マイコの場合④

前の学校ほどではなかったけど、この学校にも外国人ハーフはいた。みんななんとなくクラスでは浮いている存在で中には上履きやかばんを隠されたり、教科書に落書きをされたりする子もいて、そういう子は学校には来なくなっていた。

私も最初のうちは「パープルちゃん」とからかわれたり、ママがスナックで働いていると陰口を言われたこともあったけど、あからさまにいじめられるようなことはなかったのは、サヤカとよく一緒にいたからだと思っている。本当かどうかはわからないけど、サヤカのパパはヤクザだという噂があった。だからサヤカと一緒にいる私とは関わりたくないという感じで、教室では本当に空気のように存在していたと思う。

ママは相変わらずスナックで働いていた。ママは私が起きて学校に行く頃にはまだ寝ていたし、私が学校から帰ってきてもまだ寝ていることもあった。暗くなってやっと起きるけど、ほとんど話もしないで仕事に出かけていく。

この時まだ私は13歳で、ママのたいへんさなんて理解なんてできなかった。そして日本に来る前にママがおじいちゃんの家に突然やって来たときに言われたことを思い出す。日本に行ったらとっても楽しいよ、何でも買ってあげるよとママは言ったんだ。

おじいちゃんとおばあちゃんはとても優しかったけどとても貧しい暮らしだった。食事はマイスというとうもろこしの粉を炊いたものに畑で取れたかぼちゃや夕顔の実を入れたスープをかけたものを朝と夕方に食べていた。近所のサリサリ(雑貨屋)でたまに買うイワシやコンビーフの缶詰がごちそうだった。ママは日本にさえ行けば、お金持ちになってみんなが幸せになるって言ったんだ。

でも幸せになんてなってない。ここに引っ越してきてからは特に。そもそもママは本当に私のママなのかな。日本に来る少し前まではママがママなんて知らなかったし、日本に来てからはずっと忙しくてママらしいことなんてしてくれなかった。アテ ジャネットの方がずっとママらしかったくらいだ。

もうこんな生活は嫌だ。私はフィリピンに帰りたいよ。こんなところで夜、ずっと一人でいるのはもう嫌だよ。(続く)

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