見出し画像

歳を取るにつれて柔軟性がなくなってコンテンツが吸収できない話

3名で運営しているディスクガイド(?)の編集会議録シリーズ。登場人物は下記。
中野ゆざめ:バンドサウンド畑。
induction_heating:クラブミュージック畑で雅楽もやってる。
Phillsy:クラシック畑だけど雑食。

(中野ゆざめ)この前、人生で初めてオールナイトのDJイベント行ったんだよね〜。

(一同)おぉ〜〜。どうだった?

(ゆざめ)良かったんだけど、深夜になるにつれてなんか飽きてきちゃって、結局途中抜けして4時くらいの渋谷を散歩したりしてた。あれってみんなキツくないの?

(induction_heating)オールナイト途中でしんどくなる問題、あんまり取り沙汰されてないけど、万人が抱いている「あるある」な気がする。自分も、2時〜3時くらいに、どうしても帰りたくなる時間がある。そのあとの、3時過ぎてくらいからの、なんとも言えない高揚感が忘れられなくて、結局がんばっちゃうんだけどね。

(ゆざめ)そう、まさにその状態。体力の問題もあるんだけど、そもそも最近「なんでも楽しむ」みたいなことがキツくなってきた気がする。学生の頃とかは、お金もない中頑張ってイベント行ったりしてたから、「絶対に楽しんでやる」みたいな気概もあったんだけど、最近は良くも悪くもイマイチなときはイマイチだなあって思うようになってしまった。例えば普通にバンドのライブとか行っても、もちろん好きだから行ってるはずなんだけど、「そろそろ終わってよくないか……?まだ曲あるの……?」みたいに思っちゃったり。

(IH)むしろ、それくらいが普通なんじゃない?自分は、よく美術展とかにも顔出すけど、本当に琴線に触れる作品ってなかなかないし、解説文ばっかり読んじゃったりする。

(Phillsy)美術館行っても、作品そのものを単体で鑑賞し切るって結構難しくて、解説文ばっかり読んじゃうのもあるある問題だよね。結局解説ばっかり読んで、作品そのものの印象が薄いってのは本末転倒だし、でも、やっぱり芸術って、文脈と一緒に鑑賞する側面もあるから、解説文読むことも必要だし、その塩梅が難しい。

(ゆざめ)わかる。それでいうところの解説文みたいな、何かしらの補助線があればなと思う場面は増えた。自力でものの魅力に気付くことの難易度は確実に上がってる。

(Phillsy)この前、旅行で古代遺跡を見に行ったのよ。でも、やっぱり一つ一つの壁画の意味とかは、初見ではなかなか理解できないし、むしろ解説されてこそ、見どころがわかったり、歴史的な文脈がわかったりして、楽しめた気がする。そういう意味で、美術芸術に解説はあって然りだし、むしろ解説にも、作品と同等に集中しないといけないとも思う。

(IH)そういえば、昔、小学校の社会科見学で岡本太郎美術館に行ったとき、全然解説文なんか読まずに、作品だけをみて、とにかく圧倒されたんだよね。その時は、作品を鑑賞しては、終始「げー!」と思ってたんだけど、そういう体験が理想なのかしら。

(Phillsy)なるほどね。

(IH)そう言いつつも、やっぱり昔は、本とか読んでも、すーっと全部入ってきてた気がするんだけど、最近は、1章に1つでも心に残るものがあれば御の字って感じになってるかも。

(Phillsy)まあたしかに、昔に比べてコンテンツそのものを、直接に吸収しづらくなってるっていうのは、自分も正直実感としてはある。けど、大人になってから聴くようになった音楽ジャンルとかもあるし、なんにも受容できなくなってるわけじゃなくて、やっぱりそれでもそれなりに血肉になってるものはあるよ。ゆざめも、HipHop聴くようになったって言ってたじゃない。

(ゆざめ)たしかにね〜。まあそれでも、それこそ解説本読んで聴くようになったわけだし、やっぱり子供の頃みたいに、無意識になんでも吸収できてた時期とは違う気がする。

(Phillsy)確かに、だからこそ、こうやって、音楽note書きながら、無理矢理意識高めに、色々聴くようにしてるわけだしね。笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?