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らいすき会 #3

本日の題材。ジャーナリスト佐々木俊尚さんの文章から。

 世界を代表する三つの国の映画産業―アメリカ映画とフランス映画、そして日本映画の違いって何だろうか?そういう問題提起がある。
 観点はさまざまにあるから単純化しすぎるのは危険化もしれないが、こういうひとつの切り口がある。「アメリカ映画は物語を描き、フランス映画は人間関係を描き、日本映画は風景を描く」。
 ハリウッド映画は完璧なプロットの世界で、物語というこうせいを徹底的に鍛えぬいて作り上げ、導入部からラストシーンまで破綻なく一本道を走り抜けられるように構成されている。
 フランス映画の中心的なテーマは、関係性だ。夫婦、父と子、男と愛人、友人。そこに生まれる愛憎と憎悪ともに描くことによって、人間社会の重層性を浮かび上がらせる。
 日本映画は、風景を描く。自然の風景という意味ではない。目の前に起きているさまざまな社会問題や人間関係の葛藤、他人の苦しみ、さらには自分の痛み。われわれにとってはそれらはすべて「風景」だ。どんなに深くか関わろうとしても、しかしどうしてもコミットしきれない所与のものとして、われわれのまわりの事象はそこにある。だから日本映画には、向こう側に突き抜けられないことによる透明な悲しみが漂っていて、それがある種の幽玄的な新鮮な感覚として欧米人に受け入れられている。

佐々木俊尚「ジャーナリストの視点より」より

この文章を読んで、普段映画をあまりみない私にとっては、こういう風に「これを読もう!」という機会に出会わなければ読み進まないカテゴリなのかも、と感じながら、それでも自国である日本を他国と比べてこういう違いがあるよってことがわかるのかな?というかんじで読み進めては見れる。

問いかけの部分を読んだ後、こういう答えの例があるということで読み続けていくと、アメリカ映画は~、フランス映画は~、というところを見ると、あまり映画を見ない私でも、確かに言われてみればそうかも、と思える気がする。
ここに書くべき答えの例は、あまり知識がない人でも多少納得できたり、理解できるものをもっていかなければならないのもポイントのような気がする。

解説をよむと、確かに映画ではなく、もっと身近なところからかけ離れたもの(ここではメディアの文化があげられている)だとしたら、それこそ先の文章を読んでみようかなとは思わない気がする。
映画ということで、より身近にさせてきているとのことらしい。

なんとなく言葉は知ってるけど、そういえばあまり詳しいところまで考えたことなかった、でも、これ読むと確かに~ってなる。
そういう文章構成なのかな?

読み手がわからないかもしれないからわかりやすく書くか、というよりも、相手の身近なもので問いかけることで、遠いものが近くに感じられるような、ちょっとした優しさが感じられるようなスタンスであることも大切にする必要があるなと、解説部分を読んで納得。

上から目線の文章は、読み手に絶対バレちゃうから。

これも納得。そういう文章が読みたいときも、時として個人的にはあるけどね!上から目線で書いてもらう方がいい内容の時もあるよね。

知りたいことをまとめて、言いたいことをまとめて、さらに詳しく説明する。
今回の文章を読んで、前回の星野さんの時とは違い、何度読んでも「うーん?」となっているのは、自分が書きたいスタンスが、こういう自分だけがしっている専門的な知識だったり問題なことを相手に「知ってほしい」と投げかけるような話題がないのかもという気づきもあった。

いろんな文章をよんで、こういう構成なのかな?っていうのを考えていく中で、自分が惹かれるものと、構成が難しいと感じるものに出会うことで、自分の書きたい文章構成がつかめていくのかも?と気づいた3回目のらいすき会でした。

一緒にやった、たえちゃんも同じような感じだったので安心した(?)し、誰かと一緒に同じ文章を読んであれこれ言い合うのって気づきもあったりして大事だし、なにより一週間に一度会える口実になっているのもまたいいなと思った日でした。

次回は早朝会を予定。起きれますように。

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