肯定していくということ

生きていくときに、自分が何故生きているのか。
分からなくなることがあります。
そんな時、今までの自分を振り返ります。

そして、そこに自分が想像していたよりも、
あまり軌跡を残せていなかった場合、
人は、今を見失ってしまいます。

それはどうしようもありません。
自ら判断したことです。
その人の基準です。

でも、
そんな自分も、
誰かに必要とされているから、
未来にいる誰かに必要とされているから、
生きているのでは?と
考えてみて下さい。

私がただただ、生活しているだけでも、
誰かの生活を支えていることがあります。

不思議なことに、
人は一人では生きていけない生き物なので、
間接的に誰かに支えられているのです。

ただこれは本当に、間接的で、
不透明で曖昧なもので、
見ることができません。

見たいと願っても見ることができません。

だから、自分自身を肯定することをしなくてはなりません。

自分が生きている。

その事実を肯定します。

生きている意味を探したり、
生きていることが意味であったり、

人それぞれの考え方の中で、
私たちは、歩いています。

違う考えがあっていいし、
理解できればとてもすごい、
理解できなくても、違う考えがあることを、
知れるだけでもいい事です。

何かを知り、
何かを広めることで、
それだけで、あなたの後ろには生きてきた軌跡が残ります。

その軌跡を
自分が生きていることの根拠としてください。

あとから取ってつけたようなことでもいい。

死んでしまえば何もできません。
誰に何を言われようとも覆すことができません。
死んだら終わりなんです。

何も…何も出来なくなってしまうのです。

だから、人は人を肯定してください。

正しいか正しくないかは、
その次に判断して下さい。

まずは肯定することから始まります。

私の生活の中で、メニエール病や精神疾患、学習障害などの持病からお役に立てそうなお話を発信していければと思っております! たまに、趣味のハンドメイドも発信いたします(´,,•ω•,,)