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【ダイアリー19/10/14】ポルノグラフィティは今が最強で全盛期だから東京ドーム最高だったって話

ポルノグラフィティ20周年記念ライブ「NIPPON ロマンスポルノ'19 ~神VS神~」からひと月。まだ余韻から抜け出せないロマポル亡霊のわたしです。

数か月後、何年か後の自分のために備忘録としてライブレポを書こうとしていたものの、1日目の5曲目アポロまでですでに3000字を超えていて完全に先が見えない。困った。たぶん年内に書き終わらない。

でもひとまずこの想いをどこかに書き留めておきたくて。「確かに動いた心をなかったことにしてしまうのが、自分の心に失礼だと思うから」ね。(新藤晴一教の聖書「自宅にて」より。わたしはこの一文と「嘘でも前に」のキーワードによってだいぶ人生が変わったタイプの人間)

なのでこれは、すごいふわっとした感情の記録です。ポルノのこれまでに思いを馳せて語るだけで何のレポでもありません。


ポルノグラフィティは1999年9月8日に「アポロ」でメジャーデビューし、「サウダージ」「アゲハ蝶」など大ヒット曲を連発、紅白歌合戦にも出場、その後も精力的に活動を続け、今年でデビュー20周年を迎えたアーティスト。

ポルノを一言で説明するならこんな感じになるだろう。外から見れば、デビュー以来コンスタントにリリースを続け、いまだにタイアップも多く、歌番組にも出演し続け、活動休止期間もなく、解散の噂もなく…。まっすぐな道のりを順調に歩み続け、ほぼ無傷で迎えた20周年、というイメージなんだろうな。

でもやっぱり、少なくともずっと追いかけてきたファンからしてみれば、順風満帆とは言いきれない20年だった。悲喜こもごもで、ある意味ドラマティックでもあって。いろんな「苦」を乗り越えてきたからこその、今。だからきっと世間的にあまり知られていない「苦」のほうを重点的に振り返りたい。

広島県・因島の高校で晴一さんを中心に結成した文化祭バンドがポルノの原点で、コーラスとして誘ったはずの同級生・昭仁さんの歌がうまかったので晴一さんはボーカルをクビになりギターになる。そこに晴一さんの幼馴染のTamaちゃんもベースとして加わって。これがすべての始まり。大阪でのインディーズシーンで人気を獲得、ソニー、アミューズと契約し上京。しばらくはデビュー曲作り&育成期間を過ごし、やっと「アポロ」でメジャーデビュー。

メジャーデビューは間違いなくおめでたいことだったけど、このデビュー曲がポルノにとって早くもひとつの「苦」でもあって。インディーズ時代のポルノは、作曲はTamaちゃん、作詞は晴一さん、そして昭仁さんが歌う。というのを基本の形としてやっていた。インディーズではそれでよかったけど、メジャーシーンにポルノを売りこもうとする大人たちを納得させるデビュー曲はなかなか作れない。そこで本間昭光氏という天才メロディメーカーがプロデューサーとしてポルノチームに降臨。デビュー曲「アポロ」は彼の作曲だ。

ロックバンドとしてポルノがイメージしていた姿はやっぱり、「メンバー自身が作った曲でのデビュー」であって、プロデューサーが書いた提供曲でデビューして売れたこと、そこにはやはり多大な葛藤があったことは後々いろいろな場面で語られている。晴一さんが「歌詞」だけでもとプロレベルのものを書き上げ、デビュー曲の制作陣にメンバーの名前がクレジットされたことは、きっととても大きいことだった。

その後も大ヒットする曲は「ミュージック・アワー」「サウダージ」「アゲハ蝶」「メリッサ」など、ほとんど本間さんの曲。でもそのぶん、この時代のポルノはカップリング曲とアルバム曲にめちゃくちゃ力が入ってて、メンバーの作詞作曲の楽曲ほんとうに名曲だらけ。本間さんの曲のようなキャッチ―さはなくても、ポルノのソングライターであるTamaちゃんの曲はやっぱりおしゃれで面白いし、晴一さんも昭仁さんもそれぞれ個性強くて、多彩な楽曲たちは聴いていて楽しかった。

わたしは「メリッサ」あたりからのファン(いわゆるメリッサ新規)なので、このあたりからだいぶ主観入ります。

デビュー5周年を迎えるころ、初のベストアルバム「RED'S」と「BLUE'S」を2枚同時リリース。これめちゃくちゃ売れた。そりゃそうだ。ただ、このタイミングでまたもうひとつの「苦」があって、他ならぬベース・Tamaちゃんの脱退。理由は「自身の追求」のため…。その後の彼の活動を見ていると、J-POPど真ん中にいたポルノグラフィティとしてはできないような音楽をやっていたし、これがいわゆる音楽性の違い、ってやつなのかなぁ…と当時思ったものです。

