ていたが、ジェイソンのいとこたちが何人か町から近いこの家に下宿をして、仕事に通っていた。

私も早く仕事に戻りたかったけど、ナイトクラブは日本に働きに行けなくなった若いタレントたちで溢れかえっていて私の居場所はもうなかった。それにジャンポールの面倒を見る人もいなかった。食べることに困ることはなかったけれど、この生活に満足もしていなかった。私はいつまでも日本で働いていた時のことを忘れられなかった。フィリピンでは考えられないようなお金がもらえ 好きなものが買える。いつかはまたあんな生活がしたいと思っていた。

ある時、近所の人に日本人と結婚していて子供がいる人は 日本に働きに行けると聞いた。私はまた日本で働けるかもしれない。いてもたってもいられなかった。日本で嫌な目に遭ったフィリピン人もたくさんいると聞いたけど、私は悪い印象はなかった。唯一、失敗したのはヤマモトと結婚をしてしまったことだ。

教えられた団体に行ってみた。ヤマモトと結婚した時の書類はどこかにいってしまったけれど、いろいろ調べてもらったら ヤマモトとの結婚は、日本にも届けられていた。しかしマイコの出生届は出されていなかった。来日はできるが、マイコと一緒でないとだめなことがわかった。マイコにも両親にも家を出て行ってから、連絡はしていなかったので、マイコを連れて行くというのは引っかかった。

日本から雇用主が面接に来るというので、試しに行ってみたら合格した。群馬県の弁当工場だった。タレントでは日本に戻れなくなっている中で、これはチャンスだと思った。そして絶対にこのチャンスを逃したくないと思った。私は意を決してマイコを迎えに田舎に行った。

突然 帰省した私を父は怒った。そしてマイコは渡さないと言われた。でも母親は私だ。父がなんと言おうとマイコを連れて帰らなくてはならない。そして二人で日本に行くんだ。マイコは不思議そうに私を見ていたが、日本に行ったら好きなものを買ってあげるし、おいしいものもたくさん食べさせてあげるよと言ったら、「行く」と言った。父はそれで諦めた。

そのままマイコをマニラに連れて帰り、私たちは日本語教室に通った。そして半年後、二人で来日した。

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