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今後と昨晩の出来事に就いて。(谷垣記)



文学フリマ東京38を終えて。

文学フリマ出店も無事終えまして、結果六部程届いたという報告を(I)君から受けました。私なぞは、一部すら届かぬやもしれぬと思って居たので、六部と聞いた時には驚きました。六部、詰り六名、小さいアパートなら、全住民が読者のような規模でしょう、夢のような話だと私は思います。
 余談ですが、「売れる、売れた」という表現は好みません、出店という事だから、少なくとも其処に、商売の気位は有るのでしょうが、「売れた」と云ってしまうのでは、何だかそれぎりの関係のようで寂しい。というより、我々に関して云えば、出店する目的にそぐわぬ表現だから、矢張り「届く」が適当だろうと思います。




文藝誌「灯台」 次号に就いて。

創刊号を打ち出して、其の儘音沙汰無しという雑誌は可成り有る。私は司書として短い期間働いた事が有るから、データベース等を覗いて、実際雑誌の継続が如何に難しいかというのを、生々しくも数字で認めた者の内の一人である。素人手に成る雑誌は凡そ創刊か次号で廃せられる運命でも負うているかの如くである。「灯台」はそう成らぬと信じたい処である。

次号、詰り、第二号は、変わらず、石田君、小此木君、谷垣、が主要作者である。新たな試みとしては、「詩」が有る、「評論」も有る(きっと)。表紙絵や挿絵については、未定である。
頒布は、九月。札幌開催の文学フリマを想定して居る。年内の刊行は、此の「二号」を以て仕舞にする積りである。余り急いて遣ろうとすれば、息切れするから、年毎に二号重ねるのが最適なペースだろうと思う。若い内は兎角忙しいから、二号で精一杯だという胸の内も明かして置く。

本題 行きつけのバーにて

私の近所にバーが有る。二週に一遍は立ち寄るバーである。
昨晩は其の一遍であった。余程泥酔して居ると見える還暦も間近の男がカウンターに肘を深く付いて居た。常連でないのは一見して明らかである。己は旅行者だと自ら明かしてからは、其の発言に箔を付けるような自慢話が始まった。
聞いて居れば、パリが出る、リスボンが出る、ローマが出る。ザルツブルクも行ったという。ザルツが塩の意で、ブルグが城の意、なぞという現地から仕入れた知識も出て来る。飯はポルトガルが一等だと云う。黙って聞いて居れば、まあ面白い旅行記のような話が、一時間では収まる処を知らぬ。イタリアの、何とか大聖堂で土産を盗まれた話は、風刺に富んで居た。私はすっかり此の男が気に入った。彼の隣に並んで、一杯だけの積りが五、六、と成った。
彼は、泥酔の内にヨーロッパの香りを思い出すと、何処迄も行きたがった。彼はまた、薄学故感動し切れぬ自分が情けないと云った。定めて謙虚な男である。
処で、バーという場所は、何処かで話題が持ち上ると、全体が其れについて語り始めるという事が頻繁に起こる。果たして、其の時も、場合は同じで、端に居た二人組の若い女が、ヨーロッパ旅行記を話し始めた、というより、多くは自前で撮って来たイタリアとかドイツなんぞを見せて、応戦を遣り始めた。大聖堂もしっかり壁画迄見せて来た、ヴェネツィアの風景も洩れなく、私の現前に広がり、あすこはああだのこうだのという解説が、聞く迄も無く、べらりべらりと垂れ流しに近かった。
還暦間近の男は、一枚も写真を見せる事無く、私をヨーロッパに連れ出した。比して女等は、無数の静止画を突き出して来た。はあ、と洩らす私の声は全く溜息の類であった。折角瞳の裏に広がった私のヨーロッパも台無しである。
話より写真の方が眼には鮮明であるが、心に通ずる感情が足らないと云って、皆無である。聖堂に貼られるステンドグラスも一枚の写真にされてはたまらない。還暦間近の男は男で、「いやあ、あれには感動したね、」としか云わぬ。されど、そう云う時の深く感じ入った表情と声色は、本当である。

私の記憶が正しければ、ゲーテの「イタリア紀行」か何かに、真に旅行すべき者の格として、素養やら才能やらが有らねばならぬ、云々という詞が有った筈である。何も、私は還暦と若い女を此の詞で以て良し悪しつけようとするのでもないが、しかし、旅行一つ取っても、其の人の性質が露わに成るものだとは思う。

「君、パリには是非行け、借金してでも行け、無計画で行け、此処で会ったのも何かの縁だから云う。若いうちにパリに行きなさい、」
此れは、きっともう生涯会わぬ還暦の、私に云い残した言葉である。彼の黒目がきゅうと絞られて居た処からも、本気で云って居るのが判った。




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