二人組となったポルノグラフィティは「シスター」をリリースし再出発。この頃、ふたりからは前向きな言葉しか聞いた記憶がない(半ば強引に前に進もうとする雰囲気ではあったけど)。でもそれから5年たって10周年のツアーのときに、Tamaちゃん脱退時には「解散も本気で考えた」ことを初めて告げられて衝撃を受けた。バンドのメインソングライターであったTamaちゃんが抜けるというのは、それだけ大きなことだった。

ふたりになってからしばらくは、Tamaちゃんがいたころよりさらにポップな曲、アルバムが増えていった。ベースがいなくなりバンドという形でなくなってしまったことに対して、コンプレックスを抱きつつも逆に武器にしてやろうという思いも感じられた。メンバーふたりも、プロデューサーの本間さんも、ポルノを一緒に作っているスタッフもきっとたくさん悩んだだろう。

これに触れるのは嫌な人もいるかもしれないけど、2008年には昭仁さんも晴一さんもそれぞれ結婚した。正直このとき結構がっつりファンが減った実感があった。顔ファンがいなくなったとかそういうことだけでなく、この時期の楽曲はなかなか迷走していた感が否めなかった。ふたりともが「もういい歳になって、恋愛の曲ばかり書くのも…」的なことを雑誌とかで語っていた記憶があるけど、結婚したからそう考えてるんだろうなぁ…と思ってしまったし、その迷いが楽曲に出まくっていた。と思う。個人の感想ですが。それに「別冊俺」によれば、本間さんとの関係性もちょっとギクシャクしてたっぽいしな…そりゃアルバム「ポルノグラフィティ」もああなるよな…。

でも、デビュー10周年イヤーにまたひとつ転機が。二度目のベストアルバム「ACE」「JOKER」を最後に、本間さんがポルノへの楽曲提供をしなくなった。シングル「今宵、月が見えずとも」以降、楽曲制作者がメンバーふたりだけになったのだ(「EXIT」は例外として)。これはポルノチームとしてとても勇気のいる決断だったと思うけど、その第一歩の曲「今宵~」がめちゃくちゃかっこよかったし、初の東京ドーム公演も成功させたし、アルバム「∠TRIGGER」もとても充実した内容で、結果的にメンバーふたりだけで曲を作っていく方針はポルノが殻を破るよいキッカケになったようだった。

ただ、「今宵~」以降、なかなかヒット曲に恵まれない。月9ドラマの主題歌という大チャンスもあったけど肝心のドラマがアレだったし、「EXIT」「ゆきのいろ」「2012Spark」「カゲボウシ」と名曲は多かったのだけど、なかなか世間に注目されない。ファンとしてもちょっと苦しい期間だった。

この間に、これまで全楽曲において編曲を担当していた本間さんが、アルバムの中の1曲だけを手掛ける形になり、ついにはポルノグラフィティのプロデューサーからも外れた。東京ドームで本間さんはこのときのことを「寂しかったとも違うんだけど、家に帰ってちょっと泣いた」と語っていたけど、本間さんにとっては「子離れ」、ポルノにとって「親離れ」の瞬間だったといえるのかな。

2014年にはベストアルバム「ALL TIME SINGLES」をひっさげたアリーナツアーを完走し、デビュー15周年記念シングル「俺たちのセレブレーション」をリリース。作詞が共作で、1番を昭仁さん、2番を晴一さんが担当。おかげさまで相当カオスな仕上がりに。この曲ほんとにセレブレートしてますかね??

同年末、紅白歌合戦に13度目の出場となるが、演奏曲は「アポロ」。これ発表されたとき全ポルノファンが「今年で最後か…」って覚悟したやつ。表向きには、15周年だし紅白でやったことのない「アポロ」を!という流れ、自然ではあるけど、ここまでの数年間はいつ落選してしまうのか嫌なソワソワが続いていたから。きっとこれは紅白がポルノに用意してくれた花道なんだろうなと。そしてその予感は現実となった。

近年ヒット曲がなく、オールタイムシングルベストも出しちゃって、紅白も卒業っぽくて、なんとなくぼんやりと今後ポルノグラフィティはどうなっていくのかと不安になっていた矢先、バカデカいタイアップが舞い込む。なんと、映画「名探偵コナン」の主題歌!!情報解禁前にコナンっぽい赤レンガの前で撮ったアー写公開するし、スタッフレポートでは「ジン」だの「ウォッカ」だの言うしと公式が匂わせを連発。しかしこれはファンも浮かれた。コナン映画、しかもキッドが出るなんてもはや大ヒットが約束されているようなものだし。

