詩の荷ほどき(前編)
中島敦『文字禍』で老博士は、一つの文字を構成する複数の線の総体が、さらにそれらと音の組み合わせが、なぜ一つの文字として統合されるのか、という問いに打ち当たる。文字をじっと観察すれば、一つ一つの線を順番に把握し、全体を線の組み合わせとして分析することができる。しかしその線の総体は、文字として認識される文字とは、もはや同じとは感じられない。その隔たり、文字が文字であることの必然性/偶然性にこそ、「文字の霊」が見出される。
老博士の経験はもちろんゲシュタルト崩壊という言葉で説明することが可能だ。しかし、本当に文字の霊へと迫ろうとするならば、文字から線へと崩壊する以前に、一体ゲシュタルトはどこにどのようにしてあったのかを問わねばならならい。感覚できる素材の背後にあって素材を統合する霊は一体どのようにして存在しうるのか。この問いに迫るためには、文字を後天的に学び、ゲシュタルト崩壊とは逆の道筋、すなわち線から文字への統合過程を経験したものの言を聞くことが有用だろう。たとえば、アーネスト・フェノロサがいる。
*
フェノロサは『詩の媒体としての漢字考』において、漢字のような象形文字で書かれた詩こそが真の詩であると主張する。「その理由は、音楽のように時間芸術であって音声の連続印象からそのユニティを織りなす詩が、主として眼になかば絵のように訴えることばの媒体を、ついに自分のものにすることができると思われるからだ」[2]。フェノロサによれば、漢字は「思想絵画(thought-picture)」であり、表音文字に比べて「はるかに、いっそう生き生きとあざやかで具体的である」[3]。漢字で書かれた詩は、時間芸術であるだけでなく絵画の喚起力をも合わせ持っている[4]。よって、「ただ意味することをつたえるのではなく、言われることそのものをつたえねばならない」詩の媒体として優れている。
しかしフェノロサの分析は、漢字の絵画性を示すにとどまらない。
まず漢字は、単に事物を視覚的に切り取り模倣した形象ではない。なぜなら漢字の構成要素は、多くが時間的持続を有する行為の略図だからである(言、屯のように[5])。よって漢字において名詞と動詞に本質的な区別は存在しない(明のように)。このことは、フェノロサによれば、自然の状態と一致している。自然には純然たる名詞も純然たる行為も存在せず、「眼は名詞と動詞を一つに、動作における物、物における動作として見るのだ」[6]。品詞の分類は西洋文明に固有の枠組みでしかなく、名詞を動詞と区別することは言葉から時間性を奪い、意味作用を乏しくする結果になっている。対して漢字は、あらゆる言葉に動詞の性格が残っており、具体的事物の持続的実在を表現できるとフェノロサはいう。
では、具体的な表現である漢字は、どのように抽象的概念を指示するのか。それは、有形のものを用いて無形のものを表す方法、すなわち比喩(metaphor)による[7]。中国語では、前置詞や代名詞も、行為の略図である漢字によって、あるいはそれらの組み合わせによって表現される。By=因、from=従、I=我のように。フェノロサにとってこれは、具体的な既知のものによって未知のものを表現する比喩であり、「小さな真実から大きな真実へ」(単純な構成要素から複雑な漢字へ)と至る有機的な発展の道筋を示している。よって複雑な漢字は常に、構成要素によって自らの比喩の成り立ちを語っているのだ。
このように、フェノロサの主張では、漢字とは事物の持続的実在を表現し、また自らの比喩の成り立ちを再帰的に表現する。言い換えれば、比喩の成立過程をその都度想起することを通して「ことばを自然のプロセスの具体性に密接させる」[8]。漢字のなかには(字を作り上げた古代人が)世界の像を構成する過程が比喩としてパッケージされていると言うこともできるだろう。だからこそ漢字は、「詩は原始的な民族が無意識にしたことを意識的にするだけだ」と説くフェノロサにとって理想的な詩の媒体なのである。
漢字の充満した意味作用は、しばしば光に関する語彙で語られる。光芒を放ち(luminous)、意味の光輪(nimbus)や光環(corona)を持つというように。フェノロサが最も気に入っていた字は、「耀」だったと言われている[9]。それは若き菅原道真の漢詩の一句「月耀如晴雪」から取った一字だ。「耀」は、「光=明るいこと」、「羽」、そして「鳥=飛ぶこと」によって構成されているとフェノロサはいう。この要素の総体を統合する「かがやき」こそ、フェノロサにとっての文字の霊だったと言えるだろう。
*
『漢字考』は1908年のフェノロサの死後出版されたが、その編集をしたのは詩人エズラ・パウンドだった。パウンドはフェノロサの遺稿の引受人であり、漢字論から多大な影響を受けたこと、彼もまた「耀」を気に入っていたことが知られている[10]。T. E. ヒュームを介してベルクソンの思想にも触れながら、パウンドはイマジズムからヴォーティシズムへという詩論を形成した。
