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御陵 - かじぃのポータル再訪記5 御陵宝満神社と御陵古墳群

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今回は地名のお話。
ちょっとあちゃこちゃ場所が飛んで申し訳ないんですけど、第2回で出てきた「御陵」です。

もうかれこれ40年くらい前のお話。
オレ等の年代というのは、かなり出産率が高く、団塊の子供世代に当たるら辺です。
小学校も中学校も1クラス40名、1学年5クラス超えなんてザラで、かなり生徒数が多かった。
どうでもいい話なんすけど、母校は大野北小学校と大野東中学校。
大野北小学校から分かれて御笠の森小学校、大野東中学校から分かれて御陵中学校ができました。

「御陵中学校」。
その名前を聞いた時の感想は「かっけぇ名前だな!」でした。
ものすごく厨二病をくすぐる名前なわけです。
ところが、これが地名にちなんだ名称だと知ったのはかなり後の話で、御陵はなんで御陵って名前なの?という疑問にすら気付きませんでした。

「御陵」。
この地名を見て「あーね」と分かる方、お目が高い!
「御陵」の「陵」は「仁徳天皇陵」の「陵」。
「山の稜線」の「稜」は禾偏ですのでお間違えなく。
つまり「陵」、お墓があった、と。
そして、重ねて「御」を付けるくらいには偉い人のお墓だったんじゃないか、と。
どんな貴人のお墓なの?!
一体誰が眠っているの?!
しかも「三角縁神獣鏡」が出てるとかいう話じゃないですか!!!
とワクワクが止まりません。

だがしかーし!
盛り上げておいてすみません。
オチはないです(;´Д`)
確かに大仰な名前はついていますが、「かなり有力な地方豪族の古墳群」くらいしか分かってません。

そんな御陵には宝満神社があります。

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宝満神社というのは、福岡では割とあちこちにある神社です。
しかし、福岡以外では滅多に見られない神社でもあります。
理由は簡単。
大宰府の鬼門にあたる宝満山竈門神社から勘定を受けた神社だからですね。

そう言えば、先日、鬼滅の刃の流行で竈門神社が話題になってましたね。
主人公の姓が竈門炭治郎だからなんでしょうけど、流石に関係はないと思いますw
竈門神社も資料館は素晴らしいですし、武蔵と立ち合った夢想権之助が興した神道夢想流杖術の奉納演武とかあって面白いところなので、いつか紹介出来たらなあと思ってます。

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明神型の鳥居の前にはなかなか古そうな旗竿立てがありますね。

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明治25年ですか。
なかなか年季が入った旗竿立てですね。

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鳥居を潜って右側を見ると農地用の貯水池。
第2回の「御陵橋」はこの貯水池から流れた川にかかっていたのかもしれません。
そう思うとちょっと胸アツですね。

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鳥居の先にはこの注連柱。
んん?菊の御紋?天皇家の御紋??
「神徳排妖霧」「国基如宝山」。
神徳が妖霧を払うとか、そんな文言見たことなくない?!www
んん?んんんん?

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注連柱の裏には大正十年とあります。

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「陸軍中将白水淡書」とありますね。
乃木大将幕下でその人ありと謳われた福岡県は春日市出身の白水 淡(しろうず あわし)中将ですね。
陸軍で日清、日露戦争に従軍。大正6年に中将。

有名な逸話が残るのが大正9年にニコラエフスクで起きた尼港事件。
白水中将はこの事件を平和裏に解決するためにニコラエフスクで蜂起した赤軍パルチザンと交渉を行い、ロシア白軍との橋渡しを行ったと伝えられています。

おう、この尼港事件の翌年にこの注連柱の揮毫したのか。
意外な名前が出てきてちょっとびっくり。

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由来が書いてある看板。
祭神は中座が玉依姫命。左座が神功皇后。右座が応神天皇。
景行天皇時代に、天皇自ら熊襲征伐に筑紫にやって来て…?
この時に御陵の宮の玉依姫命に祈願…?
アレ?なんかおかしくない?
神功皇后、応神天皇以前からこの宮は存在していた???

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拝殿隣にある寄進札の裏。
「本社の創建時期は不明」。
一方、本家である筈の竈門神社は天智天皇時代に創建されている。
景行天皇の御代は71年から130年?
天智天皇がこの宮を「宝満神社」としたのは670年。
めちゃめちゃ古いやんか、この神社www
それ以前は何と呼ばれていたのだろう?
そもそも、ほんとに景行天皇はここで玉依姫命に祈願したの???
別の神様だったりしない???
謎だ…。

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賽銭箱もかなり、立派で菊の御紋がででーんと。
いやまぁ確かに天皇由来の宮ではあるんだろうけどw

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拝殿と本殿は分離してますね。
かなり新しい。

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平成26年に改修されたらしく、境内も小綺麗。
飾ってあるのはなぜか義経と弁慶の五条の橋ですね。

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本殿。
なんかただの祠みたいな形してますね。

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中を覗くと岩で作られた祠と鎮座ましておられます鏡。

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境内の横奥には工事をしているらしく、岩が積み上げられていました。
何の工事だろう?
発掘?ねぇ、発掘作業なの?どうなの?www

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しかーし、何を作っているかと思えば…道?

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駐車場への通路を…?
え?ちょっと待って。待って。

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ほんでーーーーーーん!!
本殿の敷石ーーーーーーっ!!!w
いや、ちゃんと整備するんだろうけどさぁ。
ちょっと、これはなくない?
しょぼーんだよ。

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本殿の裏は崖になっていて、上には御陵中学校のグラウンドが広がっています。

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坂をのぼり、神社の反対側に行くと御陵中学校の校門があります。

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校門を挟んで東側には丘陵地。

その丘陵地が御陵古墳群って書いてあるんですけどね。

実質、御陵中学のグラウンドに埋まってるんですよ!御陵古墳群!!w
うがあああああw
三角縁神獣鏡の出た古墳群が中学校の下に!!!
なんてこったい!w

と勘違いしてたら、実は三角縁神獣鏡ってこの古墳群の調査で発掘したわけじゃないらしくてですね。
なんか江戸時代に「付近から」見つかったんだそうで。
まぁね。盗掘なんてされてて当たり前ではあるし。
三角縁神獣鏡が直接古墳から見つかったわけじゃないんならしょうがないか、などと思わなくもなく……。
いやでも、やっぱ重要な地方豪族の古墳だったんだろうから残して欲しかったなぁ。
あ、三角縁神獣鏡は大野城市のふるさと歴史資料館に展示されているそうです。
今度見に行ってみるかな。

そんな御陵古墳群のすぐ西側に御陵宝満神社が建ってたりしてて、関係あるのかなあ?本来は地方豪族の神様を祀ってあった場所だったんじゃないかなぁ?等と想像が膨らんで、なかなかにエモい場所だったりします。御陵。
いや、今じゃ宅地とか畑ばっかで見るものもないんですけどねぇ。

御陵中のみんなぁ!読んでるぅ?
キミ等の学校の下にはねぇ!!
「御陵」と呼ばれる程に祀られた怨霊が封じられてるんだよ!!
とかいう噂を流したくなりません?(コラ

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