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note、始動

日南に来てから今日でちょうど一ヶ月。あまりにも時間がかかってしまいましたが、今日からnote始めます。こんばんは、きじです。

誰かに読んでもらうというよりは、誰かに説明してるような感じで書くことで思考を整理することを目的としています。そのため、面白みに欠けるnoteですが、それでも良ければ読んでくれたら嬉しいです。

一回目は、簡単な自己紹介と日南で半年間暮らすことにした経緯について書いてみます。


で、誰?


改めまして、きじです。現在日南市で暮らしています。大学3年生です。
もともとはヤッチャの学校3期生として夏休みの3週間を日南で過ごし、今は一人だけ居残って、オンラインで大学の授業を受けながらインターンとして働くといった感じで充実した日々を過ごしています。
あとは、メディアの作り上げた東大生像をぶち壊すという活動も意図せず行っているみたいです。良いか悪いかは別として、「東大生っぽくないね」と日南に来てからn回言われています。この前出会った中学生に至っては、学生証を見せるまで信じてくれませんでした。彼の頭の中の東大生像と僕の感じがよっぽどかけ離れていたのでしょう、ごめんね、夢を壊してしまって。文句を言うならメディアに言ってね。

そういえば、転勤族であるということもあって、これまで国内外問わず数カ所で暮らしてきました。東京、愛媛、千葉、ドイツを経て、なぜか今日南にいます。日本に故郷がない人間です。
最後に、好きな食べ物はチキン南蛮とカレーです。こちらに来てからはチキン南蛮もカレーも食べる機会が豊富にあって、最高な食生活を送っています。

駄文を長々と書いてもあれなので、自己紹介はこの辺に。
全然関係ないですが、一説によれば、Web記事の完読率は10%程度だそうです。ふと思い出しました。10%は超えたい、切実に。



で、なんで半年間も日南で暮らすことにしたの?


こちらに来てから何回された分からない質問ですが、この質問に答えるのは非常に難しいです。正確に言えば、ちゃんと話そうとするとどうしても長くなってしまうという意味において、ターンに時間制約のある対面コミュニケーションで簡潔に話すのに頭を悩ませる、という意味で難しいです。だからこそ、対面コミュニケーションではないnoteにちゃんとまとめておこうと思います。

先に答えを話してしまうと、僕ははじめから日南に来ようと思っていたのではなく、1.東京以外でどこかないかなと探す→2.面白い人と繋がる→3.その人が日南と関係していた→4.日南に引きずり込まれる(多少盛っています)といった流れでここに来ました。以下、経緯をちゃんと書きます。まずは、地方に目が向いた経緯から。


1. なぜ地方に目が向いたか

「地方創生」に違和感を抱いた大学2年生の秋

地方に対する関心を一気に高めたのは、大学二年生の秋に参加した某省庁の長期インターンシップです。簡単に説明すると、このインターンシップは、A市(人口5万人程度)の市役所の2050年のあるべき姿とそれを実現するための政策について6週間のグループワークとヒアリングを通して考え、最終的にそれをA市長にプレゼンするという感じのものです。複数のグループが出した案の中から最優秀賞を決めるいわゆるコンペのようなものだったので、グループのモチベーションも高く、日を跨ぐまで何時間も議論した日が何日もありました。こんだけやればそれなりに良い評価はもらえるだろうという自信を持って望んだプレゼン当日、A市長から帰ってきたのは「同じようなことを前にやったけどあんま効果がなかった」という言葉でした。絶望しました。自分たちが多大な時間と労力を割いて打ち出した、「A市のためになる」と本気で信じた政策は、実際のところはA市の人たちが望んでいるものとは全くかけ離れていたものだったのです。結局のところ、インターネット上でA市についてどんなにリサーチをかけて情報収集しようとも、学生同士で議論しようとも、自分たちが訪れたことのないA市については僕たちは何もわかっちゃいなかった。自分たちが作り上げた政策は、空想の「A市」に対して効果的であっただけで、A市にとっては全くそうではなかったのです。

