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己に課した呪い、『枷』の話【ギャグ】


はじめに

「はじめに」という文字を見ると、周囲がジメジメしていることを思い出してムカつく。
よって、ジメジメする原因である梅雨があるのは、この「はじめに」の文が生まれたからである。
マイケル・サミダレット(1925~2011)

※『マイケル・ダメット』『逆因果律』で検索してください……。

本題

ふぁい、と申します。

YouTubeチャンネル『トーカーズ TALKERS』のメンバーです。

怠惰が行き過ぎて動画を投稿していない期間のほうが圧倒的に長いチャンネルです。水を与えなさ過ぎて枯れているとも言えます。サボテンすら枯れる勢いです。勢いはないんだって

普段のnoteではネタ的でギャグ的な文章を書いています。
自分を笑わせるための鈍のようなツッコミにあふれたnoteです。前回のnoteは特に切れ味悪すぎて、修学旅行のお土産の木刀くらい不要な文章が混ざってしまいました。(一番最後の項はかなりお気に入りなのでもったいない。)

なので、今回は心機一転、箸休めに、ネタ文章ではなく、筆者の日常で行っている縛りプレイ、通称『枷』について書こうと思います。


そもそも、『枷』とは?

私が大好きかつ尊敬しているグループYouTuber、『東海オンエア』の動画内には、時々『十字架』という概念が登場する。
これは罰ゲームの一種なのだが、ビリビリペンや苦い飲み物を飲むといったその場で終わる罰ゲームではない。「十字架を背負う」という言葉を体現するように、一定期間継続して負い続ける罰ゲームのことだ。
例えば、一週間実家生活、一ヵ月シルバーカーを持ち歩く、一ヵ月サザエさんの格好で生活、などである(改めて書くとヤバい集団だな……)。
そういった罰ゲームを見て育ったので、だんだんと「私も十字架をやったほうがよくない?」という謎の感情が芽生えてしまう。そんなわけない。本当に意味が分からない。
十字架をやると決めたのだが、そこで大きな問題に直面する。私は、ゲームに負けていないので罰ゲームを負えないのである。別にイエス・キリストは生まれながらにして十字架を背負っているし、そもそも勝手な自虐なのだから勝手にすればいいのだが、細かいディティールにこだわる性格が邪魔をした。

そこで、私は十字架に似た新しい概念を生み出した。『』である。
『枷』とは、安心院さんよろしくゲーム脳な私が、現実世界で縛りプレイをする行為を指している。己に対するルールと言えば伝わるだろうか?

全人類『めだかボックス』を読もう

私に課している『枷』の例をあげると、「カラオケでは必ず『千本桜』を最初に歌わなければならない」「noteを毎月投稿しなければならない」といった感じだ(この二つはかなり緩い方である)。

『習慣』と言い換えられそうだが、似て非なるものである。
『習慣』と『枷』の一番の違いは、「絶対順守のルール」であることだ。『習慣』には例外を作れるが、『枷』はドラクエの呪いの装備のように、一度課したものはどれだけ実害が出ようとも外してはならない。否、外せないのだ。
要は、弱めのマゾということである。

ここからは、『枷』の具体的な内容について記述していく。

①「マクド」を「マック」と呼ばなければならない『枷』

読んで字のごとし。マクドナルドを略して呼ぶ際、「マック」と呼ばなければならない、というものだ。
それだけ?と思うかもしれないが、マクドナルドを「マクド」と呼ぶ人間からすると最大限の苦痛なのである。地獄の業火よりも苦しい。「東京弁」を「標準語」と呼ぶ人間に屈服しているようで苦しくもある。が、面白くもある。

私が「マック」と呼ぶのは宗教弾圧の影響(嘘)

ただ、「マック」は「マック」なんだからいいだろ、などとぬかす輩にはきっちりと反論していきたい。「マクド」は「マクド」である。
「あなたはミスタードーナツのことをミッスと呼ぶんですか~?」というような、児戯に等しい言葉戯びのようなチャチな反論ではない。
花は花、鳥は鳥、月は月であるように、マクドマクドなのである。
・・・これを本格的に語るとnoteがもう一つ書けるので今回はここまで。

