稚拙な過去が役立つとき

Ingressの進化形としてのポケモンgoが大流行を目にしながら、両者が同列に扱われることに対して、大きな違和感を抱いていた。確かに両者のプレイスタイルは酷似している。スマホ片手に外に出ていくのだ。しかし、両者はその設定や物語の強度――ここでは解釈の余地がどれだけあるか、を指す――において全く異質なものだ。すなわち、Ingressの設定・物語には一定の強度が存在するが、ポケモンgoには全くと言っていいほどそれがない。従来の主たるポケモンゲームが、冒険し、ポケモンを捕まえ、ポケモン同士をバトルさせ、図鑑を完成させることを目的としていた以上、ポケモンgoの物語に強度が存在しないというこの結果は必然的ともいえる。

ではIngressの設定・物語の強度とはいかなるものなのか。

実は、2014年の文化庁メディア芸術祭に行き、Ingressに関する短評を書いたことがあったのだ。冒頭で述べたような違和感を抱いた原因は、事前にIngressの物語の強度がいかほどのものか、曲がりなりにも認識していたからに他ならない。今回は当時のレビューを原文のまま掲載したい。原文が土台から作り替えたいほど稚拙であるのはわかっているのだが、稚拙な過去に助けられているのは事実であり、その過去を体よく葬り去ってはならない気がするのだ。

(以下、原文)

 先日、国立新美術館で開催された「文化庁メディア芸術祭受賞作品展」を訪れた。

 文化庁メディア芸術祭は、文化庁主催のメディアアートの祭典で、本展はそのメディア芸術祭に応募された作品のうち、優れていると認められた受賞作品を展示している。

 今回は数ある受賞作品の中でも『Ingress』という作品を取り上げたい。

 最初、『Ingress』のブースに入った時、私はこの作品がどんなものなのかわかりかねた。ブースの中央には鎖がめぐらされたモニュメントがあり、床のホワイトボードには様々な書き込みがなされていた。壁面にはプロジェクターで新国立美術館の外観と様々なアイコンとが映しだされていた。壁面を眺めて初めてゲームなのではないかと思い、ブースを一度出て説明を読んでみた。 

『Ingress』は、現実の世界を、多人数の同時参加型ゲームへと変えるモバイルアプリケーションだ。GPSと世界地図のデータベースを使ってゲームの中の仮想世界を、現実の世界と融合して体験することができる。ゲームの設定では、街中のあらゆるところに「ポータル」と呼ばれる別の次元への入り口があり、ポータルからは「エキゾチック・マター(XM)」と呼ばれる不思議なエネルギーが漏れ出ている。このエネルギーにはクリエイティブで知的な力があり、ポータルにはパブリックアートや史跡、建築物など、歴史的・文化的価値のある現実の場が設定されている。ゲームのプレイヤーは、ポータルやXMを操る「シェイパー(形成者)」に対抗する「レジスタンス(抵抗勢力)」と、受け入れる「エンライテンド(覚醒者)」の二つの組織に分かれ、仲間と協力して地図上に組織の陣地を形成していく。『Ingress』を通して現実の世界を探検するうちに、他のプレイヤーと交流したり、世界中の文化的な価値が宿る場所にたどり着いたりすることが意図されている。

(文化庁メディア芸術祭公式サイト 『Ingress』作品概要より)

 仮想世界が現実の世界と融合することは今や珍しいことではない。例えば米空軍の無人爆撃機のパイロットは戦地に直接赴くことなく米本土の空軍基地に居ながら地球の裏側をも空爆するようになった。操縦する飛行機が撃墜されても死なず、モニターを見ながら照準を合わせてミサイルを発射する彼らはさながらフライトシューティングゲームのプレイヤーのようだ。

 一方で彼等は今までよりも現実を直視せざるを得なくなった。Wired.jpに2008年8月22日に掲載されたNoah Shachtmanの記事『「地球の裏側から無人航空機でミサイルを発射する」兵士たちのストレス』(http://wired.jp/2008/8/22/)には次のように書かれている。

