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ソコタノ日記:夏自転車、ようやく半分(500km)を走った。

退職後の新しい生活をそこそこ楽しむ「ソコタノ日記」です。

8月6日で500kmを越えた

1日25km、40日で1000km走ることを目標にしている今年の夏自転車ですが、8/6(金)で半分の500kmを走り終えました。

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始めてから19日で500kmを越えていますから、予定通りという感じです。その19日間のうち、ワクチン接種をした1日と、志の輔らくご「牡丹燈籠」を聴きに東京に遊びに出た2日間、合わせて3日間だけ休みました。
それ以外の日は、ほぼお天気に恵まれノルマの25kmよりちょっと多めの30kmほどを走るようにしてきました。

始めるときには、いつやめても良い! というつもりでいたのですが、やはり何日か続けると「せっかくここまでやったんだから」という気分になり、やめられなくなりました。

25kmより短くて良いと思っても……

自転車が大好きで毎日積極的に走っているかというと、そうでもありません。朝起きると、イマイチ走るのが億劫に感じられます。そのあたりは、この記事にも書きました。

それでも、「これまで続けてきたから、今日もやらなきゃ。」と自分に言い聞かせて走り出すことにします。そのとき、次のように考えます。

何も無理して30kmも走らなくていいんだから。ノルマの25kmで十分。もっといえば、夏自転車の前からやっていた短いコース16kmでやめてもいい、だって黒字なんだから。

はじめから30km走るつもりにはなれません。とにかく暑い日が続いていますから、1時間半から2時間位ずっと炎天下の中を走る気にはなれないわけです。だから、はじめからノルマの25kmを越えて長く走ろうなどとは考えません。

で、「短くてもいいよ」と自分に言い聞かせて走り出します。色々なコースを使うのですが、もっともよく使うコースは、途中8km地点で折り返して16kmになるコースを+4.5km延長したものです。

16kmでいいよと自分に言い聞かせたものの、折り返し地点(8km)に来てもまずやめる気にはなりません。まだ体力も残っていますし、ノルマは25kmです。じゃ、しょうがないから25kmのノルマをこなすために、もうちょい走っちゃおうかな? などと考えてさらに進みます。
そして、メーターが12.5kmを指すちょいと前くらいになります。これで、折り返せば25kmでノルマ達成! 何も後ろめたいところはなしということになるのですが、もう2.5km進めれば30km走破することになります。
自転車の2.5kmなんてちょろいものです。そして、25kmと30kmでは印象がちがいます。折り返してもいいはずなのですが、次のように考えます。

・ ノルマの25kmでは、なにかの理由で休んでしまうと40日でクリアできなくなる。
・ これまで30kmを越える日が続いてきた。ここでやめちゃうのはもったいない。
・ 25っていう数字が中途半端。すっきり30の方が良い。
・ 2.5kmを走るだけの体力はまだ十分に残っている。
・ 往路が終わればあとは帰るだけ。往路はがんばろう!

というような思いを持って、12.5km地点を越えて片道15kmをすぎるまで走り続けることになるのです。

つまり

走り出しは25kmを走らなくてもいいと自分に言い聞かせて走り出し、12.5kmの折返しでは中途半端になるあと2.5km先まで進もう! と自分を鼓舞する。結果として30km以上走ることになる。

の繰り返しにより、1000kmの半分、500kmを走ることが出来たのです。
自分の心の中にある怠け者の駄々っ子をなんとかなだめすかして続けてきたって感じです。

それでも、夏自転車は、生きる張り合いになっているって気づいた

300kmを越えるまでは、ちっとも距離が伸びた気がしません。1000kmまでにはまだたっぷりと残っているぅとう気分です。それでも、300km越えると、まあまあなんとかなるかなぁっていう感じになってきました。

そして、走り出す前は嫌だなぁという鬱な気分でいるのですが、走り終えてシャワーを浴びていると

今日もよくやった、自分! 逃げなくてえらい!

という気持ちになります。充実感ってやつでしょうか?

退職してだいたい130日が経過しました。その間に色々とやりたいこと、やらねばならぬことなどをやってきました。小さなチャレンジや大きな挑戦もありました。

退職して、もう仕事はしないと決めたのですから、何かをやらなきゃならないというわけじゃありません。それでも、何かしないともったいないという気分を味わう日がたくさんありました。

この夏自転車をはじめてからは、とにかくその日の分を走ったということが、自分に充実感を与えてくれています。暑さが厳しかったり、復路の向かい風が強烈だったりすると、めっちゃ消耗するのですが、それに比例して「よくやった自分」という気持ちが大きくなります。

そう考えると、夏自転車は、自分に生きがいをあたえてくれているのだと気づきました。走るのが億劫であることは変わりません。でも、それだからこそその気持に負けず毎日走り続けることが充実感につながるのだと思います。

何もやらなければ、苦しいや嫌な思いをすることはありません。

でも、それじゃなんかつまらないです。あと半分、なんとか走りきろうと考えております。半分を終えると、なんかもう終わったという気分になるから不思議です。

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