【短編小説】 『サナエ』

※この話はフィクションであり、実在する人物、団体等とは一切関係ありません。


お前さん、女は好きか?
ハハ!正直でよろしい。そうか、そりゃそうだよな!こんな時間にこんな辺鄙な角打ちに来るなんてな。もしかして女にフラれたか?
はァ、そうか。なるほどな。門司港から下関にデートしに行って、海響館でペンギンまで見てきたのにか。なるほどなあ、まあ、それなりに頑張ったんだな!まあいいさ、この世にはごまんと次の女がいる。
女って言い方をすると、今の世の中だと怒られるんだよな、確か。フェミニズムっちゅうやつか。そうそう。悪かったな。女性、だな。悪気はないんだ。俺も分かるさ!俺にも今はカミさんが居る。まあ今は多様性の時代だからな。女の人か男の人か、見た目じゃ分からない人もいるだろ?性別がない人だっている。そう。俺は差別をしたい訳じゃあない。分かってくれたんならいい。でもまあ、便宜上だ。許してくれ。あと全ての女がこうじゃない。あくまでも、参考事例、一例として聞いてくれ。

今から俺が知り合った一人の女の話をするよ。ああ。とてつもなく綺麗な女の話だ。

もう20年前ぐらいになるけどな、俺もお前さんぐらいの歳の頃、こうやって夜の街に繰り出して、酒を飲んでは女を取っかえ引っ変えして遊んでいた。今となってはだいぶシワが増えたけどな、俺も昔は顔が良かったんだ。冗談だと思うだろ?いやいや、本当だ。次会ったら写真見せてやるからな。
鍛冶町にあるバーで知り合いが働いてて、俺はよくそこに飲みに行ってたんだ。んである日、一人の女を見つけた。サナエって言っていた。黒髪のロングで、胸元にホクロがあって。素敵で魅力的な女だ。凄く顔立ちが美しかった。夜だからとか、化粧をしているからじゃなくてね、本当に美しかったんだ。
まぁそんだけ流石に可愛かったから、俺もつい情が入っちまってな。……ああ、そうだ。いつの間にか通いつめるようになったんだ。愛嬌もあって。何も分かってなさそうで。俺はこいつのことが好きだった。本当に大事に育てられた箱入り娘なんだろうなぁ、というぐらいの。会話の端々から何となくそれを感じた。化粧とかじゃないさ、本当に飾り気のない可愛さで。愛嬌っていうのか、本当にそんな雰囲気だったんだ。んで俺も頑張って店の外でも会うようになって……まあ、素顔を見れるほどの関係になったってことだ。お前さんも酒が飲める年齢ならこれぐらいのこと、分かるよな?

ある日、俺は昼からサナエと会った。飯に連れていけば美味しい美味しいと食べるし、映画を見れば面白いと感想をたくさん話してくれる。正直、そういう面で俺はこいつのことを可愛いと思っていた。「妹みたいで」ってよく言うだろ?あれだ。いや、俺にそういう嗜好は無いけども。
んで行きずりで中津口のホテルに行ったんだ。この時、そういうことをするのはもう3度目ぐらいだった。
一通りのことを済ませてから話していると、サナエが急にこう言ったんだ。
「トモさん、私の初恋の人の話聞いてもらってもいいですか?」
サナエは自分からそういう話を進んであまりしない子だった。俺の話に毎度毎度、うんうん、と健気に相槌を打つだけの子だったから。偶には相手の話にもちゃんと相槌を打って聞いてあげよう、と思ったんだ。まあ、なんなら普通に興味があったしな。
俺が了承の意を示すと、サナエは腕の中で語り始めた。