コナン主題歌として満を持して発表した「オー!リバル」は、ポルノにとって大きな転機のひとつとなった。コナン側からのリクエストは、映画の雰囲気もあって「アゲハ蝶」のようなラテンテイスト。ただ「アゲハ蝶」は、今やプロデューサーをも外れた本間さんの提供曲だし、ラテンアレンジも本間さんの専売特許的なイメージが強い。ポルノふたりだけでラテン系の楽曲に真っ向から挑んだことはそれまでなかった。でもそんなことは言ってしまえばポルノチームの内部事情。コナン側の期待に応えるべく、昭仁さん作曲・晴一さん作詞、そして本間さんではないアレンジャーとで作り上げたのが「オー!リバル」だった。

「オー!リバル」は、久々にファン以外の層にも届いたヒット曲となった。この曲についての「ポルノっぽい!」という声は、ファンからすればめちゃくちゃ高評価。今のポルノってふたりだけどこういう曲作れるんだぜ!とひっそり誇らしくなったもので。「オー!リバル」のヒットはポルノふたりにも自信を持たせたようだし、アルバム「RHINOCEROS」も超名盤となった。ここから今までのポルノは、第二次全盛期!だと思ってる!!

2016年、ジャンプ漫画ヒロアカのアニメ初代OPテーマ曲として起用された「THE DAY」もヒット。両A面シングル「LiAR/真っ白な灰になるまで、燃やし尽くせ」はあまり世間には知られなかったが楽曲はカップリング含めてすごくよかった。ついでにこの年、ポルノがずっと応援していた広島カープもリーグ優勝。音楽番組ではカープ芸人ならぬカープミュージシャンとして話を振られる機会が増えた。

2017年にはロッキンこと「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2017」に初出演。「商業ロック」と呼ばれたとかなんとかで、ロッキング・オンとの間には確執めいたものがあって、ずっと出られなかったロッキン。ロックバンドとして売れることを夢見て因島から出てきたポルノだったけど、プロデューサーからの提供曲でデビューして、きっと彼らが想像していたよりポップなイメージのアーティストとして世に知られ、ベースが脱退してバンドと呼べるのか自分たちでもわからないような形になって、それでも活動を止めずにもがきながら「嘘でも前に」進んできて、ポルノふたりの力でヒット曲も生み出せるようになったこのタイミングでのロッキン出演。あんまりこの言葉使うのはダメだと思いつつ、これについては「エモい」と言いたいです。

2018年にはまず新機軸といえる楽曲「カメレオン・レンズ」をリリースし、夏にはなんとポケモン映画の主題歌として「ブレス」、その後に配信限定の「Zombies are standing out」「フラワー」とリリースが続くが、これがもう全部最強。曲自体がどれもマジで良い。特にゾンビはもう、、ファンが全員屍になったと言っても過言ではない。テレビで披露されず、あまり世間に知られていないのがこれほど悔しい楽曲もない。みんな聴いて。

同年9月からは20周年イヤーが始まり、彼らの地元・尾道で「しまなみロマンスポルノ'18〜Deep Breath〜」が開催。1日目にはほんとうに心から幸せそうな彼らの笑顔が見られた素晴らしいライブだったが、2日目が豪雨で中止となる。交通の便が良いとはいえないあの土地に全国からポルノファンが集まって、因島の学生とのコラボ企画も準備される中でのライブ中止。これもこんなにサクッとは語りつくせないものながら、ポルノとファンとの関係性が深まることにもなった出来事だった。

2018年から2019年にかけてはサブスクで楽曲が解禁されたことからアルバムをひっさげずにアリーナツアー「UNFADED」で全国をまわり、ファン発狂もののセットリストで20周年を盛り上げる。そしてシングル「VS」のリリース。二度目のロッキン出演。「ポルノ展」や「ポルノ喫茶」の開催。今年とにかくポルノファンは散財した。

そして先日、約10年ぶりの東京ドーム公演「NIPPON ロマンスポルノ'19 〜神VS神〜」が無事に成功したのだ。

これまでを振り返って、改めて「今のポルノグラフィティが最強で全盛期」って本気で思っている。昭仁さんと晴一さんふたりで、かつてのポルノのイメージ通りでもある「オー!リバル」や「THE DAY」のような楽曲を生み出してくれただけでなく、「カメレオン・レンズ」「Zombies are standing out」のような新たな路線の楽曲も世に送り出してくれた。昭仁さんはなぜだか歳を重ねるごとに歌がうまくなるし、晴一さんのギター演奏のことは詳しく語れなくて申し訳ないが確実に昔のライブより今のほうが好きだし、歌詞は相変わらずどんどん新しい世界を広げてくれる。あと歌も全然うまくなってた。ウェンディ。

20周年の今、そんなポルノが東京ドームでライブを開催できたこと、10年前は1日限りだったのが2daysになったこと、そしてわたしの個人的な思いで言えば「今のポルノグラフィティが最強で全盛期」と思いながら東京ドームライブに参戦できたことが何より嬉しい。ドームに立つふたりの姿が誇らしすぎて泣けた。ここまで闘ってきてくれてほんとうにありがとう。

どうかこれからも、できるだけ末永く闘ってくれることを祈って。

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