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4月2日(日)~6日(木) 曇り空のせい

4月2日(日)

川に来てみたけれどやっぱりそんなに気分はアガらなかった。桜も咲いているのに。
昔はこんなとき、歩いているだけで楽しくてしかたなかったけど、なんだったんだろうな。今は面倒くさいだけだ。若さが見せる幻だったのか。なんだか虚しい。曇り空のせいなんだろうか。
みんなちゃんと人生をやっててえらいな、俺は孤独にわけわからんのをやっていくしかないな、という気持ちになった。

ツイッターのAPIの有料化で、ツイログが止まるかもしれないらしい。ツイッターに書いたことを日記的に読み返すのに重宝していたのに。これからどうしようなあ。イーロン・マスクめ……。
こういうのに備えてツイログもちゃんと有料化してお金をとっておくべきだった、という意見もあった。僕も月300円くらいなら払ってもいいかもしれない。
しかし、今まではずっと、料金を取れる雰囲気ではなかったよな、とも思う。数年前の時点でお金を取っていたら「お前も金儲けに走ったか」みたいな感じでかなり反感を買ったのではないか。みんながウェブは無料でいくらでも使えると思っていた時代。

『ウィッチンケア第13号』に載っているコメカさんの文章で、イーロン・マスクのツイッターの改悪によって「2010年代の終わり」があらわになったと語られていた。

2010年代のわれわれは、ネットで人とつながることでさまざまな恵みやさまざまな自由を得てきたけれど、それはツイッターやグーグルなどの巨大IT企業、いわゆるビッグテックに頼りすぎていたのではないか、という指摘。そういうものは簡単に経済の論理で切り捨てられる。
イーロン・マスク以降のこれからは、小さな場が連携し合う、マストドンなどのフェディバースのようなものが、現実世界でも必要になっていくのでは、と。例えば小さな店がネットワークを作って連携し合うとか。
具体的にどういう形かわからないけど、確かにそういうのが実現したら面白そう。というか、そういうのしかもうないのかもしれない。

アマプラで『プラットフォーム』という映画を見た。面白かった。

階層化された部屋に閉じ込められて、上の階の余り物しか食べられないというルール。上層の人は食べ放題だけど、下層の人は何も食べられない。そんなシステムの中でお互いに憎しみ合いが発生する。

映画は普段ほとんど見る気にならないのだけど、こういう閉鎖されたシステムの中での実験みたいなものだけはなんか見る気になる。『CUBE』とか。『ソウ』とかも見れる。なんでだろう。壮大なスケールで登場人物も多くてダイナミックに話が動くみたいなのはなんか嫌だ。ミニマルなのはかろうじて見れる。
見たきっかけは、『R15+じゃダメですか』という漫画で紹介されていたので。



夜中にこんなことをふと思ったけど、僕が関東弁ネイティブじゃなくて、年配の関東の人の喋りに慣れてないだけかもしれないな。


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