この時、僕はふと思いました。「国がやっている地方創生についても同じことが言えるのでは?」。今まで良いものだと信じてやまなかった「地方創生」という概念がなんだかただの「大義名分」に思えてきて、強い違和感を感じ始めました。「地方のためにと国が行う政策は、実際は地域のニーズを反映していないのでは?」「霞○関のエゴなのでは?」「都会の人間の自己満なのでは?」そんなことばかり思うようになりました。

それと同時に、「自分はこのままの状態で社会人にはなりたくない。ちゃんと地域のことについて肌で感じ、経験を持って知りたい。」このような気持ちがとても強くなりました。将来中央省庁で働くかどうかは分からないけど、「地方創生」に携わるかすらも分からないけど、とにかく東京に居続けて井の中の蛙にはなりたくない。頭でっかちの机上の空論ジェネレーターにだけは絶対になりたくない。そう強く思いました

こんな経験が大学2年生の秋にあり、僕は地方に目を向けることになりました。


2. きょーちゃんと出会い、日南とつながる

そんなことがあり、2年生の冬くらいから少しずつ地方について調べ始めました。せっかくなら大学生という身分を活用したかったので、検索ワードは「地方 大学生」。そうしてヒットしたのが、そう、ヤッチャの学校です。2、3月は僕自身のメンタルにちょっとイレギュラーなことが起こってしまったため、春休みに日南を訪れることはできなかったのですが、3月末にきょーちゃんと初めてzoomで話しました。そこではじめて日南のことを知ります。ここについて話すと本当に長くなってしまうので端折りますが、何度もzoomで話して、「よし、この人を信じて日南に飛び込んでみよう」と決意しました。そうして参加したのがヤッチャの学校3期です。

あの時ヤッチャのホームページに辿り着けていなかったらどうなっていたんだろう...とふと思います。地方に飛び込んでいなかったのだろうか、はたまた他の地域に行っていたのだろうか、全く想像できません。本当に人生は「運」と「縁」ゲーだと強く思います。


3. 「半年暮らす」、背中を押した三つのこと

そんなこんなで日南とも繋がることができました。最後に話すのは、日南に半年間暮らす決断をした経緯になります。ここまで読んでくれている人はほぼいないでしょう。読んでくれてる神様みたいな人との縁は本当に大切にしたいので、ぜひ連絡してください。その際、おすすめの自炊料理もセットで教えてください。

夏休みに一ヶ月間日南に来るのと、半年間暮らすのでは、重みが全く違います。加えて、僕の場合はその後のことも考えて、半年間暮らすのとその翌年休学するのがセットとなっていたので、さらに慎重になりました。背面全方向から後ろ髪を嫌というほど引かれましたし、何個のパラレルワールドの創始者になったかは分かりません。

それでも自分は今の決断にたどり着きました。ここでは、決断する自分の背中を押してくれた三つのことについてまとめてみます。一つは自分の経験から、もう一つは本から、そして最後の一つは直感から来るものです。


3-1. 比較対象を持つことの大切さ

冒頭で話した通り、僕は昔ドイツに住んでいました。当たり前の話をしますが、同じ先進国として括られているとはいえ、日本とドイツは様々な点で異なります。それゆえ、ドイツから帰国後日本で暮らしていると、「ドイツではああだよなあ、なんで日本はこうなんだろ」と思うことが多々ありました。これは、別に日本に対して文句を言いたいのではなく、逆に、「日本のこれはドイツじゃ絶対ありえない。いい国だ。」と思うときもたくさんありました。何を言いたいのかというと、ドイツでの経験や日常、当たり前に照らし合わせて日本のことを見ることで、日本のことをより理解することができ、また、逆に日本に帰ってきたことでドイツにいた頃の当たり前は当たり前でなかったのだと気づくことができたりしたという意味で、ドイツ生活は自分にとっての大きな財産となっているということです。この経験は、物事をドイツと日本の少なくとも二方向から見ることを可能にするという大きな強みを僕に与えてくれました。