サナエが高校生の時、クラスメイトに林原という男がいた。眼鏡をかけていて地味だけど、勉強も出来て、素朴で優しい男だったらしい。彼は図書委員だったらしく、サナエは勉強を教えてもらう為と言って放課後は図書室に通い詰めていたそうだ。
「悔しくって。私、それまで興味が無かったんです。男の人に。でも林原くんは特別でした!」
こんなに可愛いし、間違いなくモテるのにか、と思った。実際、俺と一緒に飲んでた連れもサナエに惚れていたし。
それでも黙って、俺はサナエの話を聞いた。
「林原くんはね、私の知らないことを何でも教えてくれました。学校の勉強だけじゃないんですよ!どうやって電車が動いてるか、とか、どうしてレシートに傷が付くと黒くなるか、とか。そういうことまで教えてくれたんです。面白かったんです。すごく沢山教えてくれて。本当に真面目に、たくさん、そういうことを教えてくれるんです。嬉しそうに。」
それまでサナエは屈託のない子供みたいな笑顔で話していた。いつものように。
「でも、林原くんは私の事好きって言ってくれなかったんですよ!男の人なのに……。」
──いやぁ、はは、本当に驚いたね。本当の美人は、こういうことを言ってしまうんだ。美し過ぎるあまりに。彼女は、男は必ず自分に惚れる生き物なんだと思っていたみたいだ。いやぁ、やっぱり美しさは罪だよ。
「だから、この時初めて私は見た目に気を使うようになったんです。どうしても、彼に好きって言ってもらいたかったんです。」
サナエはその後も奮闘したらしい。毎日図書室に通いつめて、色んなことを聞いたらしい。髪型を変えたり、化粧もこの時覚えたそうだ。そうしてやっと、林原と2人きりで、学校の外で会うことになった。学生の健全なデートってやつだ。いいねぇ。
「でもね、林原くんは何もしてこなかったんです。私が分からないことを聞いたら、それに答えてくれるだけ。手を繋ごうとも、キスをしようとも、してこなかったんです。ただ、私より半歩先を歩きながら、答えてくれるだけ。顔を見ることさえしませんでした。折角、思い切って可愛いお洋服を着たのになぁ。見てもらいたかったんです。私も林原くんのお顔を眺めていたいのと同じで。」
俺は気になって仕方がなかった。話を聞く限り、林原も悪い奴じゃ無さそうだった。むしろサナエの話から浮き彫りになるのは、素朴で人の良さそうな、女っ気のない、賢く堅実な男、けれどどこか冴えない。そんな人物像だった。奥手な奴なんだろうな。
──だが一体どうして、サナエはそこまで林原という男に執着するのか。話しぶりからするに、サナエはとてもモテていたんだ。身体から顔だけじゃなくて器量もいい。そこまで含めて完璧な可愛らしさだった。俺みたいな生粋の遊び人でも百発百中で惚れてしまうんだ。況や、女遊びをしないような真面目君ならば惚れないわけが無いだろうに。
いつもなら“俺だったらそんなことはさせないけど”なんてセリフを吐いて手篭めにするんだろうけど、サナエの純朴さの前には、そんなことを言える訳がなかった。
「ある日、林原くんに聞いたんです。どうして私のことは好きじゃないのかって。」
「そしたらね、彼、どうやら恋愛にそんなに興味が無いみたいなんです。別に他に好きな人がいるとか、女の子のことが好きじゃないとかでは、なかったんですけど。私と話したり、私とどこかへ行くのも楽しいけど、本を読んだり、お勉強をしている方が楽しいみたいなんです。」
ケラケラと、小動物みたいな笑みを浮かべたまま、彼女は俺の腕の中で告白を続けた。
「でも、この時の私は馬鹿だったんです。いくらお勉強しても、林原くんとお話をしても。林原くんみたいにテストでいい点数と取れることはなかったし、学校の集会で表彰されることもなかった。まあこんなんじゃ分かるわけないですよね!林原くんがどうして、私のことを好きになってくれないのか。」
俺は、そう言う彼女の黒く艶やかな髪を撫でることしか出来なかった。
いつもと変わらぬ様子で、彼女はまた口を開いた。
「だから、私、林原くんを埋めようとしたんです。」

