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[個人史]外国で暮らすということ

『人生の土台となる読書』用に書いたけど、ページの都合で使わなかった原稿です。タイに住んでいたときの話。

社会に出るのが怖くて、休学(授業料がかからない)を二年して大学にとどまっていたのだけど、いつまでもそれを続けられるわけじゃない。いずれは卒業しなければいけない。
働きたいという気持ちが全然なかった。なんでみんな当たり前のように就職していくのか、まったく理解できなかった。ずっと部屋にこもって本を読んでいたかった。
でも、みんなが普通に就職して働いているということは、自分のほうがおかしいのだろう。自分も普通になりたい。
単に、やったことないから恐れているだけなのかもしれない。自分も働いてみたら意外とできるのかも。そう考えた僕は、とりあえず、できるだけ仕事が忙しくなさそうな会社に就職してみることにした。

なんとか潜り込んだその会社は、予想通り仕事は暇だった。やった、と思った。
だけど、仕事は暇だったけれど、毎朝同じ時間に出社して長時間拘束され、全く興味の持てない仕事をするのは苦痛だった。
入社したその月からもうすでに辞めたくなっていた。だけど、仕事をやめて他に収入のあてがあるわけでもないし、やりたいことがあるわけでもない。つまらないな、と思いつつも、死んだ目で勤め続けていた。

会社を辞めて無職になったきっかけは、タイのバンコクに一年間住んだことだった。
なぜバンコクに行くことになったのか。それは、会社の中で「バンコク事務所に行きたい人はいないか」という募集があったからだ。
入社したときからずっと会社を辞めたかった僕は、どうせこのまま勤めていても何もいいことはないし、ダメ元でバンコクでも行ってみようか、と応募してみた。タイは一度行ったことがあって好きだったし。そうしたら、英語もタイ語もほとんどできないのに、採用されてしまった。
あとで聞くと、同時期に募集していたサンフランシスコ事務所には希望者が多かったけど、バンコク事務所に応募したのは僕一人だったらしい。そうなのか。サンフランシスコとバンコクだったら、僕は断然バンコクのほうが行ってみたいんだけど、みんなは違うんだな。少数派で得をした、と思った。

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