人と馬の歴史、は21世紀から変わるでしょうか
お久しぶりです、φです。
少々間が空きましたね!いろいろな…いろいろな!ことがありました。就職からまた離れてるような…とか。良い人たちに恵まれたなぁと思ったりとか。
今回は少々馬について書こうかな、と思います。私が愛してやまない生き物、馬。どうして好きなのと聞かれても、DNAがそうさせるんですってくらいしか答えられない、馬(笑)
馬好きが馬の未来について語るだけのnoteになる予感です、どうぞ「馬が好きってここまでなるんだ…」と新手の世界観を知ってくださると幸いです。あくまで私という馬好きの語りだけどね!
現在の馬の状況と、人の関係について
さて、馬との関係をどうしたいかって、”今までとは違ったものにしたい”に限るかもしれない。
シンプルに言うと、馬とこれからも仲良くしていきたいし、お互い(馬と人ね)がwin-winになる関係にしていきたい。一方的にどちらかが利用する、というのはなんだかなぁ、と思う。
けれど、今までは”人が一方的に馬を使う”ものだったと思います。今もそうかもしれない。言い方はきついものかもしれないけれど、人は馬を利用し、彼らの命を搾取している、とも言えるんじゃないかな。
馬は人に利用されなくては生きていけない、という現状もあるとは思う。商業動物、と言っても過言じゃない。競馬にしても、乗馬にしても。もちろん、人から愛をたくさんもらって、彼ららしく生きて、苦しまずに命を終える、という馬もいるだろうけれどもね。
しかしながら、母数を”すべての馬”とすると、人目線での”幸せな生き方”をできる馬の数はどれほどになるでしょう。私の意見ですが、かなり少ないと思います。
幸せになれない馬、のシステムを作ったのはおそらく人だし、人によって馬も現在の形で生きているわけだし、なんとも言えない気持ちを私は持ちます。自然界にサラブレッドは生きていけないでしょう。自然界に、もはや馬が群れとして生きていく場所もないでしょう。
自然な形で生きていけるのが馬にとって幸せだ、じゃあ自然界に馬の生きていける場所を作ってそこにすべての馬を放とう。…というのも、極めて非現実的でしょう。
ここ辺りを話したらキリが無さそうなので、個人的に”未来に向けて変えていきたい理由”を書き始めようとしましょう。
馬との関係
馬と人との関係を、時間を戻しまくって考えてみましょう。家畜化が云々、な時代までさかのぼることになりますね!わぉ!
詳細は省きますが、「馬捕まえたー!」から始まり、「性格が穏やかで乗れそうな馬同士を掛け合わせてみるぞー!」になり、「大人しい子になってきたぞー!」…みたいな流れですね、大体の家畜化って。すっごくざっくり。ざっくりし過ぎかもですが、雰囲気だけ汲み取ってください(笑)
他の動物たちが飼いならされ、愛玩動物として扱われたり、役割を与えられたりします。例えば猫。彼らは「ねずみ取るのがお仕事!」みたいな感じに飼われます。犬は「家を守るのがお仕事!」とかね。
牛や豚や鶏は「おいしい!栄養がある!元気になれる!君らは優秀な食料!」だったり、羊や山羊は「あったかい洋服作るのにいい感じ!もふもふになってね!」みたいな感じ。
馬はどうでしょう。
彼らは何かを引っ張って人と一緒に働いたり、人を乗せたり。”人と働く”動物となりました。牛も一緒に働いていたりするけれども、馬の方が速度もあるし使われていますよね、現在も。
特別な役割を与えられた動物が、馬なのだと思います。犬だって人と一緒に狩りに出たりしてたけれどね。
人と一緒に働くことができる馬たちは、いろんな場面で人と一緒に働きました。農業の発展は馬があってこそ、とも言われていますし。移動だって馬のおかげ。
そして、戦争だって馬のおかげでした。いつぞやの時代になりますが、騎馬民族は馬に乗って戦うことをしなかった人々を恐怖に陥れました。匈奴、フン族、マジャール、などなど。自分たちの脚のように馬を操り、どこまでも追いかけてくる民族たちはとんでもなく恐怖を与えたようです。
馬で戦ったことのない民族も、そんな彼らに勝たないといけません。良い馬を買って品種改良して、より強い、より速い馬を生み出したり。武器だって改良します。
今あるさまざまな品種の馬たちは、そういった理由があって生み出された子たちの末裔です。サラブレッドはレースのために生み出されましたが、それ以外は軍馬として優秀であることを求められ、改良に改良を重ねられ、生み出されたといえるでしょう。
どっしりとした馬たちをご存じでしょうか?脚が太くて、首も太くて、「すらっとした馬じゃないのもいるんだ!」と思わせるような馬たち。あらら、ちょっと失礼な言葉になっちゃったかな…私は好きですよ、力強さに溢れた馬も!
