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既に誰かが書いている内容は書く意味がないのか?


「僕、天才かも…。ある人生の法則を見つけてしまった!」

そう思って、noteにその内容を書いてみるものの、いまいち読者の反応がない。


別の日、大人気のクリエイターさんの過去の文章を読んでいると、

「あれ。これ、僕が書いた note と言いたいこと一緒だな。」

そのときある格言を思い出した。

賢者は歴史に学ぶ。愚者は経験に学ぶ。


「そういうことなのか。僕がやっている人生哲学は、もう先人が見つけ出している答えなんだ。僕は車輪を再発明したわけだ。」



過去も現在も数えきれないほど、クリエイターさんがいて、いろんな文章を書いている。言いたいことだったり、タイトルだったりが一緒であることなんて、珍しくはないだろう。

文章力もつたなく浅い内容しか書けない僕に比べたら、よっぽど他の人の作品の方がわかりやすくて、面白い。

ましてや先人の文章を読んで「あ、うまく表現できなかったけど、本当はそれを言いたかったんだ」って気がつくことも多い。


「だったら、僕が書く意味なくない?」


またまた、僕の頭に住み着いている悪魔の声が聞こえた。


いやいや、そんなことないよ。


考えて、悩んで、答えを導いて、自分の言葉にして。

その過程があったからこそ、その先人の書いた奥の深い内容を理解できるし、より思想が磨かれる。

基礎を固めたからこそ、応用できるみたいに。


しかも、全く同じ文章である訳ではない。

自分でも同じ内容を次の日に書いたとしても、一言一句、まったく同じ文章ができることはないんだから。

自分なりの言葉で、自分の体験をもとに、その時の感情や時間帯までもが反映されて、その文章ができあがる。


同じ内容だとしても、逆に、

不器用なりに伝えたい一心で表現した文章だからこそ、誰かの心に届くことだってあるはずだ。

いや。はずだ、じゃない。

僕はそういう文章の方が感動するし、共感することの方が多い。



その日その時間に書いて、同じ時代に生きる人が読んでくれる。共感してくれる。(してほしい)

それが、僕が note をやっている一つの理由でもある。


人と違うことを求めて、個性を出そうと尖る必要はない。

ありのまま自分の言葉で表現することで、人それぞれ違った良さが出てくるはずだ。


まるで、カレーライスのようだ。(←最近比喩で表現するのにハマってる…)

おわりー

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