明治40年の認知症記事

 読売新聞のアーカイブがコロナ禍の中で限定的に公開になっており、日本における脳神経疾患の受容などについて参考となる記事を少しずつ読んでいます。中には当時の専門家の連載など大変興味深い記事があります。今回はいまでいう認知症についての記載がある記事を探してみました。当時の記載は精神疾患や器質性の神経内科的疾患も区別されないで世間において理解されています。後天性認知症(おそらくアルツハイマー病)とおもわれるまとまった記載のある記事で20世紀初頭、明治40年のものをみつけました(検索リストの中で認知症らしそうな記事の最も古いものです)。旧漢字をなおして書き起こしてみました。

昼夜の分かちなき狂老婆(明治40年8月17日、読売新聞)
現に青山に在る帝国脳病院婦人施療室第四号に収容されたる患者中顔る研究に値する老婆あり医員に由来を尋ねたれば先頃芝区役所の手を経て来たりし者にて何処の産なるやまた何と云ふものなるや勿論何歳なるか更に弁ぜず医員を始め看護婦其他軽症なる入院婦人患者中には単に「お婆さん」なる異名を附せられて巣鴨病院の蘆原将軍と同じく終生同院の世話となるものならんが「お前は何処の生まれか」と試みに問えば

大地震の二月の十二日に源助の田の中で馬に蹴られて此の通り足に怪我して腰巻きも破れ・・・
などといい「お前名は何と言って年は何歳」かと問えば
またあんなこと言うでがんすよ此処を何と思はしやるだ・・・此処は日本で名高い岩手の国と宮城の国の道で・・・・夫れ其処を通ると呵られますぞえ・・・ハッハハッハお前さんは見なれぬ先生さんだ・・・医者だと嫌な人だよ・・・人を馬鹿にして・・・

と愚にもつかぬことをいひブツブツご怒りながら彼方に征きかける其の後姿を見送ると汚れきッた単衣を裾短かに細帯を締め竹皮草履を穿き背中には何か容れあるやうに見ゆれば騙しすかして改めると古い草履二三足と紙屑と絵草紙二三枚あり夫れで老婆は暇さへあれば運動場に出で怒ったり笑ったりして彼処此処とぶらつき廻り時に他の患者を捉えて巫山戯散らすことあれど乱暴はせずど何方らかと云えば院内の愛嬌ものにて寧ろ可愛がられつつある程なり医員の語る処によれば是まで幾多の医員や看護婦や見舞人に接せしめて狂女の言葉の何処の邦言なるかをいちいち質したるに更に要領を得ず或いは大島あたりの生まれにやなど言う人あれど岩手宮城など口走る処より見れば奥州生まれかとも疑はる。されど同地出身者は決して其地の産れならずといへり今は僅に年齢だけは四十八歳位と推定し単に「お婆さん」と名づけ居るのみにて他は之に就て知る処なく同女の病名につきても尚ほ研究の中に然れど先天性の白痴にあらで後天性のものなることとは確かなり此の狂女が時に宮城県と饒舌り岩手県と語るなどは先天性ならざる証拠にて今の処早発性痴呆と診断しめるも未だ確かならず飢れば食ひ眠むければ寝ね丸で動物的にて而も現在のみを記憶し更に夜昼の区別を弁へざる如きは実に奇なる老婆というべし

 さて、2月12日の地震というのは今の時代ググればすぐにわかります。1897年(明治30年)の仙台沖地震(M7.4)であるのは確実とおもわれます。患者さんは昔の大きな出来事をよくおぼえており、この会話からも彼女はきっと宮城か岩手の出身であったことがうかがえます。
 運動機能はよさそうで、愛嬌もよく、BPSDもあまり起こしていないようで、周囲のスタッフともうまくやっているようです。構音障害もなさそうです。背中に余計な古い草履や紙屑をいれてもちあるいているのも認知症らしい行動のようにおもえます。
 もともとの知的機能はたもたれており後天性の認知機能低下であろうとの考察が当時もなされています。運動場を徘徊し、エピソード記憶障害が確実で昼夜の区別もなく日時の見当識障害があるようです。
 アルツハイマー型認知症でよさそうですが、年齢は48歳の老婆とされているのが注目です。人生50年時代には変性性の認知症疾患が発症する前に亡くなった方も多く、当時は珍しい病気であったのでしょう。

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