日本だと“ばん馬”という馬だったり、海外だとベルジャン種辺りが有名でしょうか。”ディズニーで馬車引いてる馬”、という説明だと分かりやすいかな。彼らは重種と言われる馬たちで、重いものを引く役割を担いました。
重いもの、というのには、戦車も含まれました。また戦争用に武装した人も含まれます。今でこそ温厚な性格から農業用のそりを引く役割だったり、馬車を引く役割だったりを任されているのがどっしりとした馬たちですが、昔は戦争に駆り出されていました。
馬と人の歴史は、戦争の歴史といえるでしょう。人が文明を発展させたことで、差が生まれ、奪い合いが始まった。良くも悪くも、馬は人に大きな進歩のきっかけを与えました。
最後に軍馬が戦争でメインの主力として活躍したのは、アメリカの南北戦争と言われています。その後の第二次世界大戦でも、伝達や輸送といった役割のために軍馬は存在した。
昔のように刀や槍、矢、そういった武器ではなく、弾丸が飛び交う戦争で、身を晒す馬たちがいたと思うと、人のために利用されたという悲劇に私は心を痛めます。いつかの本で読んだのですが、「死体が重なる中、べろりと皮が剥げた馬がきょとんとした目で見つめてきた」という一文を目にしたとき、私は戦争に巻き込まれたのは人だけではなく、馬もそうだったのだと気付かされました。本のタイトルも忘れてしまったのですが、どうしても忘れられない一文です。
人と馬との歴史を、次のステップへ
これは誰かが明言したのではなく、馬好きとして、歴史好きとして、私が考えていることです。馬と人の歴史は戦争の歴史だ、ということは。
なので、この馬と人の歴史は戦争の歴史、ということを前提に進めます。ご理解のほどよろしくお願いいたします!
さて、いつまでこの歴史は続くのでしょうか。世界中を巻き込んだ戦争から、今年で77年。教科書に古ぼけた写真として載っていて、当時を知る人が段々といなくなって、映画や小説で描かれていて。遠い遠い過去のような想いを持つ人もいるかもしれませんが、まだ77年です。20世紀に起こった戦争であり、近現代の事実とも言えるでしょう。
まだ77年しか経っていませんが、この77年は大きな進歩があった時代でもあります。多くの人が同じ瞬間に、同じものを共有できる。国境を越えなくてもつながりを持てる。声でつながるどころか、動く画像を見ながらお互いとコミュニケーションをとることさえ可能になりました。77年前だったらZOOMもSkypeもLINEもTwitterも想像すらできなかったと思います。
至るところで戦火は残っていますが、すべての国がひとつの戦争に手を出す、または巻き込まれる、という悲劇は起こっていません。緊迫した状況ではありますし、悲劇だって繰り返されていますし、わだかまりが完全に解消されたということでもありませんが。
しかしながら、新しい時代にいることは確かです。20世紀と21世紀は大きく異なる。22世紀がどういったものになるかは誰にも分かりませんが、より発展した社会があることでしょう。
その世界にも、馬が存在するためには?
