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一旦飽きてしまった

(はじめに、毎度のことだが、以下の内容を読んで、不快に感じたら、このページを離れるか、このタブを閉じることを推奨する。無理に読み進めるのは精神衛生上よろしくない。もっとも不快な思いをしたいんですという奇特な人は構わないけれど)

3月下旬から5月中ごろまで(注:執筆時は6月下旬)というもの、これほど自由に過ごせた時期も最近ないのではないかというぐらい、自由に過ごした気がする。羽休めというか荷を下ろして、落ち着いて今後何をすべきかを考えられた。もっとも考えた結果、かえって迷走を深めてしまったわけだが、何も考えずに年明けから3月になるぐらいまでの間、ボケーっと過ごしていた時よりは幾分有意義だった。大変満足である。

元々夏ぐらいから3月の後半に札幌に行くという話は、札幌での宿主に言っていた。ただ彼と約束をしたんだかしていないんだかよくわからない、記憶が曖昧な状態になっていた(SNSの履歴を見るに、2月下旬に僕の方から行きたいという話をしていたようだ)。3月の中盤に彼から連絡があり、札幌行きの話を思い出し、慌てて日程調整をし、フェリーのチケットを予約した。舞鶴―小樽間は2019年夏にも乗ったので、敦賀―苫小牧東港間に乗ることにした。

敦賀までの電車もフェリーの中もかなり空いていて、3月初旬に買ったばかりのNikon FGで写真を撮って遊んでいた。ちょうどイタリアやフランスでは都市封鎖(や外出禁止発動)の最中で「かたや北海道で感染者が出ているのに、何ら制限されることなく移動できるなんてのんきだなあ」と思ったものだ。もっとも、移動中ずっとそんなことを考えていたわけではなく、せいぜい夜の港に着くまでの道中と入船してからフェリーが出港するまでの暇つぶし程度に考えていただけだった。フェリーのデッキから外を見るので忙しかったからだ。

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札幌滞在中、宿主は昼間パチンコに行っていたので、僕は一人で散歩に行っていた。道の端に山を成している雪以外にも時々道に雪が残っていたが、足をとられるほどではなかった。それほど寒くもなく、京都でよく着ていたRock Knitのシングルコートでも十分だった。

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3月の末には用があったし使い切っていない青春18きっぷがあったので、5日ほど滞在して、実家のある関東まで鈍行で帰った。この時点では4月の二週目から大学の講義が対面で始まるということになっていたので、帰らない手はなかった。

しかし上洛して4月を迎え、開講直前になったところで「講義は5月第2週まで行わないし、以後対面ではなくオンラインで行う」という連絡がきた。いよいよ京都にいる理由がなくなり、もう一度札幌の宿主のところへ引き返すことにした。ただ京都で積み残したこともあり、お金の目途を付ける必要もあったので、結局4月下旬まで京都に滞在してから出発することになった。

今度は舞鶴―小樽間のフェリーに乗ることにした。東舞鶴駅を降りて、さあ港まで行こうというところで、駅前のロータリーにタクシーが一台も停まっていないことに気が付いた。客がいないので引き払ったのだろうか、駅の先の営業所の方に普段ロータリーで見かけるタクシーは移動していた。この日はやけに早く着いてしまった。フェリーターミナルに着いて発券手続きを終えた段階でまだ21時前で、ずっとNHKのニュースを見ていた。京都に来てからというもの、テレビは主に録画した甲子園の試合を見るのに使っているだけで、ニュースをろくにみることがなかった。新聞は全国紙3紙、地方紙1紙の計4紙とっているのでまま読むものの、TVニュースはてんで見なくなっていた。そうでなくても画面で展開されているのは、京都放送局か舞鶴放送局のもので半分は普段お目にかかれない放送局のものだった。

京都府長やら京都市長やらが会見する映像や、Covid-19の感染拡大の状況についての報道を目にするうち、ちょうど一か月前と同じような感覚を得たのだった。全国に「緊急事態宣言」なる法的拘束力が一体どこまであるのかよくわからない(不勉強なのだろうが、あまり興味もなかった)得体の知れないものが出たものの、依然僕は移動の自由を享受していた。のんきだなあと改めて思った節もあるのだろうが、拘束から解き放たれた感があった。3月には解放の予感があったにすぎなかったが、4月に京都を出る時には解放を実感した。

というのも、20世紀最終盤に生まれたという時代性からか、現在大学生であるという身分からか、国家によって自分の生活が管理されていくのを常々感じていたからだ。よく言われることだが、新自由主義は「自由な市場参加者による効率的な市場運営/規制緩和を通じた国家による市場への介入抑制」を表向き標榜しておきながら、その実政府による国民への介入の増大という結果を招くという現実がある。国公立大学に関して言えば、国立大学法人化以降、年々運営交付金が減らされる一方で、文部科学省による通達や各大学の理事会を通じた学内への介入は年々強まっている。

