とりあえず、泣けてきた。
歌いたくてカラオケにきたはずなのに、なんとも言葉にしたくなってnote書き始めた。
最近はいろんなことにもやもやしている。
仕事と人間関係と、恋愛と?健康と
うまく時間を作れなくて、時間に追われて今日が終わっている。
これが師走なのか。
隣の部屋のカラオケは同世代すぎる。
地方と都会とのウイルスの意識の差に傷付いたりして。
祖父の呼吸が止まった。その場に誰も立ち会えなかった。ウイルスが流行っているから。
葬儀に出席したかったけど、家族に止められてわたしは出席できず。
赤子と90過ぎの曽祖母がいるから移動は控えてほしいと言われた。こないでと言われたら、行けない。
けど、都会の人は移動を続けている。
なんか泣けてきた。
「この眉毛は城に仕えていた印だ!」と自慢げに言うけど、婿養子の祖父。(そう、城に使えていたのは祖母の家系)多くを語らないけど、自分の赴くままに生きていた祖父。農家の仕事が終わったら、自分のタイミングでお酒を飲む。ばあさんが「いーや。頼み事があったのにもう酒飲んでら!」って言う夕暮れ。
調子良く酔うと、弱いビニール袋に入った小銭の掴みどりをさせてくれる。
わたしのお母さんは、「農家の子は農業高校だ!って言ってきかない、怖いお父さんだったよ」と言っていたけど、わたしはじいさん相手に怖い思いはしたことがなかった。
「よぉ!よくきたな」
迎えてくれるのが恥ずかしかった思春期。
「仙台は俺も若い時住んでた・・〇〇区に」
と嘘か本当か証明しづらい話をするじいさん。
確かわたしが小学校高学年の敬老の日にじいさんに「お昼寝用の枕」とプレゼントした馬は、去年遊びに行った時も有った。ずっとお昼寝用に使ってくれていた。
従姉妹の結婚式の終わり、すっごいつまらなさそうに歩いていたから。「寂しかったの?」って聞いたら「カラオケがなかった」って不貞腐れていた。
それがあまりにも愛らしくて、わたしの結婚式にはカラオケを入れようと思った。
なのに、わたしの結婚式を待たずしてじいさんは寝てしまった。もう起きないんだよ。
昨日、妹が気を利かせてビデオ電話してくれた。みんな笑顔だったし、ばあさんの顔見たらつい「じいさんは?」って聞きそうになって、ぐっと堪えた。
「じいさんができないんだば、来年はできないな」
って毎年、りんご終わる終わる詐欺をしていたばあさん。今年が本当にできなくなってしまうのか。
今年のりんご、「みんなで食べるんだよ」って言われて届いたから島のお世話になっている人に配って歩いたらみんな「こんな美味しいりんご初めて食べた」って言ってたんだよじいさん。
畑だったらはっきり喋るじいさん
遊びに行ったら喜んでくれるくせに、なんで最後には会わせてくれなかったんだよ。ばか。
ばか、ばかと唱えても、もっと会える時にもっと喋ればよかったと湧き上がる。
故郷から遠い場所にきたことは後悔していない。
わたしには覚悟が必要なんだ。
最後の最期までりんご畑守ったかっこいい、おらほのじいさん。収穫も仕分けも全部終わった後に死んでしまうなんて、かっこいいじゃんかよ、じいさん。
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