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匂いの記憶

香水というものをきちんとつけ始めたのは大学生からで、それまではあまり興味がなかった。おしゃれに興味がないわけではなくて、服はもともと好きだった。
服というのは自分の拡張と可視化だ。自分が社会とどう関わるか、というのを現すものが服だと思う。
私は社会になじむ意思があります、ありません、あなたたちと仲間になる気があります、ありません、そういうのをわかりやすく示している。服である程度、寄ってくる人間をコントロールできる。

香りというのはそれとは別物だ。もっと本質的な、無意識的なものを示すものだと思う。

高校生の頃だっておしゃれ心に香水をつけたことはあった。ロクシタンのチェリーブロッサムの香りが好きだったので、練り香水をつけて学校に行ったこともある。で、体育で着替える時、クラスのひときわ明るい子が「なんかいい匂いがする!」と言い出して、恐ろしいことにその匂いの元を突き止め出した。匂いの発生元が私だと分かって「いいにおいだねぇ」と目を見てにっこり言われたとき、強烈な気恥ずかしさを感じた。それは、今まで隠していた自分の内面を見られてしまったような気恥ずかしさだった。匂いは体からにじみ出ているもので、香水というのは、自分自身がどうありたいかというのを示すものなのだ。どうありたいかを悟られること、そしてそれを匂いという形で自ら示すことに「はしたないわ」と思った。

そんな私がなぜ香水を再びつけるようになったかというと、とある文章を読んだからだ。それは高校の先生が書いた文章だった。

私は学校の先生を好きになるということがあまりなかった。そんななか、珍しく好きだったのが高校一年生の時に担任だった40代前半の禿げかけた英語の先生だった。
物静かな人だったが、さらりと発する言葉にユーモアがあってとても好きだった。手書きでA3用紙びっしりの学級だよりを毎月作成していて、同級生はあまり読んでいなかったけれど、私と私の母は愛読者だった。はじめ、その学級だよりは担当クラスだけに配られるものだったが、同学年担当教師の要望で全クラスに配布されるようになった。おかげで学年が上がって、その先生が担任でなくなってからも、学級だよりを読むことができた。
その最終号に匂いの記憶の話が綴られていた。卒業式の流れや、合格発表日の学校への連絡の仕方などが大半を占める中、端の本当に小さなスペースに書かれたその話が、私にはとても尊い記憶として残っている。
先生の過去の話だ。
先生には数年前婚約者がいた。彼女は優しく賢く先生を愛していた。しかし、婚約者は先生を残し事故で死んでしまった。先生はもう恋愛しないと決める。ところがどんなに強い思いで彼女を忘れまいとしても、記憶は薄れてしまう。そんなとき町を歩いていて、ふと漂ってきた換気扇からの香りが鼻腔に入った瞬間、彼女との思い出が鮮明によみがえる。彼女と撮った思い出の写真を見るよりも、一緒に食べた定食屋の換気扇から漂う匂いのほうがより瞬間的に彼女との会話を蘇らせるし、彼女の纏っていた香水の匂いが最も彼女の生きている姿を鮮明に再現させるという話だった。視覚や聴覚よりも確固として記憶と結びついているのが嗅覚なのだ。
これを読んでから、匂いというものに再び興味を持ち始めた。記憶、その人間そのものに結び付く、形のない匂い。それは、とても高尚で素晴らしい哲学に思えた。

それでも、やっぱり香水を大々的につけることに抵抗があって、寝る前につけていい匂いのまま就寝し、朝起きて薄れた匂いを纏って外出するのが常だった。それがどうして普通に香水をつけれるようになったかと言えば、好きだった人に「あなたはいい匂いがするから好きだ」と言われたからだ。それで香水を普通につけられるようになってしまった。とても単純な話で恥ずかしい。しかし、いい匂いというだけでもらえる好意があることに驚いた。それならば、いい匂いの方がいいだろうと思った。そのときつけていたのはゲランというブランドのmitsukoという香水で、もうそれからずっと使い続けている。日本人女性をイメージした、凛としたさわやかさの奥に苦みや深みを感じる神秘的香りだ。それは私のそうでありたい人間像にも通じていて、この香水は外へと向かう気つけ薬のようになっている。大丈夫、最低な私でも少なくともいい匂いがしてる、と。

誕生日に香水をもらった。嗅いだ時にあなたが浮かんだと。コムデギャルソンのKYOTOという香水で、霧の中の森のような香りがした。こんな風に見えているのかと面白かった。私にはスタイリッシュすぎるのでは、と思ったがこんな風に見えているのなら裏切らないようにしたい。たとえ、そのひとが纏っていなくても、人格と結びつく香りがあるようだ。なんと奥深い。面白い。

最近はミモザの香水をみつけて香った瞬間から、あの靄のような黄色い花が浮かび、気が付けば紙袋をぶら下げていた。
つかみどころのない、一枚の薄い紙を挟んだ向こう側にある春の香りで、振りかけた後、何度も何度も自分で嗅ぐ。
もし私に会ったら、匂ってもいいですよ。
同じ匂いを嗅いだとき、あなたはきっと私を思い出すでしょう。

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