僕の通う京都大学もその例外ではなく、タテカン規制や吉田寮の立ち退き訴訟、キャップ制の導入、集会の禁止等々、僕の入学前後から介入のオンパレードであった。(もっとも未だに締め付けが行われていること自体、京大が周回遅れであることの証左、他の大学よりも幾分自由であることの証左という説も聞き及んだことがある。介入・規制が京大より一周早く始まり既に終わっている大学では、当局の意向を無視して、活動するという発想自体が無いということもあるらしい。余談だが、阪大の知人が自主ゼミ文化など自分の大学には無いし、思いもよらなかったみたいなことを言っていて驚いたことがある。実は少数ながらやっている人はいるそうな)

正直そういう介入・規制にはうんざりだったし、一回生の時の僕はイメージしていた「自由の学風」京都大学と実態の落差とに失望した。一方で、そうした介入・規制に表立って反対する活動に参加する気にもなれななかった。有体に言えばそういう活動は「学生の本分」ではないと感じたからだ。活動に身を投じるために大学に来たわけではなく、何がしかを学び取るために大学に来たのだから。加えて興味関心を同じくするような人が周りに全くと言っていいほどいなかったのも落差の原因だったろう。入学した学部柄もあり、経済社会学に興味のある人間はいなかった。

自主ゼミやイベントに参加して学部の先輩や修士課程の人と関わるうちに、あるいは他の大学の人々と関わるうちに、興味関心が理解されないという不満は幾分解決された。しかしこうして学内での身の処し方がわかってきた矢先、Covid-19の感染拡大で学内施設の利用が制限されるようになり、今後やろうと考えていたことも満足にできないようになってしまった。

ここで言わば大学生活に飽きてしまったのだ。所在無げにしているところから折角居場所づくりをしたというのに、そうした努力が意味をなさなくなってしまったのだ。本来ここで失望してもいいようなものだが、あまり失望はなかった。大学が講義を4月からやると言っておいて、朝令暮改のごとく、オンライン講義・講義開始の延期を宣言したり、オンライン講義の開始にあたってろくな指示がなかったりと困ったことがつづいたが、途中から教務の対応の遅さに都度怒りを覚えるというよりは、むしろ滑稽だと感じるようになった。大学や教務がいい加減な指示しか与えないなら、「大学生」という枠組みで教務の言うことなど聞くいわれもないのだ。好きにやらせてもらうことにした。手始めに本来なら講義が始まっていたであろう時期に北海道に行くことにしたのだ。先述の通り、規制やら介入やらにうんざりしていた僕としては、「大学生」という肩書を意識せずに生活できるというのはこの上ない喜びだった。やはり「大学生」としての生活に飽きていたのだろう。

こうした大学との関係性(「大学生」という立場)への飽きは、国家との関係性(「国民」という立場)においても同様であった。欧州では、感染拡大防止のための都市封鎖が、罰金等の法的な強制力を伴って実施され、代わりに所得や生活の補償がなされたという風に理解している。「それに引き換え本邦では都市封鎖に法的な拘束力がない代わりに、所得や生活補償もなされない。日本政府の対応には問題がある」という言説がtwitter上で散見された。しかしこれは「国民」という立場を強く意識しているからこそ出る言説であろう。「国民」の保護は国家の義務である、という立場から国家の対応への批判が成立しているのである(佐藤2007)。

僕は上記のような批判に全くと言っていいほど共感できなくなっていた(6月末の今なら4月や5月に比べれば多少共感できるが)。日本国政府のCovid-19への対応が後手後手に回る様を見ていた(例えば一日のPCR検査能力が低い事や、そうした低い検査能力すら十全に活用できていないこと、年々削減されてきた保健所等への予算が増額される気配がないこと、所得補償の支給が一律でなかったり、6月後半になってようやく給付金の申請の用紙が送られてきたり)。そういうことを見るにつけ、自分が国家的目標を果たすために協力する「国民」であるとの意識は薄れていった。「国民」であることにも僕は飽きてしまった。

国家が期待するような「国民らしく」振る舞うことを辞めてしまえば、こんなに楽なことはなかった。国家の「要請」に従って、自分の行動を制限する必要はないのだから。このようにして先ほど述べたような解放感が生み出されていた。政府の会見や首長の会見なぞ、安っぽい映画以下の価値しかなかった。久しぶりのTVを物珍しく流し見している。それだけのことだった。小樽までのフェリーの船内は、前回の3月の時にもまして人が少なく、その分船内では好き放題荷物を広げて遊べた。僕の船室には僕しか乗客がいなかった記憶がある。朝方鼻歌を歌おうが、本を音読しようが咎める人は誰もいない。

