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2025 昭和💯百年 002



私は私を俺と呼んだ記憶がない。

北の国からの「ぼく」や、
ドラゴンボールの「オラ」みたいに、
人にはそれぞれ似合うやつがある。

鹿児島を「俺」にとってと歌う長渕を、
鹿児島をKAGOSHIMAとけなす長渕を、
私は幼いながら憧れていた。 

親子ゲーム

昭和64年は7日しかなく、
私は小学校の卒業式も中学校の入学式も、
平成元年という馴染みのない4文字と一緒だった。

親子ジグザグ
親子ジグザグ

テレビだけが私のすべてだった。
親子ゲームや、親子ジグザグを観るたびに、
こんなちゃらんぽらんな勇や勇次に憧れた。


私たちを捨てて家を出た公務員の父親は、
はるかに葛藤や挫折があったのだと思うが、
私にとって理想の父親像は、
スケベで軽薄だが熱い男気をみせる
やんちゃな長渕剛だった。


そんな長渕剛が、
昭和が終わってしまったその意味を
自問自答するアルバムをリリースする。

2025年には特別な意味がある。
そんな昭和が続いていたなら100年になるのだ。

俺の人生はどこから始まり
一体どこで終わってしまうんだろう

突き動かされるあのときのまま
そう”いつかの少年”みたいに

11歳だったいつかの私は生きている。
当時の父親よりも7歳も歳上になってしまった。

長渕剛も私の父親も
たぶん昭和100年を迎える。


そう考えると人生は短くはない。
まだまだ学ぶことばかりだ。

ミリオンセールスを記録した名作。タイトル曲「昭和」は、“昭和”というひとつの時代の終焉を、自身の歴史とも重ねながら絶妙に表現した傑作。考えてみれば、昭和という時代が終わったことの意味を歌った音楽家は、長渕以外にはいないのではないだろうか。この歌の中で、長渕は湾岸道路を走り、車に搭載された電話で会話をするというシチュエーションを使いながら、昭和時代の“高度成長”と、その終わりを見事に描くのである。ほかにもこのアルバムには、自身の子供が生まれる“瞬間”に立会い、命を生む女性の神々しい姿や生まれ落ちた“命”に触れたときの感情をまっすぐに書き上げた「NEVER CHANGE」(この曲の中には、なんと、鼓動の音や実子の産声もレコーディングされている!)や、東京で自身の夢に向かって頑張る者たちへの応援歌とも言える「とんぼ」など、名曲が多数収録されている。

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