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らいすき会 #2

本日の題材。星野源さんの文章から。

 どういうわけか洗面台がビシャビシャになるんです。
 こんな相談を、雑誌で一緒に連載対談をしている細野晴臣さんにしてみたところ、「気にしないのが一番だよ」とのお答えをいただいたので、気にしないでいたらどんどん洗面台がビシャビシャになる一方だ。
 昼頃、起きてまず顔を洗うのだけど、驚くのは水を出す前の時点で洗面台はもう既にビシャビシャなのである。おそらく前日の夜に歯を磨いたときにまき散らしてしまった水滴が残っているんだろう、と横にあったタオルでそれをきれいに拭く。そして満を持して顔を洗うのだが、サッパリした気持ちで顔を上げるともう目の前の鏡から洗面台のまわりから足下の床までビシャビシャなのである。
 さすがにこれはどうかと思いもう一度、なるべく飛び散らないようにそっと、水量も少なめに、内股で、なんとなく体を小さくして顔を洗ってみるが、やっぱりというかなんというか、今度はなぜか自分の後ろにまで水滴が飛んでいる始末で、ここまでいくと水に意識があって私たちに嫌がらせをしているとしか思えない。

星野源『そして生活はつづく』より

<分析>
たしかに、言われてみれば自分もそうだな、なんでだろう?というほど身近な題材。普段意識していなかったけど、言われてみたらたしかに!!と当てはまる人が多いと思う。
「なるんです。」と言い終えていながら、そのあとに、「なぜなんでしょう?」とか「なぜだとおもいますか?」を勝手に含んで、質問・疑問と受け取ることができる書き方もすごい。
いろいろと、これが原因なのか?とおもいながら、それを実践しても解決せず、最終的に、絶対にそんなわけない「水のせい」にしている。
ちょっとくすっと笑える要素も含まれているところがなんともにくい〜。
読み手側も、結局答えが見つからないんかい!と思うけど、星野さんの対策を読み進めながら、あーわかるわかる、自分だったらこれも対策としてできそう、というように一緒に「なんとなくの回答」に向かっていくし、イメージは膨らむし、星野さんでも原因を見つけられないんだとおもうと、別の世界にいるような国民的スターでもぐっと身近に感じられる文章になっているのではないか。
私たちと同じように、洗面台で顔を洗ってるんだな、という。(当然なんだけど笑)

ただ、この本の著者の三宅香帆さんがいうように、書く人が普段どんなふうに見られているか、イメージを持たれているかというところも重要で、いつもはしっかりしてそうな人がうっかりした一面を見せると、こんなしっかりしてる人でもやらかすんだ、と親近感を感じさせるけど、普段からかわいらしいイメージで、ちょっと抜けてそうな人が書いても、「かわいいと思われたいんだな」とか、やりそう!と思われて、共感というか納得感をもたらせてしまうのでは?とおもった。

<まとめ>
こういう共感を呼ぶ文章を書く時は、普段自分がどんなイメージをもたれているのかを理解しておくのも重要な気がした。
普段から抜けてるような人が、ぎゃくにめちゃくちゃしっかりしているとを書くと、ギャップで好感がもてたりするし。
ほどよくイメージを裏切るような内容になるので、注意をはらわないといけない書き方だと思う。

私自身が、じゃあどんな題材でかくのかな?と考えたとき
・旅行に行くとき、なんとなく鞄に余裕があるのに、なぜか帰りは、お土産を除いたとしても、量がふえているのか、、??
・なぜ行事も多くて思い出も多いのに、9月と10月は記憶にないのか、、、ほんとにあった?
・なぜほぼ秋はないの??、、、急に冬がくるのなんで?

日常のなかの、当たり前のようにみえるけど、実は不思議で見落としがちなことを見つけたときには、書き留めたり何かに残したいなと思った題材。

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