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「働いて欲しい」のか「稼いで欲しい」のか

 ニートをどう説得したら働いてもらえるのか?ということについて、いろいろ考えたり試したりしている。

 まず、そもそもこの問自体を考える。つまるところ「どうして私は愛するあなたに働いて欲しいのか」から考える。

 一番考えられるのは「その人の金が尽きたとき、愛情をネタに集られる・揺すられるから」である。これは本当につらい。愛する人の貧して鈍してるところなんてみたくもない。

 明らかに共倒れになるのがわかっていてもなかなか見捨てることはできない。むしろ一緒に貧して鈍してやるべきではないだろうか?というところまで行き着く。その考えがいかに悲惨の連鎖を生むか?というのは山本 譲司さんや鈴木 大介さんのルポルタージュを読めば行き着くところを見ることができる。まともじゃなくなる入り口の考えだ。

 一時期、生活保護受給と親族についてが話題になったがまさにそれ。金持ち視点の「お互い協力」は社会的成功への道となるが、金無い視点の「お互い協力」は社会保障のセイフティネットへ一直線である。その網からこぼれたら詐欺・犯罪の道にいくしかない。

 私はちょうどリーマンショックのときに一度独立したが、口約束してた仕事が反故にされてしまい、完全に仕事を失った。貯金ももちろん1円もない。そのときに暗い部屋で布団に籠もって考えるのは

「どうして俺がこんなメにあうんだ。世間がおかしいのか私がおかしいのか。きっと私がおかしいのだ。精神障害に違いない。こんな私はセイフティーネットの対象になるはずだ。なんとかして生活保護を受けるとか前の会社から傷病手当金をもらうとかできないか・・・」

 である。完全に詐欺を働こうとしている。

 こんな辛かった思いや考えを愛する人にさせたくないし、俺も巻き込まれるから仕事してほしいというのは本音だ。

 それでは「愛する人が貧して鈍しなければよいのか」に行き着く。先程貯金1円も無いと書いたが、宝くじあてて貯金が5億円ありますとなっている場合は話が別か?

 うーん。それでもやっぱり働いて欲しい気がする…。正しくは報酬の発生する現場に身をおいてほしいというのはどうしても私の価値観からは抜けない。そこから得られるもの・失うものは金ではどうにもならない体験なはず(金を持ってる立場になったことはないから「はず」)。それをして欲しいという気持ち。愛する人に楽させてやりたいという気持ちはこの数年でやっとわかってきたが、なかなかここだけは抜けない。

 そのくせベーシックインカム賛成だったりする。いや逆にだからこそベーシックインカムが必要だと考えるのかな。

 辞書引いたら

「働く」→ 肉体や知能を使って仕事をすること
「稼ぐ」→ 働いて収入を得ること

 であった。

 「稼ぐ」は「金(収入)を得ること」だと思っててこんなタイトルをつけてしまったが、言いたいことは「愛する人よ、俺は金が尽きたときに集られたくないだけで言ってるんじゃなくて、現場に身をおいて体験してほしいことがたくさんあるんだよ」ということが言いたかったのです。

 文章にまとめたらちょっとスッキリしたので説得工作がんばる。愛を伝えるというのは難しいものだ。お互い嫁や子供、守りたいものがいればもうちょっと踏ん張ったり上手く立ち回ったりするんだろうが、そういうものがない人間は自暴自棄になっちまうよなあ。「俺が我慢すればいい」が積もり積もると大変なことになるわ。

 (表紙の写真はニートが食べる特大と無職が食べるミニの比較画像)

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