この経験を踏まえて、今度は同じことを東京⇄地方という枠組みでもやってみたいと思うようになりました。その経験は、地方のことはもちろん、比較を通して東京のことや日本のことを理解する助けになるのではないか。いや、なるに違いない。だったら、まだ若いうちにその経験を積んで、これから先の人生において物事をもっと多面的に見れるようになりたい。その方が絶対自分のためになる。というか、その方が色々考えることができて面白そうだ。

そう確信したことが、半年間暮らすという決断をする背中を押してくれた一つ目のことです。


3-2. LIFE SHIFT

奇しくもLIFE SHIFT2の出版と時期が被ることとなり、回し者のようでなんだか気が引けますが、全く関係ありません。断じてステマではありません。

知らない人ももしかしたらいるかもしれないので、この本の内容を簡単に説明すると「人生100年時代になったら、これまで普通とされてきた人生プランやキャリアは普通じゃなくなるよ、だからみんな色々頑張ろうね」というお話です(解釈が間違ってたら、こっそり教えてください)。

この本には色々なことが書かれていますが、「これまでの型にはまらないことに対する得体の知れない恐怖心」を少し抑えることができたというのが、僕にとってはこの本を読んだ大きな意味だったかなと思います。

「どんな生き方が100年ライフに対応するために最善なのかまだ誰も見つけられていない。それゆえこれからは、最善の方法を模索すべく人生の実験が世界中で活発になり、様々な生き方のパイオニアが生まれるだろう」

そんな感じの主張がとても印象に残っています。今まで普通とされてきた「大学は4年間で卒業する」という生き方と決別し、自分なりの最善の方法を見つけてみるのはありなんじゃないか?もしかしたら、自分が選んだ生き方が100年ライフの最善の方法となったりするんじゃないか?そんなことを考えていたらワクワクが止まらなくなりました。いわゆる「普通」とは異なることをしてみるハードルがグッと下がったのです。

そんなこんなで日南に来て、毎日実験と失敗を繰り返しています。自分は自分の生き方のパイオニアとして、これからもフロンティアを開拓していきます。


3-3. 人生が面白くなる気がするという直感

ヤッチャの最終プレゼンでは話しましたが、結局のところ最後に大きく背中を押したのは直感でした。

ふとこれまで大学生活でやってきたことを振り返ると、学祭委員になって公式グッズを一からデザインして制作してみたり、中学時代の友人と一緒にウェブサイトを一から作ろうとして見事に座礁したり、競技プログラミングに参加してみたり、となんだか色々やっていました。なんでこんなにまとまりのないことをやっているのかと考えたところ、「これをやるとこれから先何が起こるか分からない」ということに対して無意識のうちに面白いと思っているんだろうなあと思いました(もちろん、法に触れない範囲での話です)。Connecting dotsみたいなあれです。今やっていることが、これから先どこかで自分の想像していなかった形で繋がるんじゃないか。それを考えると、ワクワクして、先が見えない方向に飛び込んでみたくなります。

今回に関しても、それと同じようなことなんだろうなあと思います。この年齢で、日南で、半年間暮らしたらどんなことが将来待ち受けているのか、全く分かりません。別に今は分からなくていいと思っています。だからこそ、わくわくします。面白い人生になる気がします。

そんな直感が、最後に背中を後押しして、僕は半年間日南で暮らすことを決意しました。


以上が、僕がここまで来た経緯になります。簡潔に書こうとは思いましたが、口下手のせいでやっぱり長くなってしまいました。

本当は日南でやろうと思っていることなども書きたいと思っていたのですが、それは次に譲ることにします。もう疲れました。読んでいる皆さんも疲れていることでしょう、そもそもここまで読んでくれた人がいればの話ですが。ここまで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございます。是非連絡してください。合言葉なんてありません。ただただありがとうとお伝えします。

こんな味気ない口下手スタイルのnoteですが、これからも投稿していこうと思っているので、よければ今後も読んでください。

それでは、これからもどうぞよろしくお願い致します!


きじ

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