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さんさーらを聞いたら、最終回だと感じた

ARuFaさんの新曲さんさーら。すごく良かった。歌詞も曲も歌もはちゃめちゃに最高だった。でも、これを聴いて「完結だ」と感じて、なんだかすごく寂しくなってしまった。

別にARuFaさんは終わらないし、今後も存在し続ける(してくれ)。曲だって未来に向けて「何をしよう?」と語る、希望に満ちた前向きなものだ。じゃあなんで、私は完結だ、と思ってしまったんだろう。

これは、たぶん時間の概念が実装されたからだと思う。今まで目の前のことにしかフォーカスしてこなかった人間が、過去を振り返って未来を見たことで、止まっていた時間が動き出した。日常系アニメの最終回に近いものが生まれたのではないだろうか。

今作は以前の2曲に比べて振り返りが多い。「こんにちは、ARuFaです」と「ぼくの夢、メチャクソ無限湧き」がそれぞれ現在(やってきたこと)、未来(やりたいこと)についての曲だとしたら、今回のさんさーらは総集編だ。現在から過去を振り返って、未来を向く。

そんなことをするな。終わってしまうじゃないか。

過去、現在、未来について語りつくしたらその3部作は終わるんだ。オタクだから知ってるんだ。キャラクターごとの深堀も、だいたいその3つが分かれば終わるだろ。やめろ。(オタクに聞きたいんだが、過去回想が入ると物語も佳境かなあ、と感じないか。そして、最終回って急に時が進まないか。)

学園もので主人公が受験を意識しだした時のような、未来が来たからこその終わりがあるのだ。

多分物語は続くのだろう。だけど、我々がそれを観測することはない。そういった寂しさを感じてしまう。いつかこの人が引退する時が来たら、この曲のように「続きは地獄で」みたいに終わるんだろうな、と思った。

他にも、この曲は「産声をあげた」「地獄の底で花咲いたら」「思い出がモザイクだらけ」「天国が燃えている」「楽しい走馬灯」など、生死を想起させるワードが多い。20代は一度死に、30代が産声をあげる、ということかもしれない。20代最後のエンディング曲として、これほどふさわしい曲はない。

もちろん中学生の頃からブログを続けてきた人間に、過去や未来がないとは言わない。少し検索すれば若い頃のARuFaさんを見ることが出来るし、職業に悩んだことも分かる。だからこそ、インターネット上には過去のARuFaさんが存在し続けている。いつでも私たちは、記事を通して昔のARuFaさんに会うことが出来る。記事の基本スタイルも変わっていないし、ARuFaさんの記事を通して時間の流れを意識することってほとんどない。そういった意味で、私は初めて、この人にも年月が流れていて過去を振り返るのか、と感じたのだ。

物語はいつか終わる。コンテンツであっても、人間であっても。
だから、夢を見ててくれ。そして願わくば、私たちにもそのカケラを見せてくれ。


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