髪を梳く手が、ピタリと止まった。全身の血が一瞬にして抜けていくような気がした。あぁ、縮み上がるってこういうことを言うんだ。
それでも彼女は、俺の様子なんて構わずに話を続け始めた。
「卒業するちょっと前に、林原くんは、もう大学に行くことが決まっていたんです。頭がいいから。推薦です。関西の有名な大学に行くんですって。みんなはすごいすごいと手を叩いてお祝いするけど、私はその大学がどれぐらい凄いところなのかも知らなかったし、頭が悪かったから、大学に行くことなんてハナから選択肢にありませんでした。」
俺は何も出来なかった、ただただ、寒く感じてそっと布団の中で自分の足をさすり始めた。
「私は林原くんとまだいっしょに居たかったんです。いっぱいお話したいし、いっぱい勉強を教えて貰いたかった。それなのに関西に行くんですよ?どうやって会いに行けばいいのかも分かりませんでした。私は林原くんに会うまで電車やモノレールはともかく、バスにすらも乗ったことが無かったので。どうしていいか分からなかった。だからとにかく、一緒に居てもらおうと思って。卒業式の後、私は林原くんに付いてきてもらって、近くの小さな山に行きました。ここだったら、人にとやかく言われることもないと思ったんです。事前に本もたくさん読みました。ミステリー小説とか、名探偵コナンとか、金田一少年の事件簿とか、刑事関係の本とか。完全自殺マニュアルとか。考え抜いて、自分なりにどうしたら林原くんに逃げられないかを考えたんです。思いっきり大きなスコップで何回も殴りました。とりあえず、このまま関西に行ってしまったら困るから。」
一つ一つをこの世の真理のように、当たり前のように話す彼女のことはとても怖かった。でもな、それでも俺は逃げられなかったんだよ。
「そしたら林原くん、『やめてください』って言って何度も抵抗してきました。でも逃げられたくなくて、私はずっと叩き続けました。そしたら林原くん、ふにゃ〜ってなって。足元から!倒れたんですよ!林原くんが!私、ビックリしちゃって。本当に、人って倒れるんだ〜!と思って。」
この子はどうして、ここまで明るくその物事を話せて、日々を普通に暮らせるのか。こんなにも健気に振る舞えるのか。不思議で怖くて堪らなかった。
「本当に嬉しくなっちゃって。初めて、私は林原くんに言うことを聞かせることが、出来たんです。だから、とりあえず急いで穴を掘って、埋めたんです。でも私、林原くんを持ち上げられなかったから、頑張って引きずって落として。上からスコップで土をかけました。」
俺はこの時思ったよ。『あぁ、こいつやったな』って。早めにフロントに電話して110番するべきか、自分が逃げるのが先か、とかね。でもまあ、ラブホテルだったし。俺も裸で。そのやばい女は今自分の腕の中にいる訳で。身動きが全く取れなかった。それでもさすがに、俺はこいつに振り回されて、もしかしたら林原と同じようになるかもしれないという恐怖がかなり大きかった。
「あ、トモさん何か勘違いしてません?」
「へ?」
「多分ここまで話を聞いてもらったら分かると思うんですけど、私って、すっごく馬鹿なんですよ?」
彼女はまた、ケラケラと笑いだした。
「あっはは!あのね、トモさん。私なんかに人が殺せると思いますか?」
「いや……」
「そうですよ!私はすっごく馬鹿なんです。馬鹿正直に、コナンのトリックとかを実行しちゃう女なんです。」
サナエはまた話を続けた。いつものように明るく。
「林原くんね、どうやら生きてたみたいなんです。早めに倒れたのも、お芝居だったんです。私が非力過ぎて全然痛くなかったらしいんです。埋めるのも、私の埋め方が浅すぎて、上手く呼吸ができたみたいなんですよ。本当に。困りますよ。あ〜あ、人を1人どうにかするって、本当に難しいんですね!」
緩やかな太めの眉を下げながら、サナエはそう言った。
「だから、トモさんにはすごく良くしてもらったし、こうやってたくさんの経験をさせてもらえました。そういう意味で、私はトモさんのことが好きですよ!お兄さんみたいで。でも、お別れしなくちゃいけない。」
どうして、と俺は口を開きかけた。サナエはそれよりも早く、笑って続きを答えた。
「私ね、実は受験したんです。大学に行こうと思って。林原くんのところとは違うんですけど、関西の大学に行くことにしました。そうしたら、どこかで会えるかもしれないし。林原くんのこと、少しは分かるかもしれないじゃなおですか!」
この時、俺は彼女のことが、限りなくいじらしく思えた。
「私はね、すごく、すごく好きなんです。林原くんのことが。今でも忘れられなくて。初めて、人間として大好きになった人だから。ずっと好きでいたいんです。でも、分からないんです。まだ彼のこと。だからこれからもずっと私は、彼のことが好きなんです。林原くんのこと、わかりたいんです。たとえ、私のことをわかってくれなくても。」
彼女は最後に、俺の胸の中でそう言った。

それから2週間もしないうちに、サナエは店を辞めると言った。最後に俺が店に行って、彼女と会った時には「トモさん、私フェリーに乗るんです!はじめて!」と言っていた。
お前さん、俺はねぇ、あの笑顔を、一生忘れることが出来ないんだよ。だからあんな女に好かれるようになりな。そしてあんな女を好きになっちゃいけないよ。

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