ほろよいによる悟り

3%アルコールのほろよいはお酒に強い人にとってソフトドリンクみたいだろう。だが、僕にとっては少し飲みづらいお酒だと。アルコールが嫌いだし、酔うことに困るし、普段お酒から見えなくなるまで逃げるのだ。

このような気持ちを持っている僕は「今日はお酒を飲みたい!」と意欲が出ることがある。それは、アルバイトが終わり、大久保が静まり返り始める時なのだ。

飲んだら、眉を顰めたり、醜い顔を出したりすることを知っても、思い切り飲む。嫌なことなのになんでだろう。

お酒を飲む時は朝起きる、勉強する、仕事する、最後寝るという社会に飼い慣らされたみたいな生活の中に出溢れる無味乾燥から抜き出し、疲れ、不安感、緊張感などをしばらくしてほっておきたい頃なのだ。

なるほどね。味気に欠けるアルコールにどれだけ嫌悪が催されても、いつも尖っている神経が鈍くなるのならば、それでいい。後は、アルコールに任せるしかない。

一方、悩み事から何も困っていないという「空」の心境にまで追いかけることは、意識的でも無意識的でも自分が社会という巨大な機器を正常的に維持するための数え切れない歯車の一つとして、共通の価値観や習わし、伝統に従わさせられていて、少なくともこの時点、施す術がないことをわかった証なのではないか。この現状をわかったこそ、それを回避したい気がする。だから、わがままアルコールによる気分転換に沈む。だが、アルコールの作用が終わったら、どうなるか。

現状の解決に踏み切る勇気がない人は昨夜の出来事を何度も繰り返す。現状を一変させようと決意を示す人は夢までとは言えないが、今の生き方や態度を変える道に立つ。

結局はどうなるかは僕はわからないが、せめてもう確認したのは、アルコールというものはセイレーンの美しい歌声であり、希望のドアの鍵でもある。


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