ちなみに、「セブイレ」を「セブン」と呼ぶ『枷』を課そうとしたこともある。が、そもそも「セブイレ」という言葉を使っておらず、普段から「セブンイレブン」と言っていたことに気づいたので自然消滅した。

「朝マック」という言葉に対してはこのメンタルで抵抗していきたい


②たけのこの里を食べられない『枷』

こちらは、マックのような自虐のための『枷』ではなく、宗教の禁忌に近い。

私は、きのこの山派であることを主張している。しかし、『枷』で縛るまでは、たけのこの里を食べることもあった。
私は思う。
その行動、きのこの山に対する背徳行為ではないのか?
きのこの山への愛が足りないのではないか?
きのこの山派であると心の底から言えるのだろうか?

……正直くだらない意地である。たけのこの里を食べないことに大したプラスもマイナスもない。
ただ、多数派だからという理由で漠然とたけのこの里を推している人間よりは、きのこの山を愛している証明になる。きのこの山への愛、『枷』を課す理由としては十全だろう。

③埼玉県に入れない『枷』

私が私に課している『枷』の中で、一番実害が大きいのがこれである。
一見、大した損がないように聞こえるかもしれない(失礼)。ただ、通過すら許されないので、かなり面倒なことになる。
例えば、東京駅から仙台駅まで電車で行こうとすると、水戸駅を中継しないといけなくなるのだ。無論、新幹線も使えない。圧倒的時間のロス、愚行である。
ただ、交通の便という意味では些細な問題ではある。一番重要なのは、埼玉に観光に行けない、ということだ。
埼玉に行ってみたいかと言われると、正直そこまででもない(失礼)。小京都というのがあるらしいが、京都で十分である(失礼でもない)。

行ったことのある都道府県をまとめると、私が旅行経験が多いというのもあり、埼玉のみ白い、異質な地図が出来上がる。「翔んで埼玉」ならぬ、「飛ばして埼玉」である(?)

ピンク→居住経験/赤→宿泊経験/黄→訪問経験

④階段が横にあるエスカレーターを使えない『枷』

階段が横に併設されているタイプのエスカレーターを利用できない、という『枷』である。百貨店やショッピングモールにある、エスカレーターが単独であるタイプのものは利用可能である。
最初は、己の体に対する嫌がらせのつもりで始めたが、運動不足を少しでも解消できるいい契機なのではないかと思えるようになった。というかただのダイエットの一環みたいな『枷』である。
しかし、漏らしそうな時がくる度に私のマゾい部分を恨むことにはなる。

『枷』の魅力

ここまで、私の中の代表的な『枷』を紹介してきた。
ここまでするくらいなのだから、『枷』に魅力はあるのか?と思う方がいるかもしれない。
ない、と言いたいが、少しだけある。
常に頭の片隅にタスクがある、という状況ができることがメリットと言える。生活に不規則なリズムが生まれるということである。
何も考えずに日常を生きるよりも、「マックと呼ばなければ」、「階段を使わなければ」と意識して生きるほうが、日常を無為に過ごさずに済んで若干楽しく生きられる、と思う。
……嘘だ。ちょっといいことを言おうとしたが無理だ。ただおもしれーだけだ。ただの娯楽だ。

最後に一つ、『枷』の成功に必要なものを記述しておく。
それは、「達成は容易だがウザいもの」をルールとして設定することだ。楽しい範囲で自分をイジめよう。誰もやらないだろ


おわりに

今回はお笑いではなく、私の趣味について書いてみた。
気恥ずかしさもあるし、自分語りで面白くない文なのかもしれないが、スベッたらそれはそれでマゾ的にはいいのかもしれない。
(今更だが筆者はマゾではない。『枷』の動機もなんとなくである。じゃあなんでやってるんだ?)

サムネ画像。ほんの少しだけ埼玉に行きたい気持ちもある。

ここまでお付き合いいただきありがとう。ありがとう。
もしかしたら更新されているかもしれないYouTubeもよしなに。

これからも挑戦は続く。ぜひチャンネル登録やこのnoteの評価をお願いしたい。

それでは、俺たちの旅はこれからだ!

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