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7月26日(木)〜31日(火) 漫画ばっかり読んでしまう

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7月26日(木)

知り合いの整体師の人に家に来てもらって整体をしてもらう。
共通の知人について話す。彼は異常者を集めて世界を無茶苦茶にしたいと言いつつ、そのための基盤作りとして町内会にちゃんと出て祭りを手伝ったりして、いろんなことができる地盤を整えているのが偉い。彼自身は自分のことを「ただの人の欲望を叶えるシステムだ」と言う。実際彼はとても面倒見がよく、クズたちがあれがしたいこれがしたいなどというと手伝ったりお金を出したりしてくれる。そのしたいことというのが、破滅的な方向なら喜びがちなのだけど。
整体師の人は言う。
「僕がしたいのも同じようなことなんですよね。人の体を整えることで、その人をブーストしたい。無茶苦茶な人間がさらに無茶苦茶な方向に進んでいくのを見たい。だからもっと無茶苦茶な生活をして無茶苦茶な凝りを溜めてください」

山崎ナオコーラ『人のセックスを笑うな』を読む。ずっとタイトルは知っていたけど読んだことなかったので、なんとなく今さらだけど。
言葉は少なくて簡潔なのだけど解像度が高いというか、世界が作られているなーと思う。派手だったり華やかだったりしないけど瑞々しくて美しい世界が。
19歳で絵の学校に通っている主人公(男)が学校の講師の39歳既婚の女性(女)と付き合う話。作者は女性で小説の主人公は男のせいか、読んでいてあまり男っぽくないというか、実際の男とは違うな、という感じがあった。だからだめってわけではなく、それはそれとして小説として感情移入できるし面白いのだけど。
そう思いながら読み終えたら、解説で高橋源一郎がちゃんとそういう点について語っていた。土佐日記の昔から男が女のふりをして語るというジャンルはあるし、それはそれでいいのだ、と。確かに。男が書く男、男が書く女、女が書く女、女が書く男、全部あったほうが世界が豊かで面白い。
男が「男」っぽく考えたり行動したりするのって、男が男のことを書いた文章を読んで、規範を内在化することで形成されたものなのかもしれない。男ならこう考えるはずだ、とか、男ならこういう趣味を持つはずだ、とかそういうの。女性が書いた男性像を読んで「男っぽくない」と思うこと自体が規範に縛られている可能性がある。そうだとしたら、いろんなタイプのフィクションがあることで、人の意識や行動は性差にとらわれずもっと自由になれるのかもしれない。

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