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カレー哲学の視点・カレーだいしゅき手記

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「カレーだいしゅき手記」は週一回以上更新するメンバーシップ内限定記事です。 せっかく毎日インド料理漬けの生活をしているので、可能な限り東京マサラ部室での暮らしを描き、記録に残して…
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#カレー

毎月第3金曜日(つまり本日)は京都市庁舎前広場でチャイを売っています

こちらの京都市の公式noteで紹介して頂いたのですが、京都市役所の都市計画局まち再生・創造推…

6月の #カレーだいしゅき手記

カレーを食べた記録、作った記録、読んだ記録、考えた記録などのカレー関連のログを一元化して…

マガジン購読者の方へ
タンドール窯を借りてナンを焼きまくる合宿で疲弊しており更新がおくれます。少々お待ちいただけますと幸いです。マサラ部室日常編の話に加えて、牛糞燃料キャンプやインドのパンジャーブの話などを書いていきます。このつぶやきにスキしていただけると更新が早まります。

「貧乏ダルバート」と「金持ちダルバート」の食べ比べ。品数が多い方が満足度は高いの…

今回はマサラ部室でやっていることの紹介も兼ねて、レストランのダルバートと安食堂のダルバー…

麦酒大学に習う、カレーの広め方

カレーの外からカレーを見つめてみる回。 先日、「人生観の変わるビール」としてビールを提供…

ネパール風チキンカレーククラコマスのレシピ

今回は日頃マサラ部室で研究しているカレーレシピのアウトプットとして、ネパールのチキンカレ…

亀戸タミルナードゥキッチンで会いましょう:カレー哲学の視点

カレーという概念について考えるとき、僕はいつも東京という都市のことを考える。カレーという概念は遠くから眺めているだけでは漠然としていて、「カレー」と呼ぶしかない代物である。 雑なアナロジーだが、同様に「東京」という街も恐ろしく漠然としている。東京ディズニーランドは実際には千葉にあるし、東京はもはや概念となり物理的なものを飛び越えているのだろう。 かつて長野の山奥に住んでいた時、「東京」も「カレー」も遠くから眺めるしかない、ぼんやりとしたものだった。しかし実際に東京に住んで

カレー目的でしか降りたことのない駅というのがたくさんある:カレー哲学の視点

一橋学園のミルフルクトは夏に効くカレーだった。 カレー目的でしか降りたことのない駅という…

写真で振り返る6月のカレー活動:カレー哲学の視点

日本は年々インドに近づいている。もはや俺が手を下すまでもない。気温は40度を自然と超すし、…

本能のカレーとガリガリのカレー:カレー哲学の視点(22/03/12〜22/03/18) 

自分はガリガリってほどガリガリじゃないが、ど田舎の選択肢が少ない環境で育ってきたことは自…

ベランダで燻製を作りながらめんどくさい男について考える:カレー哲学の視点(22/1/1…

土曜日はベランダで燻製をしまくった。インド北東部ナガランド州の料理を再現するためだ。ナガ…

遊び心を忘れられないまま小さな子供を飼い続けている:カレー哲学の視点(1/9〜1/15…

成人の日の朝、起きてまず目に飛び込んできたのは知らない天井であった。いや、天井というには…

カレーで曼荼羅を作って、すぐに跡形もなく消し去ろうと思った:カレー哲学の視点(12…

2021年の年末、巨大なカレー曼荼羅を作ることにした。 チベット仏教の砂曼荼羅チベット仏教に…

東京にインドを作り続けたこの1年を振り返ってみる:カレー哲学の視点(12/19〜12/25)

2021年は多くの犠牲を払いつつ、今しかできないことをやってきた1年だと思います。72時間カレーを作り続けている最中に2021年の幕が無理やりこじ開いて、そこから僕はずっとインドを作り続けてきました。 自分は家から動かないのに、気温はひとりでに移り変わって、料理テーマが変われば関わる人も変わる。去っていく人、新しく出会う人。カレーはあらゆるものを連れてきてくれる、それだけでまるで動かない旅です。 今回のニュースレターではこの一年間の自分の活動の軌跡を料理テーマ、記事、写真