マイコの場合③

ママは近くのスナックで働き始めた。この時の私はママが働いているところがどんなところかもよくはわからなかった。それにママは今までだって夜中に働くことがあったので、夜に家にいないことには慣れていた。でもあのときはアテ ジャネットもアテ アキコも一緒に寝てくれたから心強かったけど。

私はママがどこかからもらってきた中古のテレビを見て一日を過ごした。ママは朝方帰ってきて昼間はずっと寝ていた。時々、近くのコンビニで買い物をすること以外はずっと家にいた。ある日、昼ご飯を買いにいつものコンビニに行ったら、知らないおばさんが何で学校に行かないのかって声をかけてきた。私はわからないって答えた。そしたらそのおばさんは、私の家までついてきた。こんな時間にママを起こすととっても不機嫌になるから嫌だったんだけど、私も怖かったからママを起こした。

それからママはそのおばさんと話をして、私は学校に通うことになった。今度の学校は今までより遠かった。友達も誰もいないし、卒業式の練習にはまったくついていけなかった。前の学校の友達やアテ アキコに会いたかった。

小学校の卒業式にママは紫色のツーピースを着てきた。このころにはママは髪も赤く染めていてものすごく目立ってたからとても恥ずかしかった。

4月になって中学に入学した。中学に入るために制服やカバンを新しく用意しなくてはならないと聞いてママがとても怒っていた。ママはおじいちゃんやおばあちゃん、マニラにいるジェイソンとジャンポールにも毎月お金を送らないといけないのに、とブツブツ言っていた。でもそれはママがこんなところに来たせいでしょ、と私は心の中で思った。向こうでは弁当工場の人の娘が着ていた制服や使っていた鞄をもらえるという話がついていたんだから。

中学の入学式にもママはあの紫色のツーピースを着てきた。それで私はみんなに「パープルちゃん」と呼ばれるようになった。それはまったく親しみを込めたあだ名ではなく明らかに悪意の感じるものだった。

勉強にはぜんぜんついていけなくなった。クラスにも仲のいい友達もできなかった。何だかみんな私を避けているようにさえ感じた。ある時、サヤカという子が声をかけてきた。サヤカは3年生だからアテ アキコと同じ年だけど、アテ アキコと比べてもほかの3年生と比べてもものすごく大人っぽかった。サヤカのママもフィリピン人だった。サヤカはフィリピンのバコロドというところで生まれたけどすぐに日本に来たからフィリピンの言葉は話せないと笑った。

サヤカはいろいろな人を紹介してくれた。この学校にも外国人のハーフは結構いた。サヤカはこの学校のハーフのコミュニティの中心的な人物だった。(続く)


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