勿論、僕とて国家による「自粛要請」の影響を何一つ受けなかったわけではない。おかげさまでバイトがなくなったので、昨年度中にバイトで稼いだお金で、こうして心置きなく札幌に行けたわけだ。3月にも行った札幌での行きつけの飲み屋は僕の滞在中(4月下旬からの約一か月)休業していたし、札幌のヨドバシも途中まで休業していて、フィルムを買いに行くのが遅くなった。(ただし札幌の宿主の家から近い二軒の回転寿司屋はGW期間中を除き、平常通り営業していた。都合3回行って、毎回3000円近く使ってしまったと記憶している)

にもかかわらず、先述の通り、僕は自由を享受したのだ。お粗末な大学当局とお粗末な地方自治体とお粗末な政府とを遠巻きに見て、「学生」であることをやめ、「国民」であることをやめたのだ。

もう一つ付言するとすれば、新自由主義的な国際経済体制からの解放も僕の重荷を落としただろう。各国が次々と入国の要件を引き上げ、外国からの入国者に数週間の隔離義務を課したり、都市封鎖による需要の減少に応じて、世界中のヒト・モノ・カネの移動は停滞した。Polanyi(2001)の言葉を借りるならば、自己調整的市場(自由市場)が社会の抵抗に直面する、という事態が顕在化したのだ(どんなに遅く見積もってもトランプ大統領が関税の引き上げを実施した時点で社会の抵抗は始まっていたとみるべきであくまで顕在化したにすぎない)。stiglitz等の経済学者が繰り返し述べていることだが、この30年から40年の間の自由貿易の最大の敗者は資本主義国の中間層なのである。中間層の没落とか中間層の消滅とかと言われている現象のことだ。こうした現象は、自由貿易が拡大を続けている限り止まらないと考えていた僕にとっては、これで頭をもたげる諸問題に対して多少楽観的な見方をすることができるようになった。

僕が物心ついたこと、僕は2008年の世界金融危機やサブプライムローンについて検証するNHKスペシャルやら経済番組やらを母親と一緒にTVにかじりついて見ていた。小学生の頃から今に至るまで国内経済の未来について明るい話を聞くことはまずなく、暗澹たる面持ちで歩んできた。今後の経済状態について希望など持てはしなかったのだ。それがどうだろう。社会の抵抗によって、自由貿易体制が停滞したのである。ヒト・モノ・カネの移動が抑制され、国民国家が多国籍企業よりも強固なものとして立ち現れる、という現象は自由貿易によって破壊された社会体制を取り戻す第一歩なのだと信じていた僕にとっては朗報であったのだ。

もっともそうした解放感というものは一時のものにすぎないのは僕もよくわかっている。僕は京都大学を退学することで「学生」をやめたわけではないし、国籍を離脱する手続きをとることで日本国の「国民」をやめたわけでもない。近代的な市場での金銭と財・サービスの交換を一切やめ「新自由主義的経済主体」としての性質を放棄したわけでもない。2年ほどの時間をかけて、自由貿易体制がかつてのような規模を回復しないとも限らない。

しかしマスメディアの報道やSNSによる情報の氾濫から一度離れて、北大周辺で写真でも撮りながら、一時大きく穴の開いた「学生」「国民」「新自由主義的経済主体」というものを見つめなおす取り組みはそれ自体非常に有意義であった。というのも、自分がそのような立場性に縛られているときに感じるストレスから一時解放されるだけでなく、そうした立場性の一般的な性質を見出すことで今後の自分の身の振り方に関するヒントが与えられるからだ。すぐにまた「学生」「国民」「新自由主義的経済主体」としての生を生きていかなければならなくなるとしても、そうした概念が一時なりとも崩れる瞬間を見ることは、そういった概念の限界の一端を見るに等しく、概念の限界を絶えず探るための足場を得たと言いうる。

今回の札幌滞在はいわば息継ぎのようなものだ。胸いっぱいに空気を取り込み、今後自分を苦しめるであろうものについての手がかりを得たのだ。これで多少落ち着いて「学生」らしく振る舞えるというものである。

改めてカメラを持って外に出ては何も考えずに日暮れを高等教育推進機構横のベンチで待つということができたのは有意義だったし、札幌での宿主にこの場を借りて感謝の言葉を述べたい(わけわからんこと言ってないで直接述べろ)

さて研究の続きでもしようか(さしたる研究など未だ成せたためしはないが)

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※補足:実は北海道に二度も行ったのには今回の説明とは別の事情がある。次回は別の事情について説明したい

参考文献

佐藤成基(2007)『国民国家とは何か』https://rose-ibadai.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=9323&item_no=1&page_id=13&block_id=21

Polanyi, Carl. (2001) "The Great Transformation"(野口建彦・栖原学訳『大転換』東洋経済新報社,2009年)


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