近年、人が抱える問題として、心の健康や体の健康があげられます。高度に進んだ文明によって、動物として人間は退化した、と私は思います。重いものだって持ち上げられませんし、遠くまで歩いて移動できませんし。何かと文明の賜物頼りです。私もですが(笑)
人が抱える問題を馬たちは解決してくれていました。良くも悪くも、ですが。勝たなければならない、という問題や、遠くまで限られた時間に行かなければならない、とい問題や。重いものを運べない、という問題を。
人にさまざまなことを与え問題を解決してくれた馬たちは、この新しい時代にも解決策を与えてくれる、と私は思います。
癒しを与える手段だったり、人の運動機能維持だったり、環境に優しい移動手段としてだったり。彼らが私たちの心と体の問題を解消してくれるのではないでしょうか。
馬たちは役割を失いつつあります。馬が引かなくても、エンジンで動くものがある。今のご時世、馬車よりも車だし、馬搬よりもトラクターでしょう。馬であるメリットは少ないと言えます。
だからこそ存在することが難しくなっているのですが、本当にそれでいいのでしょうか。長い時代、彼らを利用し尽くした最後は”いらない”ということになるのでしょうか。
人と馬は、縁を切れない。切ってはならない、と私は思います。長きにわたって人を助けてくれた動物を、そう簡単に切り捨てていいものでしょうか。
犬や猫は変わらず人と共に在ります。牛や豚、鶏だって。
馬は?趣味として愛してくれる人だけで、彼らの存在意義を残せるものでしょうか?それは馬にとって幸せでしょうか?
まぁ、馬にそこまでの思い入れがない人は多くいるでしょうし、「馬ばっかり言ってるけど他の動物だって」とか「そもそも必要ないんじゃないの馬。車あるし」とか思う人もいるでしょう。
そういった気持ちを持つ人はそれで良いと私は思います。どの時代にも馬とは無縁の人はいたでしょうし、全人類が馬と関われ、だなんて私は思っていません。
それでも、人とずっと一緒に働き、生きてくれた動物を残したい。新しい時代に、今までのように戦争に嘆くのではなく平和を享受し尊ぶ時代に、人と生きる彼らの役割を作りたい。そう思います。
馬と人の歴史を、これからは支え合う歴史へと変えたいな、というのが私の想いです。お互いにwin-winでね。馬を利用するのではなく、彼らの良さを理解し彼らに無理をさせず、生きる役割を、生きる場所を与える。その代わり、人は脆い心と体を馬に補ってもらう。そんな感じ。
一緒に何かをすることができる、という4本足のパートナーは馬だけじゃないかなぁ、と思います。
まぁ馬としては「役割云々よりものんびり草食んで生きるだけで充分です」とか思うかもしれませんが…しかしながら、世の中そんなに甘くないし、それだと馬は生き残れないでしょう。本当の自然環境に置いたら、彼らは生きることは難しい。弱肉強食というものがありますしね。
人間界もいわば弱肉強食だけど、というと厳しい現実を改めて直視しないといけないので、そこら辺は今回は触れないことにしましょうね!(笑)
さてさて、これからの馬と人の関係はここまでにして、しめるとしましょう。
終わりに
なぜこのnoteを突然書いたかというと、「書きたかったから!」というシンプル極まりない理由もあるのですが、私が尊敬してやまないお方とお話したことがきっかけです。
「私は馬にどうなっていてもらいたい?」「馬がこれからも存在できる未来って?」「私が馬にできることって?」…などなどを考える時間をいただきまして、うんうんと悩んだ結果、「忘れないだろうけど忘れないように残しておこう!」ということになりまして。そして出来上がったのが、この5,100字に到達しようとしているnoteでございます。
愛が重いな…と我ながら思いますが、私に馬を語らせたら長いんですよ。本当に長いんですよ。5時間くらいはおひとり様でしゃべり切る自信がありますとも!
このnoteの内容、さくっとまとめるなら「馬が幸せな未来がいいなぁ」ってくらいなのですが(笑)
ここまで読み切った馬に興味がない方は多分いらっしゃらないとは思うのですが、このnoteを見て「困っている馬を助けたいな、馬たちも良い未来があるといいな」と思う方が増えてくださったら幸いです。
長くなりましたが、読んでくださった方、ありがとうございました!
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