「操縦士は、椅子に縛られているにしても、米陸軍や米海兵隊に比べると恵まれている。15ヵ月にわたって戦場に派遣されることもなければ、まずい食事を強いられることもない。自分や友人が爆弾で吹っ飛ばされる心配もない。  

「それでも、戦争と平和を絶え間なく行き来すれば、ほかとは異なる精神的な負担がのしかかる。『いつミサイルを発射してもおかしくない状況から、次には子どものサッカーの試合に行く。まったく懸け離れている』と、Michael Lenahan中佐はため息をつく。戦闘機に乗っている場合には、『時速約800〜1000キロで近づき、重さ220キロ余りの爆弾を落として飛び去る。何が起こっているかは見えない』とAlbert K. Aimar大佐は説明する(同大佐は米国に拠点を置く第163偵察航空隊の司令官で、心理学の学士を持つ)。一方、UAVの『Predator』がミサイルを発射するときは、『着弾までの一部始終が見える。それは非常に鮮明で、臨場感があり、自分の身に直接響く。だからこそ、ながく頭から離れない』」

 このように現実世界と仮想世界とが融合して融合以前とは全く違った世界が展開される現代――無人爆撃機のパイロットの任務がフライトシューティングゲームになり、今まで見ることのなかった、自らの放ったミサイルの着弾の様子を見る世界――で、現実の世界を舞台に仮想空間で仮想の陣地の取り合いをする『Ingress』。我々はこのゲームから「国境線」というものが、国家の都合で勝手に引かれた仮想の境界に過ぎないこと、また国家がその仮想の境界を巡って争っており、この境界はいつでも変更されうることを改めて思い起こす。

 また「『エキゾチック・マター(XM)』と呼ばれる不思議なエネルギーが漏れ出ている」ポータルには「パブリックアートや史跡、建築物など、歴史的・文化的価値のある現実の場が設定されていて」、「ポータルやXMを操る『シェイパー(形成者)』に対抗する『レジスタンス(抵抗勢力)』と、受け入れる『エンライテンド(覚醒者)』の二つの組織」が争っているのである。言い換えれば、「レジスタンス」と「エンライテンド」は「パブリックアートや史跡、建築物など、歴史的・文化的価値のある」事象のもつ力の利用の是非を争っているのである。すると、「シェイパー」は宗教や文化、歴史を用いて人々を扇動する存在――国家、「レジスタンス」は国家のそのような扇動に反対する人々、「エンライテンド」は賛同する人々と解釈することができる。

 国家は宗教や文化、歴史解釈を持ち出して、その相違から対立をあおり、時には戦争を起こしてきた。この構造は中世から幾度となく繰り返された宗教戦争に始まり、今も続いている。シーア派のイラクのマリキ政権とシリアのアサド政権に弾圧された両国のスンニ派の人々によって結成されたISISやナイジェリア国内のキリスト教とイスラム教との宗教対立の中で生まれたボコ・ハラムのように。

 裏を返すと、宗教や文化、歴史解釈の相違を認め合うことができれば、資本家の、民衆たちによる、資本家たちのための戦争を食い止めることができるだろうということだ。

 この作品に見られるように、メディア芸術祭の作品が投げかける問題は決して今に始まった問題ではないし、今訴えられ始めた問題でもない。投げかける問題自体は新しくないが、その表現方法は独特だった。旧来からの問題の新たな表現方法を模索しようという試みがメディアアートなのだろう。

(了)

2014年のメディア芸術祭に同道した方と語り合った時の事。ふと彼が「そろそろゲーム全体を総括する時期に入ってきているのかもしれないね」と発した。当時は何とも思わずに聞き流していたのだが、中川大地氏の『現代ゲーム全史――文明の遊戯史観から』が発刊されて、急にこのことが思い出された。彼の予言が的中したことに驚くとともに、彼のつぶやきを聞き流してしまった過去の自分の未熟さを思い知ることにもなった。

よろしければサポートの程お願いします。頂いたサポートは次回の原稿時の書籍費として使用します。