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子どもと向き合うこと

たえちゃんの「働くとは」をテーマにしてもらったお返事。
わかるな~って思う部分もあり、自分とはちょっと違う視点が面白いなと素直に感じて嬉しかったよ。

とくに一度キャリアを断たなければならない状況になった時、その時は何かそれよりも優先すべきことがあったからだと思うんだよね。だからこそ、すぐには気づかないのよね、社会から孤立してるんじゃないか?という感情にね。

働いてお金を稼ぐことが偉いなら、一銭にもならない家事育児をする自分には価値がないのか?そんなことは絶対誰しもが考えたことがあると思う。
冷静になってみたら、家をきれいにしてみたり、子どもの体調不良に対応するうちらがいるからこそ働けるのに、なんだかそういうのすらどんどん当たり前になっていく、自分も夫も。
そして時に、ふと我に返って夫と自分との境遇の違いの理不尽さを目の当たりにしたときに、やり場のない怒りだったりもやもやの前に立たされるというか。
うちも大爆発して、ダメだとわかっていながらも長女の前で泣いたことある。。

「仕事してる間が息抜きになってるんだよね」なんていうママさんもよく見てきた。なんかこういっちゃなんなんだけどね、なんて一言もついてくることが多かったんだけど、いや、いいじゃん!そういう場所が見つかってよかったねって思う。
たえちゃんも仕事の時間が自分の時間と感じられるのは、そこにはママとしてのたえちゃんじゃなくて、たえちゃんという一人称でぶつかってるからだよね。
「別に働かなくても生きていけるけど働くのなんで?」
これめっちゃわかる~
自分でいたいし、純粋な自分の価値で勝負したい。
家族じゃない他の誰かのために何かをしたいのよ。その喜びはまた、家族間で生まれるものとは違うのよね…

と、前置きがながくなってしまった!


子育てに向き不向きだなって思うこと
【思考】
・向いてるところもあるかもしれないけど、多分向いてない気がする

【理由】
・基本的に子どもを子どもとしてとらえてない部分が多い
・もちろん我が子はかわいいけど、親ばかにはなれなかった
・メンタルが基本的に強いと思ってるので、も~!ってなることがあっても立ち直りが早い
・議論では負ける気がしない(反抗期も戦うよ宣言してる)
・簡単な言葉をあえて使わない


子どもが生まれたら、可愛すぎてやばいのかなっていう気持ちでいたんだけど、もちろんかわいかったし、絶対に守りたいって思ったんだけど、そのあとの初めての育児&ほぼワンオペで、そういう余裕すらなくなってしまってた。誰とも話さないで過ぎてく日々もざらで、そのうち笑うことすらできなくなっていった。
そういうことがあったこともあって、子どもに「大好き」っていうのがなんかいつまでたってもむずがゆくて、催促されないといわない、ママとしてどうなのよ、っていうところもまた、向いてないような気もしてる。

子どもなんだけど、それだけじゃない、なんか特別な感じだなって。
特に長女は、初めての育児に一緒に向き合ってきた同志みたいな感覚が強い。
自分の世間から見た役割としてはママなんだけど、自分自身はママというのに違和感もあるかもしれない!
向いてるなって思うのは、小さい事をあんまり気にしないことと、手を抜くことに抵抗がないことと、なんとかなるでしょ精神があることかな?笑
これは子育てに向いてるかというよりは、いろんな方面に活かせてるのかもしれないけどね。

誰かと話す事がすごい大事だなって思い始めたのも、この時期の経験が大きくて、そのくらいこのあたりの暗黒時代が今の自分を作ってきてるなって思う部分も多いのよ。その時の自分を変えることはできないけど、その時の自分がいたからこそ、それを誰かに役立てることができるよって言ってあげたいというか。
誰かにも言ったことあるけど、過去の自分を救うことは難しいけど、報いてあげることはできるって。
振り返るのが辛い過去もあるけど、子どもたちがいるおかげで感情を揺さぶられたり、それこそ答えのない問題を常に投げられ続けているから、面白いなとも思わせてくれてる。

なんかまとまりがない文章になってしまってごめんね!
たえちゃんには子育てつながりで「子育てにおいて難しいこと」について聞いてみたいです。

ほんとに世の中のママさんに対しては大尊敬しかない。
毎日おつかれさま。



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