ヤマモトの場合③

夫婦になれば一緒に暮らせる。そんなことは当たり前のことだ。子供が生まれる前にはレアに日本に来れるのだと思っていた。しかしそうはならなかった。レアの在留資格が取れなかったのだ。詳しいことはよくわからない。なぜ正式に夫婦になっているのに、日本で一緒に暮らせないのかさっぱり理解できなかった。一度、申請し却下されると半年は再申請ができないとエージェントに言われた。そして何が理由で許可されないのかはわからないが、半年後にもう一度申請してみると言われた。

そんなことをしているうちにレアは子供をフィリピンで産んだ。女の子だった。踊りが上手だったレアの子供だから舞子と名付けたが、日本にも出生届を出さなくてはならないことはまったく知らなかった。フィリピンで生まれたのだから、フィリピンで届ければいいと思っていた。

私は一人でレアと舞子に会いに行ったし、毎月、お金も送っていた。家族を養うのは当然だと思っていたし、いずれは3人で日本で暮らせると思っていた。しかしいつまで待ってもレアの在留資格は取れなかった。

連絡のために携帯電話を買い与え、毎晩、電話をした。しかしそのうち毎日は応じなくなった。それでも私は毎日、レアに電話をかけた。たまに出ると、山奥だから電波が届かない日がある、と言った。そして舞子が熱が出たので薬を買うので、お金を送ってほしい、と言われた。レアと舞子は大丈夫なのかいつも心配をしていた。

現場の同僚に毎月のようにフィリピンに行っている金田という男がいた。誰かから私がフィリピン人と結婚していることを聞いて声をかけてきた。いろいろと話をすると、「あんた、それ、完全に騙されてるよ!」と言った。結婚前にもずいぶんといろんな人に言われたが、あの時はそうじゃないという自信があった。しかし今は、自分でもそうかもしれないと思うようになっていた。それでもレアを信じていたかった。

久しぶりにレアのいた店に飲みにいった。レアがいないのに行っても仕方がないと思っていたが、少しでもレアの存在を感じていたかった。するとレアと同じころに来ていたグレースという子がいた。

「こんなこと言いたくないんだけど、彼女はあなたのほかにもたくさん恋人がいたよ。子供はあなたの子じゃないよ。」グレースが私の耳元でささやいた。確かにおかしいと思うことはあった。そういう関係になってからすぐに子供ができたと告げられた。しかしあの時は、子供が自分の子ではないなどと思いもよらなかった。私のような人間にやさしく、愛していると言ってくれた女性が私の子供を身ごもった。嬉しさしかなかった。孤独だった私に家族ができる。それだけだった。いや、もしかしたら本当は、そんなにうまい話はないと頭の隅では思っていたかもしれない。でも打ち消した。気が付かないふりをしていたのかもしれない。

レアに電話をしたら、珍しくすぐに応答した。「どうした?元気ないな」私を心配するように聞いてきた。私はグレースから言われたことを口にしてみた。「そんなことあるわけない!」と否定をしてほしかった。そしたら私は安心できたんだと思う。

レアは否定した。しかしそれ以上に怒り狂った。そして電話を切られた。以来、電話に応答してくれることはなかった。

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