フェノロサにとって理想の詩の媒体が漢字だったとすれば、パウンドにとってのそれはイメージだった。イメージとは「知的・情緒的(intellectual and emotional)複合体を一瞬のうちに提示(presentation)するもの」だ。この定義は1914年にヴォーティシズムの機関紙Blastに発表された文章に書かれている。「ヴォーティシストが用いるのは、それぞれの芸術における原初の色彩(primary pigment)、それのみである。/あらゆる思考や情緒は、鮮明な意識にとって、ある原初的なかたちとなって提示される」。「詩にとって原初の色彩とは、イメージである」。「イメージとは、知的・情緒的複合体を一瞬のうちに提示するものである」[11]。こうしてイメージによって書かれた詩は「非人格的(impersonal)であり、その事実は絶対的な比喩と私が言うものに帰結する」[12]。
ここに、イマジズムの三原則の一つ、「主観・客観を問わず「もの」を直接的に扱うこと」[13]を併せて考えれば、パウンドの思想がフェノロサを背景に浮かび上がってくる。イマジズム=ヴォーティシズムは、知覚と感情を包含するイメージによって、「原初的な」かたちや色彩を提示し、「もの」へと肉薄する。優れた詩によって形成されたイメージは「非人格的」な「絶対的な比喩」、つまりは客観的構築物となる。詩の目的は、このように普遍的な比喩を編み出すということになる。
フェノロサと比較すれば、パウンドにとっての「究極の比喩」は前者にとっての漢字という媒体に相当するということがわかる。なぜなら漢字は、自然に存在する行為の比喩であり、それは原初的であると同時に(ある文化圏にとって)普遍的だからだ。漢字が、それが作られたときの比喩の形成の記憶を抱えているように、パウンドにとってのイメージにも、その言葉が詩人によって発話される過程がパッケージされている。そこにイマジズムの「かがやき」があると考えられる。
パウンドは実際に自作に漢字を用いたり漢詩の引用を挿入することによって、イメージ=知的・情動的複合体の再組織を試みていた。長年をかけて執筆した大作『詩篇』には、漢字も含めて多言語の引用や固有名詞が入り混じり断片が積層したような詩が多い。それらはパウンド自身の経験に基づいて選択された言葉だが、同時に「究極の比喩」として定着させるべく非人格的に差し出されている言葉でもあるはずだ。読者は、その比喩が形成される過程それ自体を、追体験するように読むことになる。
しかし、どのようにして?
[1] 中島敦『文字禍』青空文庫、https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/622_14497.html。
[2] アーネスト・フェノロサ『詩の媒体としての漢字考』高田美一訳、1982年、東京美術、6頁。一部修正。
[3] 前掲書、10頁。
[4] レッシング『ラオコーン』においても、理想的な詩的言語は絵画的性質を持つものとされる。
[5] フェノロサが挙げる例を引用するが、漢字の成り立ちについて彼の記述が必ずしも正確ではないことを断っておく。ここではフェノロサが漢字に見出した価値を理解することを優先する。
[6] 前掲書、13頁。たとえば「桜の樹は桜の樹が行為するすべてである」。
[7] 前掲書、31頁。
[8] 前掲書、33頁。
[9] 高田美一「「耀」・はじめのひかり」前掲書所収、78頁。
[10] 石田圭子『美学から政治へ』慶應義塾大学出版、2013年、180頁。高田美一「「耀」・はじめのひかり」、79頁。
[11] Ezra Pound, Vortex, Poetry Foundation, 1914, https://www.poetryfoundation.org/articles/69480/vortex.
[12] Ezra Pound, Vorticism, in the Fortnightly Review No. 96, September 1914, 461–471頁.
[13] Ezra Pound, “A Retrospect” and “A Few Don’ts”, Poetry Foundation, 1918, https://www.poetryfoundation.org/articles/69409/a-retrospect-and-a-few-donts.
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?