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90歳の私日記


ちょっと面白いことを思いついた


自分の最大の理解者は自分であると思っていて、選択に困ったときは死ぬ前の自分ならどうするかって考える。

(これがいつも出来たら良いんだけど、忘れてることの方が多い)

ここ3日間は意識的に思い出して生活してみた。

ネガティブな予定に対して24歳の私は早く終わらせようと我慢突っ走りをしようとするが、90歳の私は息を抜いて楽しむようにと言ってきた。

ちょっと自意識過剰な24歳の私はフォームや見た目に自信ないからジム行くの嫌になりそうだったのに、90歳の私は「良いのよ、今のあなたは素敵。体を動かしてきなさい。」って言ってきた。

お風呂がめんどくさい24歳の私に90歳の私は「こんな若い身体を持っているのに綺麗にしないなんて勿体ないワ。」とルンルンしながら言ってきた。



24歳の私の選択と90歳の私の選択は少し違うことがある。

私の思考でのやり取りなのに、全く違う選択がふってくるのが不思議で仕方ない。
多分、自分では気付いていない大切な価値観に沿った選択がでてきてんのかな〜〜



90歳の私の言葉は、とっても好き。

なぜかすんなり受け止められる。


イメージとしてはギュッと一点に縮こまっている私をふわっと広げてくれるような、そんなかんじ。


もうしばらく90歳の私の声をきいてみることにする。



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そこでタイトルに戻るんだけど

できるときに90歳の自分から見た24歳の私はどうだったか日記をつけると面白いんじゃないかと思ってね
90歳の私がどんな言葉をくれたかまとめ、とかでも面白いかな。


ばい!


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